団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

外国人

2009年10月13日 | Weblog
 私は長野県で育った。長野県には、ギャンブル施設、競馬、競輪、オートレース、競艇が一切ない。今は関東に住んでいる。今までテレビ放送は、ケーブルテレビ会社から東京のテレビ局の放送をアナログ受信して観ていた。テレビ受像機は、ハイビジョン方式である。アナログ受信していれば、このハイビジョン方式は、宝の持ち腐れだった。ハイビジョンで美しい映像を楽しみたかった。息子一家が遊びに来た時、息子が煩わしいアナログ受信を地デジ受信への切り替えをしてくれた。ハイビジョン方式の画像の美しさに感動した。慣れてくるとだんだん今までとのテレビの放送内容の違いに気が付くようになってきた。特にコマーシャルが東京の放送とだいぶ様子が変わった。地方色が濃くなった。特に競輪などのギャンブル関係が多くなった。

 今までギャンブル関係のコマーシャルを観たことがなかった。私の生活の中にギャンブルとの関わりが存在しない。毎朝ギャンブルの開催日程や出場参加選手などが紹介される。ある朝、選手の出場参加選手の紹介の中に出身県が表示されていた。外国人選手が一人表示されていた。その出身地が“外国人”となっていた。私はこれはおかしいと直感した。大相撲にも外国人力士が増えた。しかしNHKの大相撲中継において横綱白鵬や朝青龍の出身地を“外国人”とは紹介していない。日本人選手を青森県とか長崎県などと紹介し、外国人を“外国人”とはこれいかに。ギャンブルの広告を担当している会社にしても、その広告を放送する放送局も、これは怠慢である。

 日本はいまだに国際社会に門戸を開いていないと、私は感じる。かつて山形県の最上川の川下りの観光に参加した。昼食を取ったレストランで、中国からの団体観光客と一緒になった。私が参加した日本人のツアー客のある人が「中国人だって」といかにも嫌だという顔で言った。300年以上の間鎖国していた後遺症が残っている。そして乗船した船下りの案内嬢は、韓国から国際結婚して最上川の川沿いの村に嫁に来た女性だった。レストランで中国人団体観光客に嫌悪感を示したグループは、「こんなとこまでかい」とヒソヒソ話を始めた。

 案内嬢は完璧な東北弁を駆使し、東北民謡まで美声で披露した。彼女が住む村には多くの韓国人の嫁さんが来ていて、出生率は日本でも上位だという。キムチなどで村の経済も良くなり、活気があるという。自分が韓国から嫁に来たとくったくなく公言し、たくましくガイドとして働く。日本は観光に力を入れ始めた。最上川下りも国際的に人気があるという。彼女のようなガイドがいるからに違いない。

 好むと好まざるに関わらず、現在の日本は、世界の国々と共存していかなければならない。地方の嫁不足も深刻な問題である。出生率も低迷を続け、日本国の存亡が危ぶまれている。“外国人”と毛嫌いされても、力強く日本に溶け込む人々がいる。日本人は、純粋な単一人種だと言い張って壁をめぐらし、線引きして孤立する人々は、一体日本の将来をどのようなしたいというのだろう。最上川の船くだりで一緒だったあのグループの人々との意見交換もできなかった小心者の私自身に失望している。国際化とは、時間をかけて日本人が啓蒙され、また自らを意識改革していく活動だろう。まだまだ時間がかかりそうだ。
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