最近、お悔やみのニュースに「誤嚥性…」の記述が多い。私には関係ないであろうとずっと思っていた。ところが数年前から私自身、誤嚥するようになった。そうコキイチ(古稀+1歳)を過ぎた頃だった。初めてこれが誤嚥かと認識した。息が止まるかと思った。喉から口に、拳が突き破ってくるようだった。苦しい。嗚咽さえ頭に血が上り、目が充血した。涙が出た。喉から口に、拳が突き破ってくるようだった。自分が後期高齢者だなんてチャンチャラおかしい。その強がりがあの日スーっと消えた。
正月に老人が餅を喉に痞(つか)えて亡くなる。私は、それも誤嚥だと思っていた。妻に尋ねると、誤嚥は物や液体が気管支から肺に入ることで、餅を痞えるのは、気管支の前方の食道を塞ぎ息ができなくなることだそうだ。私は餅が好きだ。餅を食べる時は、細かくして食べるようにしている。幸い、まだ餅を痞えたことはない。
体の中がどうなっているかをほとんど知らない。ただ人間の体は、未知の世界で不思議なものとしてしかとらえていない。年齢を重ねるごとに、あちこち不具合が出てきた。若い頃は、感じたこともない、痛みや誤作動が出てきた。誤嚥だけではない。今、難儀しているのは、脚の血管の狭窄によるふくらはぎの痛みと、足裏の神経感覚異常である。両方とも糖尿病による合併症が原因と医師に言われている。歯の、視力の、聴力の衰えなど言い出せばきりがない。
今年はコロナ禍で自宅待機が続いている。家族にも友人たちとも会えない。家にばかりいると、部分入れ歯は入れない、着る服には無頓着になるので、ますます爺むさくなってしまう。夏の猛暑がやってくる前は、雨ばかり降った。散歩さえままならなかった。コロナと熱中症。これらは老人の天敵である。加えて糖尿病の持病を抱えている。ますます妻以外の誰とも会うことがない。暑さと湿気の高さで家にいる時は、上はランニングシャツ。下はジム通いの時使ったボクサーパンツ。他人の目が無いのをこれ幸いと、まるで無人島での生活のようだ。玄関のチャイムが鳴れば、運動会の借り物競争で慌てふためくように、上着を探し着て走る。朝パジャマを着替えるが、パジャマも着替えた服装も大した違いがない。あれほど服装に気を使っていた見栄坊が、すっかりなりを潜めた。
熱中症対策で水をたくさん飲む。コロナ対策で外出して帰宅すると、手洗いとうがい。誤嚥の危険が増えた。私はせっかちでおっちょこちょい。加えて、ながら族の酋長になれるであろうほど、一つの事に集中できない人である。いつも妻に叱られる。妻は一極集中の人である。読書は読書だけ。勉強ができたのも、その集中力のせいだったに違いない。私は本を読みながら、ラジオを聴いたりCDを聴く。子供の頃からそうしてきた。成績が良くなるわけがなかった。
誤嚥は、喉の機能の低下もあるが、食べること飲むことに集中していないから起こると、妻は言う。だからテレビを観ながら夕食をとるも良くないと反対する。できるだけ一度に一つの事だけするように努力している。お陰で誤嚥する頻度が少なくなってきた。私なりの誤嚥を防ぐコツも見つけた。液体を飲み込む時、ちょっと体を前倒しにする。姿勢も誤嚥に関係があるらしい。いろいろ試して、誤嚥しないように気をつけていたい。
それにしても世界のトップで、いまだに活躍している、またこれからそうしようという人たちに高齢者が多い。あの人たちの体には、私のような老化が存在しないのだろうか。誤嚥とは無縁なのだろうか。きっと彼らは凄い秘薬を見つけたに違いない。