風呂場で頭を洗っていた。浴場の洗い場の前に1メートル50センチ×80センチの大きな鏡が貼ってある。この鏡は家を買ったとき、すでに取り付けて会った。私は鏡を見るのが嫌いだ。どんなに見まいとしても鏡がでかすぎ、隠れようがない。この数週間気になることがある。どうか見間違いであって欲しい、鏡の不具合でもかまわない、と祈る気持で鏡の水滴を手でぬぐって頭髪の状況を観察した。ハンドシャワーでシャンプーを洗い流したばかりの髪の毛は、まるで田舎の夏の小川の水流にゆらゆら流される水草のように等間隔の透き間をつくって地肌に張り付いていた。頭の地肌が髪の毛の覆い隠す部分より多い気がする。髪の毛が乾燥してふわっとしている時と違い、水に濡れた髪の毛は地肌にぺったりだった。前回床屋で「最近、すこし毛髪が細くなってきていますね」と気になることを言われた。
私の父は30歳を過ぎてから急に髪の毛が薄くなったと言っていた。私は65歳になるまで髪の毛が薄くなってきたとは感じていなかった。内心「父親は私の年齢ではてっぺん禿げだった。自分の現状なら私は母方の祖父のようにきれいな白髪になるに決まっている」と自信を持ち始めていた。この10月の末からである。洗髪のたびに自分でもあきれるくらい抜け毛が洗い桶の中に浮いた。その抜け毛、床屋に言われた所為か、細く弱い感じがする。かつてカナダの学校の寮のシャワー室で「針金のように固く太い」と多くの寮生に触られたゴワゴワの黒髪だった。白人の髪の毛は濡れると肌と一体化してしまうほど細かった。
私は毎朝、歯磨きをしてから、寝ぐせ直しの整髪スプレーをかけ、ブラシで髪型を整える。いままで頭のてっぺんを洗面所の鏡に映したことなどなかった。頭を90度前倒しにして、てっぺんが鏡に映るよう首を曲げた。目の角度を調節しながらてっぺんを注意深く観察する。ふさふさだったはずなのに、無残にも産まれたばかりの赤ちゃんの髪の毛のはえぐあい状態になっていた。
妻は現代医学でも、まだ風邪薬と頭髪の発毛剤は発見されていないという。よくテレビで『リーブ21』の社長が自ら画面に登場して、もっともらしく人間の頭髪は、わが社なら生えさせて見せますと自信満々と一日に何度も顔を出す。相当な宣伝費がかかっているはずだ。儲かっているから宣伝するのか、宣伝しなければ会社が危ない自転車操業なのか。テレビの宣伝は摩訶不思議な世界である。妻が言うことが本当ならあの社長のやっていることをJARO(日本広告機構)に通報しなければならない。JAROは誇大広告を取り締まる機関だ。『リーブ21』で発毛が真実ならノーベル賞ものの発見である。
以前から私は決めていた。もし禿げてもカツラもリーブ21のお世話にはならないと。自然のままを受け入れる。カツラは随分高価だと聞いている。
私の父親は72歳でこの世を去った。死んだ父の頭を手でなでた。てっぺんはツルツルだった。ベレー帽をガンで入院する日までかぶっていた。ベレー帽の脇から細くなった毛が、カーテンのフリルのように降りていた。ベレー帽で禿を隠していたのかなと疑った。しかし父は若い時からハンチング帽やベレー帽をかぶっていたという。ツルツルの頭をまじまじ見て触ったのは初めてだった。以前頭に残った帽子のふちの跡は消えていたのが、やけに悲しかった。遺品となった帽子をかぶるとどれも私の頭に入らなかった。私は幼い頃から頭がでかいと言われていた。父の小顔で形の良い頭だったからこそ帽子が似合ったのだろう。私は日射病対策でしか帽子はかぶらない。
もしかしたら父と違って白髪になれると勝手に思い込んでいた。その心の片隅でもし禿げたらの恐怖もあった。現実に禿げを確認できた。受け入れる決意もできている。だからカツラやリーブ21のお世話にならない。子供の頃、大人になって腹がポツコリ出たり禿げたら、生きていけないだろうと思っていた。腹が出ても平気で生きられた。禿になっても大丈夫だろう。
自然が一番。私はこのままでいい。老いの度合試験が次から次へ出題され、気力、体力、脳力の衰退が立証される。反面、ツラの皮だけは歳相応に成長を続け、ますます厚くなってきている。成長することは好いことだ。