11月26日朝、妻と散歩した。空はどんより曇っていた。川べりの歩道の坂をいつものようにディープブレスしながら上がって行った。ディープブレスとは、歩きながら姿勢を良くして、息を3秒吸って、7秒で吐き出すこと。私は、散歩の間、ずっとディープブレスを続ける。
突然、河原の岩が点在する中で、まるで青く輝くLEDランプのような小さな物体を見た。「カワセミ!」 そんなことあるわけない。この川べりを春夏秋冬20年以上歩いた。その間、カワセミを見たのは、たった一度だけだ。あの時、カメラを持って散歩に出なかった。今回は持っている。何と言う幸運。でもコキロクは、動作がニブイ。カメラの望遠でピントを上手く的確に合わせられない。履いている靴は、KEENの靴底が、ギッタンバッコンする弓なり。体も安定しない。持っている杖を妻に渡す。手袋を脱いでポケットに仕舞おうとして、片方地面に落とす。あわてるな、と自分に言い聞かせる。望遠を目いっぱいまであげた。ぼやけてる。ピントが合わない。合った。でもカワセミがいない。カメラのレンズを動かしてカワセミを探す。望遠にしてカメラを動かすと、目が回る。カメラの画面から目を逸らして、自分の目でカワセミを探す。いた。綺麗、なんて綺麗な色なのか。見惚れる。カワセミは、元気よく岩から岩へと移動する。なんとしてもカワセミの写真を撮りたい。
先日、妻を駅に迎えに行った帰路、住む集合住宅のすぐ近くでウリボウ3頭母親らしい親イノシシ計4頭を見つけた。私は、咄嗟に車を道路端に止めた。携帯電話で写真を撮って、集合住宅の住民に注意喚起しよう考えた。妻が「危険よ。子連れの動物は、一番危険。早く車を出して」と金切り声をあげた。私は、携帯電話をしまって、車を動かした。今でもあの決定的瞬間を写真に納めなかったことを後悔している。今回カワセミに対しては、金切り声を発していない。妻もカワセミの美しさと奇遇を喜んでいた。
コキロク、パニックを乗り越え、健闘の甲斐あってカワセミをばっちり撮ることができた。カワセミは、川上に向かって飛んで行ってしまった。カメラの中にカワセミがいる。見たい時は、いつでも見ることができる。妻が「今日何かいいことあるかな」と言う。まだ散歩コースの半分も歩いていなかった。いつもは、ヨタヨタフラフラ歩くのだが、カワセミを見たせいか、シャンと歩ける気がした。
家に戻って、すぐカメラからフロッピーを抜いて、パソコンに取り込んだ。画面いっぱいに拡大した。なんと美しい。この綺麗さは何なんだ。カワセミでグーグル検索してみた。『カワセミは日本では幸運を呼ぶ「幸せの青い鳥」です。カワセミはその見た目の美しさから青い宝石と呼ばれ、また狙った獲物を逃がさないことから「望みが叶う」という言い伝えがあります。」妻が「いいことあるかな」と言ったのも、ただのあてずっぽうではなかった。
以前、東北ツアーで十和田湖へ行った。バスガイドが講談師のように映画『われ、幻の魚を見たり』を語った。あまりの好演に妻も私も感動した。魚が棲まない十和田湖にヒメマスを持ち込んで苦労した夫婦が十和田湖に棲みついたヒメマスを発見して「われ幻の魚を見たり」と言ったという。私は言いたい。われ、幻のカワセミを見たり