団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

砂を噛む

2019年08月19日 | Weblog

  甲子園球場で行われている全国高校野球選手権もベスト4が出そろった。連日の熱戦に引き込まれるようにテレビの前で観戦している。大相撲は、夕方の数時間で済むが、高校野球は、一日4試合が普通だ。やっている生徒たちも大変だが観る方も体力がいる。

 高校野球の魅力は、高校生選手たちの試合への全身でぶつかってゆく、あの闘志につきる。砂煙を上げてベースに向かってヘッドスライディングするのを観ては感動する。

 私の野球経験は、ヘッドスライディングで終わった。今から30年くらい前、ある知り合いから会社の野球チームが一人足りないので立っているだけでよいから参加してくれと頼まれた。体の衰えを感じていなかった私は喜んで参加した。仕事一筋で運動することはなかった。中学で2年間野球部に所属していた。その時と同じ軟式ボールの野球だった。打順が回ってきて何とかヒットを打ち、出塁した。味方のヒットで1塁から2塁を蹴って3塁に向かった。脚がもつれたが返球が3塁手にされたのを見て、ヘッドスライディングをした。体が宙に浮いた。高校野球の選手のように体はグラウンドの上を滑走しなかった。ズドンと倒れ落ちただけだった。顔が地面に打ち付けられた。顔を上げると3塁のベースが2メートルくらい先にあった。もちろんアウト。口の中は砂だらけだった。それ以来、野球をしたことがない。今でもヘッドスライディングしてベースがずっと向こうにある夢をみる。夢の中で口の中が砂っぽくなる。

 “砂を噛む”を辞書で引くと「物事に味わいや情趣がなく無味乾燥に感じるたとえ」とあった。砂漠がある国に暮らした。毎日、知らず知らずに“砂を噛む”生活だった。休暇で砂漠の国から日本へ帰国した時、妻の実家で義母が「お前たちの服を洗濯したら洗濯機の層の下に砂が溜まってるけど、何したの?」と言われた。砂漠の国では吸っていた空気はもちろん、水道の水にも砂が混じっていた。現地で暮らしていると慣れて気が付かないことでも日本に戻るとわかることの一つの例だった。日本に帰国して暮らすようになって日本が埃っぽくも砂っぽくもないと感じた。

 チュニジアで日本からの親戚家族を砂漠の旅行に案内した。その日は天候が悪くハルマッタンと呼ばれる砂嵐に巻き込まれた。20分間ほど車の中でじっと通り過ぎるのを待った。旅行会社の運転手は「絶対に窓を開けないこと、口をハンカチやタオルなどで覆うこと。時間はかかるけれど必ず通り過ぎる」と言った。エンジンを切ったので暑さと窓の外が暗く不気味さに恐怖がつのった。嵐が通り過ぎた。道路は砂で埋まってしまった。その砂で埋まった道路を“鉄のラクダ”とその国で呼ばれるトヨタのランドクルーザーが何もなかったように再び走り始めた。何より可笑しかったのは、全員の眉毛が薄茶色に変わっていてまるで老人になったようだった。助かった安堵もあって大笑いした。エンジンを切り、窓を閉めていて、いったいどこからあんなに細かい砂が車内入り込み、私たちの眉毛まで砂まみれにしたのか。砂漠の砂恐るべし。砂漠の中のオアシスにあるホテルに無事到着した。映画『イングリッシュペイシャント』の中に出て来るホテルだった。プールの生温い水に潜ると生き返ったようだった。砂嵐とプールは私には、切っても切れない組み合わせである。

 日本に帰国して終の棲家を得て、すでに16年が経った。砂っぽい空気とも砂が混じる時間給水される水道とも無縁である。外出して家に戻っても服や喉に砂が付いていることがない。洗濯機の槽の底に砂が溜まることもない。水道も24時間途切れることなく清潔な水を配水している。私は未だに水を無駄にしないよう水で苦労した国でしたのと同じ水の使い方をする。歯を磨いて口をゆすぐのもコップに水を入れ蛇口から水を流しっぱなしにできない。シャワーで短時間に体を洗うことも特技になったが、今はそうする必要がない。湯船に色がついていない透明の湯を張って「オェー」とつかる。

 高校野球で選手がベースに懸命にヘッドスライディングする。砂ぼこりが立つ。審判が体全体を使って判定を下す。「アウト」 選手は砂だらけ。口に砂が入る選手もいた。小さな砂嵐が、砂漠の国での生活を私に思い出させる。「砂を噛む」は、私には「前進するには成長するには感謝を知るには、通らねばならぬ経験」である。


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