駅の改札を入って、地下通路を歩き始めた。突然「お客様!」と声をかけられた。振り向いた。誰も私の方を見ていない。誰も私に話しかけてない。私は古稀を過ぎた頃からあちこちで「お客様!」と声をかけられることが多くなった。スーパーのレジでお釣りのもらい忘れ。店でお金を払って品物を受け取らない。リュックのチャックが開いたまま。シャツの後襟にクリーニング屋のタグ。また何かやらかしたかと不安になった。ただの空耳かな。同じ女性の声が続く。「……えェ まだ入っていないのですか?もったいない…」 なんだスイカの宣伝かい。「…スイカで貯まったポイントは色々お得な…」 どうやら駅の構内放送を使ったスイカの宣伝だったらしい。
構内放送の音響設備の性能が良いのか、女性の声に臨場感があった。加えて「お客様!」の後の間が絶妙だ。落語や講談など役者俳優などの良し悪しは、間のとり方で決まるという。間のとり方を習得するには、長い年月がかかると聞いている。
中学3年生の時、放送部の部長を務めた私は強くそう思った。声質も重要だ。スイカのおねえさんも声は、不愉快とまではいわないが、ちょっと甲高い。若さを感じる張りのある通りのよい声だ。私がまた何かをやらかして、声をかけられたのではないと分かり安堵した。
電車に乗り込んだ。すると、いつもは思い出すこともない、中学の放送部のことが思い出された。放送部の部室は小さかった。防音工事はされてもいなかった。机があってその上にアンプやマイクがあった。マイクの前に鉄琴が置かれていた。アンプのスイッチを入れて、鉄琴をバチで「ピンポンパンポン」と鳴らす。深呼吸して、喋り出す。慣れない時は、緊張して声が震えた。だんだんマイクの前で話す回数を重ねると、そのたびに変に高揚したものだ。スイカのおねえさんは、もしかしたら、私のような爺さんが呼び止められたと勘違いして立ち止まるのを思い描きながら、高揚感を持って録音していたのかもしれない。そうならお見事!私はひっかかったぞ。
「お客様!」に反応して、立ち止まって辺りを見回した自分。思えば齢を多く重ねてきたものだ。何事においても、自分だけが中心にいるという錯覚は、けっして悪いものでもない。今回も「お客様!」のお陰で、私だけの中学放送部の過去に、再び会うことができた。