1999年3月23日、私たち夫婦は、旧ユーゴスラビアのベオグラードの空港から飛び立つ最後のオーストリア航空の便で、ウィーンへ避難した。NATO軍が翌日からユーゴスラビアに空爆を開始すると決定した。私たちは、スーツケース4つだけで借りていたアパートを出た。車や家財道具などはそのまま置いて来た。ウィ―ンでホテル住まいしていたが、ユーゴへの空爆は、激しさを増すばかりだった。結局、日本へ一時帰国することになった。6月11日に空爆が終ったが、妻だけ先に帰任した。私は7月になってから戻ることを許された。住んでいたアパートも車も無事だった。ただアパートから500メートルくらい離れたユーゴスラビアの共産党本部の高層ビルがミサイル攻撃にされていた。外観にあまり被害がなかったように見えるが、ビルの真上からミサイルが突っ込んで、内部は地下まで破壊されたという。ベオグラードや近郊の軍関係の施設、建物が標的にされていた。中国大使館が誤爆で破壊されていた。
ベオグラードに戻って同じアパートに住んでいて避難しなかった日本人から話を聞いた。空爆やミサイル攻撃は、夜だけしかなかったそうだ。夜が来るたびに、サイレンが鳴り響き、サーチライトがNATO軍の攻撃機を追跡照射した。彼は夜眠れなかった。ミサイルが自分の部屋の窓から飛び込んでくる妄想に取りつかれたという。アパートの隣の小さな売店が、共産党本部がミサイル攻撃された時、建物の破片で壊された。彼はその時、もうダメかと思ったそうだ。とにかく生きてまた会えたことを喜んだ。
今回のロシアによるウクライナへの侵略は、ユーゴスラビアへの空爆やミサイル攻撃のようなピンポイントの攻撃と違い、ミサイルはもちろんだが、戦車などの地上部隊が入った。ユーゴスラビアの空爆で民間人の死傷者は、少なかった。NATOの攻撃もロシアの侵略もあってはならないことだと私は思う。それでもNATOの空爆には、人道的な配慮というか躊躇を感じる。空爆されたミサイル攻撃を受けたベオグラードを見て、私は思った。戦争は、馬鹿げた人間として最低の行動だと思った。苦労して築き上げた社会をあっという間に自分たちで作った兵器でぶち壊してしまう。何より人の命を奪う。しかし今回のロシアの侵略には、まったくそれが感じられない。世界中がコロナ禍で苦悩しているこの期に侵略するか。感じるのは悪魔的狂気である。世界が、また19世紀に戻ってしまった気がしてならない。
私は第二次世界大戦が終わってから生まれた。『戦争を知らない子供たち』(北山修作詞 杉田次郎作曲)という曲がある。♪戦争が終わって僕等は生まれた 戦争を知らずに僕らは育った ……今の(今の)私に(私に)残っているのは 涙を(涙を)こらえて(こらえて)歌うことだけ…♪ 戦争を知らない私だが、ベオグラードで戦争の愚かさをこの目で見た。
2月10日の私のブログ『ウクライナの女の子』に書いたベロニカ・セリョナちゃんは、すでに10歳になっているはず。彼女が今どうしているか心配。ベロニカちゃんが歌った「♪……願いなんて青草で、きれいに咲くのは命だけ。おかえり春ヨ、命の春よ、みんなの春よ…♪」 命あっての物種。どうかこれ以上人間の勝手なイデオロギーや宗教を盾にした対立で命を奪われる人がいませんように!みんなの春が来ますように!