団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

親は何やってるんだろうね

2022年06月24日 | Weblog

  テレビのニュースで「18日午後5時半すぎ、石川県白山市森島町の用水路で親子二人が流され、救助されたが19日未明死亡が確認された。男の子はフェンスをよじ登り、誤って転落した」と放送された。妻と夕食をとりながらテレビのニュースを観ていた。私は「親は何をやっているんだろうね」と妻に言った。最近、こういう親の不注意による事故が多い、とも言った。通り一遍にニュースで伝えられることを、鵜呑みにしていた。ところが次の日、ネットのニュースに次のような記事を見つけた。「死亡した男の子は、弟の紙飛行機が用水路に落ちたので、それを拾おうとして、柵を乗り越え、用水路に入った。そして溺れた。それを助けようと母親が用水路に入って、結局二人とも溺れて死亡した」

 前の晩に私は、「親は何やってるんだろうね」と言った。これは恥じるべき発言であった。物事の真実も知らずに軽率な発言だった。親は、親として当然のことをなした。亡くなった男の子も、弟想いのお兄ちゃんだったのであろう。親子3人で散歩でもしていたのだろうか。用水路があるというからには、田園地帯に違いない。事故さえ起こらなければ、ほのぼのとした光景でしかない。お兄ちゃんが、弟のために作った紙飛行機なのだろう。弟が飛ばした紙飛行機が、用水路に落ちてしまった。お兄ちゃんは、咄嗟に柵をよじ登り、用水路に飛び込んだのだろう。今の時期、田んぼに水が引かれている。用水路は、水で溢れ、流れが早かった。そして溺れた。それを見ていたお母さんが、飛び込んだ。お母さんもお兄ちゃんも溺れてしまった。

 この事故で山梨県道志村のキャンプ場の女子児童が行方不明になった事件を思い出した。この時も、私は、原因が親の不注意だと、辛辣に捉えていた。自分に関係ないと、やたらに厳しくなる。言いたい放題。特にテレビは、私の口頭による罵詈雑言、思考における軽蔑中傷のはけ口となる。まるで日頃のうっ憤を晴らすかのようだ。冷静に考えれば、ニュースで知る事故事件が、自分の身に、いつ起こっても不思議でも何でもないのである。自分に火の粉が降りかからないのは、ただ運が良いだけ。

 生きて毎日の日常を繰り返していると、魔が差すことがある。常に完璧な警戒を継続することなど不可能である。先日、私がスーパーで女性のカートをぶつけられたのも、偶然である。あの時間、あの場所に私が、あの女性がいなければ起こらなかったことだ。過失に対しての責任を取れても、起こったことをなかったことにはできない。魔が差すことを回避することは、人間にはできない。

 息子の長男に難病指定の病気であると診断された時、慰める言葉もなく見舞った私に息子が「なるようにしかならないから」と言った。一種の悟りに聞こえた。どんなことが起こっても、人は生ある限り、生き続けなければならない。そうやって世の中は、続いて来た。

 私は、来週、再び入院する。74年間生きてこられた。小心者の私は、いつも些細なことでジタバタする。いつだって往生際が悪い。なるようにしかならないのなら、なるように掛けてみよう。担当医師が、「脚の治療でもっと歩くのが楽になります」と言ってくれた。そうなるよう願う。

 ビクビク、ハラハラしながら生きてきた。石川県の弟の紙飛行機を拾ってあげようとしたお兄ちゃんは偉いと思う。その彼を助けようとした母親も偉い。私は出来そうもない勇気ある行動だったと思う。ただ残された紙飛行機を飛ばした弟の今後を心配する。どうかお兄ちゃんとお母さんの分まで、二人のように優しく強く生きてほしい。

 

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