団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

猛暑豪雨台風地震

2018年09月07日 | Weblog

  震度7。また大地震が発生した。今度は北海道である。地震に遭うたびに小学生だった時、ブツブツ独り言を言っていた乞食のおじさんを思い出す。おじさんは矢出沢川にかかる橋の下で寝起きして缶カラを使って小さな火を焚き煮炊きしていた。近所の子供達はおじさんが食べ物を見つけに町を歩き回るとき、ゾロゾロついて行った。おじさんはいつも「地震が来て、地面が割れてみんなそこに飲み込まれて死んでしまうんだ。もうすぐだ。みんな死んでしまう」と言っていた。私はちょうどその頃、死にとてつもなく恐怖を持っていた。夜、柱時計が「カッチカッチカッチ」と音をたて、夜汽車が「シュシュポッポシュッシュポッポ ボーッ」の走る音や汽笛の音を聞いて、時に限りがあっていつかは死ぬ。あらゆる音が聞こえなくなるのだと恐れ、眠れなかった。そこへおじさんの地震に関するブツブツ語りである。夜布団に入るのが恐くてたまらなかった。

  あれからすでに60年近くが経った。今年コキイチ(古稀+1歳)を迎えた。子供の時の死に対する恐怖はずっと軽くなった。2001年に糖尿病の合併症の狭心症で心臓バイパス手術を受けた。手術前『辞世帖』を書いた。それが言うならば生前葬となった。手術は1回目が失敗したが他の病院で再手術を受け今も生きていられる。助けてくれた医師が言った。「もう大丈夫ですよ。いただいた命大切に生きてください」 私は思った。「これからの人生はオマケ、感謝して生きよう」 54歳で死んだと思えば、死への恐怖はずっと軽くなった。

  猛暑でこの夏は家にこもって身を潜めるような生活を続けている。恐ろしい殺人事件や関係者などの怠慢で拘置所から凶悪な容疑者が逃亡して見つけることができないなどが続いた。その残忍さ愚かさお粗末さに対して、私は勝手に怒っていた。猛暑の中ゲリラ豪雨があり台風も来た。自然が容赦なく襲う。自然災害は人間がしでかす事故事件と規模が違う。私は怒るのでなく、ただその圧倒的な脅威に恐れおののく。

  今回の北海道の地震、厚真町などの丘陵地帯の山崩れの規模は、恐怖以外の何もでもない。また地震によって北海道の全域で停電になり生活に大きな支障をきたしている。現在の生活は電気なしでは考えられない。私たち夫婦は、ネパールやセネガルでほぼ毎日停電や水道の断水を経験した。それが当たり前なら生き抜く知恵や耐性が出てくる。日本はその点恵まれすぎていて、電気水道などの生活や産業の社会基盤は、正常な状態が恒常化していて、それがなくなると途方にくれてしまう。でも私たち人類は、この地球上で幾多の危機を乗り越え今につなげられてきた。昔を教訓にすれば、前進できる。

  私は小心者である。東日本大震災の時も数週間鬱状態に陥った。テレビの画像が観られなかった。観ると涙ばかりが出た。そんな時私はモヤシを買ってきてハサミで根を切り、下ごしらえした。無心になれた。今回私はトイレの便器を掃除して磨いた。それだけでは気が晴れなかったので、汚れていた湯沸かしポットを綺麗にした。真剣に金属磨きの布で擦った。食器用洗剤も使った。それでもこびりついた汚れは落ちなかった。ダスキンの“天然石けん入りスチールウールたわし”の『S.O.S』も使った。一時間でピカピカ。少し楽になった。夕方帰宅した妻が湯沸かしポットを見て言った。「凄い、ピカピカだ」 私の顏がほころんだ。

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