団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

水飲み場

2019年08月01日 | Weblog

 ある駅で水飲み場を見た。懐かしいと思った。近頃水飲み場を見ることが無くなった。駅のモノはハイカラに見えた。公衆電話が数を減らした以上に駅にも街にも公園にも水飲み場がない。駅にポツンとあった水飲み場を見て、ある水飲み場を思い出した。

 半世紀以上前、上田市の上田城跡公園は、私の遊び場だった。本丸跡を半円状に囲む堀があった。ここには大きな鯉がたくさんいた。この鯉を釣ろうと多くの子供達が集まった。土手を降りて、水面近くの足場が悪い淵が釣り場だった。釣りは禁止されてはいなかった。鯉を釣ったことはなかった。替わりよく釣れたのが、チャーランというハゼのような小さな魚だった。フナも釣れることがあった。釣った魚は、家に帰る前に、武徳殿の前の広場の端にあった水飲み場で離して元気を取り戻させた。堀の水は溜水だったので、濁ってキレイではなかった。

  小学校の低学年だったので水飲み場は大きく感じた。つま先立ちしてまず栓をひねって先端が球状の真ん中の穴から噴水のように勢いよく上がる水を飲んだ。水飲み場はがっしりしたコンクリート造りだった。直径50~60センチはある水鉢になっていて、真ん中に水栓が突き出ていた。水栓は太陽の光に輝いていた。水飲み場の排水口を手ぬぐいで詰めて塞いだ。飲み口の横の栓を全開にして水を貯めた。釣果の魚を数えた。キレイな水を子供用のバケツに入れ、意気揚々と家に持ち帰った。チャーランやフナを釣るのも楽しかったが、武徳殿の広場の水飲み場での儀式のように水替えしたことを忘れられない。

  小学校の遠足には、みな水筒を持って行った。その日が暑いと水筒の水は途中で終わってしまった。途中、誰かが民家の通りに面した庭に水道を見つけて、たまたまその家の人に「水ください」と聞いた。その家の人が「いいよ」と言った。我も我もと大勢の生徒が、空になった水筒に水を補給した。先生も家の人にお礼を言った。

  いまどき、外出して水道の水を飲む人は、ほとんどいない。水以外のジュース類など、特別な日以外、口にできなかった。だから水を飲むことを貧乏くさいと思っていた。ジュースを飲みたい、などと親に言えば、「水を飲みなさい」と言われたものだ。でもクラスのみんなが同じ状況だったから救われた。今の小学校中学校などで、生徒たちがどう水を飲んでいるのかわからない。私が小学生だった頃、夏の休み時間、多くの生徒が水道の蛇口がたくさん並ぶ手洗い場で豪快に顔を流れだす水道水に近づけて飲んだ。まるで野生の動物が水辺に集まって競って水の飲むようだった。

  クラスの中には必ず一人や二人、水を一気にがぶ飲みできる強者がいた。私のクラスにも鉄ちゃんという蛇口の下に顔を入れ、上を向いて口を開け、1分くらい水をゴクンゴクンと飲み続けられる子がいた。飲んだ後、鉄ちゃんは腹を揺すった。すると胃から「チャポン チャポン」と音がした。その音を聞きたいばかりに、鉄ちゃんはよく水道に連れて行かれた。でも鉄ちゃんはそれを嫌がらず、かえって得意になって披露した。今の学校に鉄ちゃんのような生徒などいないだろう。

  世界中の海が、プラスチックごみで汚染されている。いまどき水と言えば、多くの人々が自動販売機でペットボトルや缶入りの飲み物を買う。その数は膨大である。ゴミ処理場の普及は、遅れている。テレビのコマーシャルで魔法瓶の会社が魔法瓶水筒を持とうと宣伝していた。確かに水筒は、プラスチックごみを減らす一つの解決法であろう。しかし普及するとは思われない。

  人間が生きるということは、どうしても環境破壊を進めてしまうようだ。やれ梅雨が長い、気温が上がらない、日照時間が短いと騒いでいたと思ったら、今度は、猛暑だ、熱中症だと言う。異常気象ももとはと言えば、人間の環境汚染や自然破壊が原因だ。

  ネットフリックスの『Our Planet』(シーズン1 1~8 +ボーナス)を観た。地球はあらゆるところで壊れかけている。恐ろしい。私も外国で暮らして、多くの環境汚染の現状を目にした。今、地球に住む人間は、自国の利益や利権を追及して争う。

  『Our Planet』に映し出された現状を観ながら、なぜか私は武徳殿の広場の隅っこにあった水飲み場を思い出していた。それは懐古ではなく、地球に生きる教訓と思えたからかもしれない。


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