15日映画を観に行こうと家の玄関の鍵をかけた。家は2階にある。外に出るには1階へエレベーターか階段を使う。私は階段を降り始めた。踊場を過ぎて2段下がったところで突然、靴の裏が階段のへりに引っかかった。体のバランスを崩した。段はまだ10数段残っている。体が宙に浮いた。映画『蒲田行進曲』で平田満演じたヤスの階段落ちのように下まで転げ落ちると思った。しかしとっさに右手で左側の壁面を抑え態勢を整えようとした。無理な姿勢であった。
そんな体操選手のように器用に着地をきめられるはずがない。そもそも足がもつれたのは、老化の1現象である。案の定、壁に激突。左手の肘を強く打った。住む集合住宅の階段周りの壁は、米粒ぐらいの砂がびっしり埋め込んである。右手の中指と薬指の先が壁に強く当たった。この壁を抑え込んだことで何とか転げ落ちることを防げた。砂むき出しの壁にこすられた指2本から血が流れ、左手の肘のあたりに鈍痛が走った。階段を転げ落ち頭や腰を強打しなかっただけでも幸いだった。簡単に薬をつけた。
映画館へは車で行った。観た映画は日本語で『それでも夜は明ける』 英語で『12years』が題名だった。1800年代自由黒人だったニューヨーク市に住むバイオリニストが家族の留守の間にワシントン市へ内緒でバイトの演奏に出かけ、泥酔して誘拐され奴隷制度が依然として残る南部で奴隷として売られた。12年間自由黒人が奴隷として生き抜き、遂に家族が待つニューヨークに戻った実話をもとに映画化された。重い暗い映画であることは覚悟の上だった。今年のアカデミー作品賞を受賞した作品でもある。
映画が始まった。半分終わるまでに3人がぽつりぽつりと立ち上がり外へ出て行った。映画を観ている途中で外に出るのは余程観ていられなかったに違いない。トイレに行ったのかもしれないと思ったが3人とも戻ってこなかった。内容はとにかく重い。気分が悪くなるくらい暗い。暴力、強姦、重労働、劣悪な住環境と食事と衣服、不条理がこれでもかと繰り返される。気持ちが沈む。血が流れる場面が多く、そのたびに私の指の擦り傷と体のあちこちの打撲部分が疼いた。奴隷が白人の暴力やムチで痛めつけられたことと比べたら私のケガなど蚊にさされた程度のことだ。
人間である黒人を奴隷にしてあれほど残虐でいられる白人が、何故クジラやイルカをかわいそうだから捕鯨をやめろイルカ漁をやめろと騒ぐのか不思議に思った。
映画館から外に出ると指と体の痛みがなくなっていた。自由すぎるほど自由な、奴隷でない自分。春の太陽の光に全身をさらせること、木々や草花の芽吹き直前の様子を何の邪魔もなく目にする私の心に“罰当たり”という反省の言葉が横切った。