団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

生ハム

2020年09月24日 | Weblog

  生ハムという名は、すんなりと受け入れられなかった。生という字が、生の豚肉を連想してしまう。豚肉はよく火を通して食べるものと教わった。生の豚肉を連想すると食欲が失せる。

 もちろん子供の頃、生ハムの存在さえ知らなかった。ハムといえば、高級品でなかなか口に入らなかった。大好きなポテトサラダに入っていた魚肉ソーセージが、ハムの代替品だった。丸善魚肉ソーセージのピンク色は、食欲を誘った。後にこの魚肉ソーセージには、発がん物質が多く含まれていたと知った。特にあの独特のピンク色は、有害な発色剤だったそうだ。

 生ハムは一般的に知られた食材ではない。私もイタリアで生ハムの美味しさを知るまで、目の前に生ハムがあっても食べたいと思うものではなかった。生ハムにほれ込んだのは、40代後半になって、ベネッツアのレストラン『トスカーノ』の生ハムを食べてからだった。それからイタリアへ行くたびに『トスカーノ』へ行った。イタリアの肉屋で生ハムを買って住んでいた国へ、運んだ。生ハムの産地は、パルマとサンダニエルが有名だ。私はその両方へ行って、現地のレストランで生ハムを満喫した。特にサンダニエルの生ハムが私に一番合った。

 サンダニエルの小さな村は、イタリアからオーストリアへ抜ける国道から小一時間かかった。村の中心街には、たくさんの生ハムを供するレストランが立ち並ぶ。ローマの肉屋で紹介されたレストランへ入った。ぽっちゃりした女主人が経営するレストランだった。早速冷えた白ワインと女主人が勧めた生ハムの盛り合わせを注文した。出てきた皿を見てびっくり。なんと高知の皿鉢料理のような大皿。皿にはちょうど旬だったイチジクが、びっしり敷き詰められていた。このイチジク、ビオレソリエスという品種で黒イチジクと呼ばれる。女主人が、豚の腿が丸ごと生ハムになっているものが乗っているカートを、押してテーブルの脇に来た。イチジクが並ぶ皿の上に、切った生ハムを並べて行く。生ハムは薄く切れば切るほど良いのだ。見事。芸術である。素人では生ハムは切れない。もちろん包丁も特別な物でなければならない。女主人にあまりに美味しいので、追加の注文をしたいと言った。彼女は私を抱きしめ、「日本から来て、気に入ってくれてありがとう。これは私からのプレゼント」と言ってもう一皿切り分けてくれた。

 生ハムといえば、あのサンダニエルのレストランで食べたものが、最高だ。忘れられない。もう海外旅行には行けない体になってしまったが、サンダニエルの生ハムを、可能ならば、もう一度食べたい。日本でも最近生ハムはやっと知られるようになってきた。腿丸ごとを客の前で切り分けるレストランもあるらしい。私は、成城石井でサンダニエルの生ハムのパック商品を買う。すでに切られて売っているので風味は落ちるが仕方がない。日本の豊富な果物と一緒に食す。柿、梨、メロン本当に良く合う。

 以前アメリカで39年暮らし、日本に戻り、国際基督教大学の教授を勤めた故安積仰也さんを、我が家に招いた。生ハムを供した。安積さんは、手をつけなかった。私が良いと思うものを、人に圧しつけてはいけないと知った。安積さんは、生ハムの生をそのまま受け止め、豚肉を生では、食べられないと、いや食べてはいけないものと判断したと、後で話してくれた。私がきちんと“生”というが、1年近く塩漬けされていて、決して調理してない意味の“生で”と違うことを説明するべきだった。アメリカでの生活が長かった安積さんさえ、生ハムを食べたことがなかった。その安積さんも亡くなってしまった。生ハムを口にするたびに、いろいろな記憶がよみがえる。私は、生ハムを知ることができ、味わうことができ、幸せだと思う。

 コロナ禍、友人たちの誰とも一緒に生ハムを肴にワインを飲むこともなくなった。寂しい。生ハムを今が旬の普通のイチジクと一緒に夫婦で食べた。いつになったら大皿に黒イチジクを並べて、イタリアの友人が贈ってくれた、生ハム専用ナイフで、丸ごと生ハムを切り分けて、皆で楽しむことができるのか。

 


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