団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

寒い朝 寒い夜

2016年01月15日 | Weblog

  暖冬で正月はまるで春のような陽気であった。この数日やっと冬将軍のお出ましだ。

 私たち夫婦は毎朝5時起床だ。寝ているとき暖房は何も使っていないので、寒い朝は寝床から出るのがつらい。ほんの1,2度の差でも体感温度はずいぶん違う。そのうえ私は朝トイレから出てくると体重測定する。下着だけになって体重計の上に乗る。15日の体重は68.9キロだった。ついに69キロを切った。血液検査の結果が良くなかったので5か月前から体重を減らす食事制限を始めた。71キロで測定を開始した。2キロ減らすのに5ヶ月かかった。ライザップのように1ヶ月で10キロ単位を減量することなど私には夢物語である。

 体重測定が終わるころ、やっとエアコンから暖かい風が部屋に還流し始める。便利で快適な生活になったものである。トイレでウォシュレットを使う時、下着や上着にヒートテック、ますます軽くなったダウンジャケットを身に着ける時、テレビが2週間前の番組まですべて録画されていて、テレビ番組を見逃しても2週間以内ならいつでも見られる時など私はまるで王様になったような気持ちになれる。

 最初の心臓バイパス手術で失敗して修復手術を別の病院で受けた。非常に難しい手術だったが名医のお蔭で無事修復できた。退院する前の最後の検診で執刀医は「少し前までは今回のような修復手術はできませんでした。せっかくいただいた命です。大切にしてください。3つのことを守ってください。寒い所で暮らさない事、重い物を持ったり過激な運動を控える事、ストレスを持たない事。これらを守れば心臓が原因で死ぬことはありません」と言った。あれから15年が過ぎた。

  寒い所を避けて長野県には戻らなかった。現在住むところでは氷点下になることはほとんどない。にもかかわらず感謝知らずの私は室温18度でも「寒い」と口にしてしまう。マイナス45度を経験したカナダやマイナス40度のロシアのサハリンで暮らしたことのある私がである。慣れとは恐いものだ。

  小学校の石炭ストーブの暖かさが好きだった。貧乏だった我が家の暖房はコタツだけだった。学校というところは、自分の家にはない一歩先行くあこがれがあった。給食、ストーブ、図書室。給食で家では食べたこともない献立に胸躍らせた。ストーブの暖かさと石炭が燃え、その熱が机や床の木、生徒が着ている服、生徒のニオイを教室中に還流していた。今あのような暖かさを探しても見つけられない。

  吉永小百合が『寒い朝』(作詞:佐伯孝夫 作曲:吉田正)を歌った。♪北風吹きぬく寒い朝 心ひとつで暖かくなる・・・北風の中にきこうよ春を・・・北風の中に待とうよ春を・・・野越え山越え 来る来る春は♪

  最近歳のせいか、昔の歌の歌詞に心奪われることが多い。10日の日曜日からNHK大河ドラマ『真田丸』の放映が始まった。連続ドラマなど一切観ないが今回は観てしまった。引き込まれた。あろうことかドラマの終わりに上田高校の校歌の一部が流れた。♪・・・関八州の精鋭を・・・♪ 何百回と歌ったが歌詞を音で言っていただけで意味を考えたこともなかった。やっと校歌の意味に温度とニオイを感じることができた。校歌の最後までスラスラ出て来た。♪我に至剛の誇りあり いざ百難に試みむ♪ 高校生の時にこの言葉が私に理解できていたら。いや遅くはない。最後まで「いざ百難に試みむ」 寒い夜だったが胸の奥が熱くなった。 

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