団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

肋木(ろうぼく)腹筋

2024年08月15日 | Weblog

  コロナで私は貴重な健康寿命3年間を自宅待機で失った。去年コロナは第5類を解除された。老弱男女問わず世界は、失われた3年間を取り戻そうとする人々の往来が激しくなった。1年延期された東京オリンピックは、規制とコロナの厳重な警戒の中で行われた。あれから3年過ぎて今度はパリでオリンピックが開催された。

  近代オリンピックの父と言われるフランスのクーベルタン男爵は、「オリンピックは勝つことではなくて参加することに意義がある」と言った。クーベルタン男爵は、オリンピックが古代ギリシアでたとえ戦争中であってもオリンピックの時は、休戦してオリンピックが開催されたことに着目した。クーベルタン男爵の理想から言えば、近代オリンピックは、問題が多い。オリンピックは、今のような混迷する時代だからこそ、参加したい国を全て受け入れるべきだと私は思う。政治や宗教イデオロギーで参加不参加が決められてはならない。

  日本は最近自然災害が多い。猛暑、ゲリラ豪雨、地震、台風と被害が出ている。免疫機能が低下している私は、ほとんど外出することもなく家に籠っている。そんな私の楽しみは、スポーツ観戦である。嫌なことが私を落ち込ませる反面、テレビでのスポーツ中継では、熱い応援を続けている。大相撲名古屋場所は終わってしまったが連日応援に熱が入った。アメリカ大リーグの大谷翔平選手も8月に入って7月のように打撃好調とは言えないが、それでももうダメかとあきらめかけると、突然ホームランを打ってくれる。そしてオリンピックが始まった。マスコミに金確実とか金が期待されると言われていた選手やチームが不振だった。それでもフェンシングやレスリングなど初めてオリンピックに参加した選手が目覚ましい活躍を見せてくれた。

  私は、もちろんオリンピックの実況放送も好きだが、メダルを取った選手の生い立ちや練習の様子をまとめた番組が好きだ。今回男子高飛び込みで銀メダルの玉井陸斗選手の練習に目を奪われた。玉井陸斗選手のオリンピックでの飛び込み競技自体も素晴らしかった。まずあの高さから回転したり体をひねったり水しぶきをほとんど上げずに着水する。私ならあの10メートルを超える高さにいるだけで、震えてしまう。私は楽器が何一つ弾くことができない。でも聴くことはできる。それと同じ様に高飛び込みでも、飛び込みはできないけれど、その演技が美しいとか着水がいいか悪いかくらいは判る。しかし演技だけ見ていると玉井選手がオリンピックに参加する前に、どんな練習をしていたなどということは、想像すらできない。

  玉井選手は、肋木(ろくぼく)を使って練習していた。飛込競技には、腹筋が重要だという。肋木は、私が小学生の頃、体育館で見た。けれどそれを使った授業は受けた記憶がない。体育館にある不思議なモノだった。その肋木を使って玉井選手は、両手で肋木の上部の横棒を握って、あろうことか両足を頭の上まで曲げて上げるのである。それだけではない1キロの重りを足首に着けているのである。玉井選手はまだ17歳だ。若いからできるのでない。日々努力練習をしているのは、他の選手も同じである。テレビで紹介される選手の練習の様子には、頭が下がる。

  あの練習があるから、勝ちたいし、メダルを取りたいのであろう。私にできることは応援することだけだ。暑さで、地震が恐くて、台風が来ると言って、毎日もうダメだと弱音を吐く私。それを多くのスポーツ選手が画面の向こうから「喜寿老、頑張れ」と応援してくれている。甲子園でもこの暑さの中、高校野球の熱戦が続く。選手の胸板が厚い。皆鍛えている。

 人間って凄い生き物だ。スポーツは人類の最高の発明かも知れない。戦うのはスポーツだけで十分としようではないか。

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