私の父親は72歳の時、膵臓癌で死んだ。すでに23年が過ぎた。
身長こそ低かったが健康でたいした病気もせずに働いていた。67歳ころ軽い脳梗塞で倒れたことがある。救急車で脳外科病院へ搬送された。いろいろな検査をしたが、重篤とは診断されずに家に戻った。医者から老化に伴う一過性脳虚血性と言われた。
6月11日、妻と夕飯を食べていた。突然座ったままの状態でめまいがして気が遠くなるように感じた。このまま死ぬかもと一瞬思った。しばらくするとめまいが治まってきた。「目が回るんだけれど」と妻に訴えた。妻はすぐに手の脈をとった。心臓に爆弾を抱える身である。妄想は膨らむ。「正常。一応血圧も測っておこう」 妻は寝室へ血圧計を取りに行った。妻が医者ということで私の命は長らえている。ありがたいことだ。血圧を測り聴診器で心臓や首の血管などを診てくれた。「大丈夫。でも専門医に診てもらおう」と顔をこわばらせて言った。その日のうちに、以前診てもらった専門医に予約をいれた。私が一過性脳虚血症かどうかの診断はそれまでつかない。たとえそうであっても父親とは2年の誤差で発症ということだ。いずれにせよ体のあちこちに問題が出てきた。ただこのような現象が車の運転中に起こらないように気をつけたい。私の老化で他人を巻き込むことは避けなければならない。
65歳で糖尿病を患う私に何が起こっても不思議ではない。父から多くを受け継いでいる。遺伝の確かさの自覚を持っている。私の顔は母親に似ている。身長も母方である。気質は父親譲りに間違いない。短気である。妻に「導火線が極端に短いダイナマイト」と言われている。最近、咳ばらいすると父親が近くにいるのではと錯覚する。良いことは伸ばし、悪いことは断ち切ろうとしてきたが、体と心にうごめくDNAのうねりに弾き飛ばされてなかなかうまくいかない。
父の日がくるたびに息子と娘がカードと贈り物を宅急便で送ってくれる。子育て真っ最中で日々の生活に追われる中、私のために時間を割いてくれる、そのことが私を喜ばせる。それぞれが独立し家族を持っている。会えるのは年に数回しかない。電話メールも少ない。「便りのないのは良い便り」と考えることにしている。私は子供たちが大学を卒業するまでという時限ばかり考えていた。その後は死んでもいいとさえ思った。
二人が大学を卒業になると、死ぬどころか再婚さえできた。修羅場をくぐりぬけた父と二人の子供それぞれが3家族を構成する。父の日を憶えてくれるだけでも嬉しい。何をもらっても感謝にたえないが、父の日の贈り物で忘れられないものがある。色鉛筆を使って作ってくれた肩たたき券である。使用期限ナシ。幸いにも私には肩凝りがない。それでも肩たたき券は私にとって何より大切な父の日の贈り物であり、最高の私が生きた証しへの勲章である。