団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

砕石

2009年02月23日 | Weblog
 ネパールに3年間住んだ。そこで見た事は、私がそれまで生きてきた42年間に、経験したことのないことが多かった。10代後半でカナダに渡り、20代、30代のほとんどを日本で暮らした。海外旅行へ行ったのも所謂観光地と呼ばれるところが主だった。42歳にして海外赴任する妻について海外で暮らし始めた。妻の最初の勤務地ネパールで見たことが私の人生を大きく変えたと思っている。カナダやアメリカのような、まるで人間は、ずっと文化的で豊かな暮らしをしてきた生き物であるかのような錯覚を、若い私はカナダで持ってしまった。確かに学校の社会科の歴史では人類の歴史を学びはしたが、あくまでも教科書の中だけのことだった。私は現実として、人間のいきざまを認識していなかった。

 ネパールの川原で人々が、石を簡単な道具や石を使って、建設用の砂利を作るのを見た。(添付写真参照)ネパールも建築ブームで、海外で国連からの派兵に参加したり、出稼ぎなどで帰国した人々が、家を建てそれを外国人に貸すことが多かった。日本の川原のようにそのまま建設用の砂利になるような小さ目の小石はなかった。ネパールの川の多くは、ヒマラヤの高地から一気に標高差を急流となって駆け下る。ネパールは小さな国なので、川の流域で砂利は採れない。きっとインドに流れ込んでから平地なら建設用の小さなサイズの砂利もあるだろう。日本なら砕石工場で機械が、砂利をつくる。人件費の安いネパールでは、機械を使うより人間が一番安い。一日8~10時間働いても。1ドルの現金さえ稼ぐことはできない。世界の最貧国といわれ、平均個人年収は800ドル近辺だ。それ以下の人々もたくさんいる。失業率は、主たる産業がないのだから高いのは当然である。私には川原で石を割って砂利をつくることが非合理に思えた。一日懸命に働いたところでたいした量はつくれない。それでも人々は、現金収入のために来る日も来る日も川原に集まり、石を割る。ネパールは幸い食料の豊富な国で現金収入が少なくても、飢えるほどの飢餓はないという。貧しい生活の中で、必死に働き生きようとする人々の姿が目に焼きついた。

 ネパールの後、妻はアフリカに転勤した。私はアジアの貧困とアフリカの貧困を自分の目で見た。アフリカの砂漠化は、即、飢餓を意味する。アフリカの貧しさは、アジアのネパールの貧しさとはまた違っていた。ネパールの高温多雨の気候とアフリカの高温で雨の降らない乾燥した気候では、人々の日常生活が違う。アフリカの川原で砂利をつくることは、不可能であろう。紫外線は殺人的でさえある。それでも人々は、生まれた土地で黙々と、束縛されているように生きなければならない。

 日本に帰国して、この国は地上の楽園だと毎日、感謝している。ネパールやアフリカで経験した生活の不便さ、人間としての不合理さの疑問を感じることはない。しかし日本人の中に、かの地の人々の生命力を感じることもない。政治は混迷し、不景気だが、感謝することは多い。今日、散歩中に新築中の家の土台を造るために、コンクリートミキサー車がコンクリートをおろしていた。相当な砂利が入れられているに違いない。ネパールの川原で砂利をつくっていた人々を思い出した。まだあの人々は石を割って砂利をつくっているのだろうか。
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