日本の高校からカナダの全寮制の高校へ移って驚いたのは、夏休みの長さだった。3カ月あった。まだ雪が降ることもあった6月に始まって、また雪が降り始める9月初めに終わった。正直あまりの長さに戸惑った。長野県の小中学校は夏休みが3週間、春秋の農繁期に農繁休業という1週間ずつの農家を手伝う休みがあった。私のような農家の子供でないと学校があっせんした農家へ手伝いに行った。報酬はなかったがお昼ご飯に白米を腹いっぱい食べさせてもらえた。
カナダの私が入った学校の生徒は夏休みに何をしていたのか。これだけは言える。塾や予備校で大学受験に向かって勉強していた者は皆無だった。勉強から離れることが夏休みの主題で、学校ではできないことをする。家が農家だと朝から晩まで家畜の世話や麦畑での農作業、都会の生徒はアルバイトで学費稼ぎをする。私のような外国人は、学校の外で働くことはできなかった。学校は私のような生徒に、仕事を提供して2ヶ月間働くと次年度の学費を無料にしてくれた。私は最初の夏休みをそうして過ごした。残った1カ月間、アメリカのカルフォルニアに住んでいた留学にあたって私の身元保証人になってくれたネルソン一家をグレイハウンドバスに乗って会いに行った。長い夏休みを持て余し、また秋に学校へ戻った時、勉強に戻れるか不安にもなった。それは懸念に過ぎなかった。誰も抜け駆けしていないので対等に再び学業を始められた。ここに日本人とカナダ人アメリカ人との教育に関する違いがある。
私は子供を二人育てた。長男を全寮制の高校に行かせた。3年生の時、長男を予備校の夏季講座へ行かせず、アメリカカナダのバス旅行に行かせた。当時、長女がアメリカの友人に預かってもらっていた。長女と1週間一緒にいてから、2週間私がしたようにグレイハウンドバスでアメリカカナダを周った。大学入試は、国立不合格だったが彼が希望していた私立には合格した。私は彼に1年なら浪人してもよいと言ったが、彼はその私立が幼いころからの志望大学なので行かせてくれと言った。夏休みにアメリカカナダ旅行させたのは、決して無駄ではなかった。むしろ長男を成長させたと思っている。今考えるとこれは親の一方的な押し付けで、もっと長男の気持ちを考えてやるべきだったとも思う。娘は夏休みが長いので毎年、夏だけ日本に戻り私や長男と一緒に過ごした。夏休みは私たち親子が一緒に過ごせる貴重な時間だった。
そんな私の二人の子供も東京で家庭を持った。孫が3人いる。夏休み、特にお盆になると今年は来てくれるかなと期待してしまう。残念ながら今年もまた来てもらえそうもない。長男の子は二人ともサッカーをしている。夏休みは秋から始まる全国大会の予選に備えて合宿や練習試合が続く。連日の猛暑の炎天下、真っ黒に日焼けして練習に明け暮れているとメールをくれた。長女の子はまだ小学生で両親が共稼ぎ。私の父や妻の父親のように老後、私も孫の世話をみたかった。3人の孫は、みな母親にベッタリである。孫だけで私の所に遊びに来ることはない。世間では実の親の子への虐待が問題になっている。孫たちが自分の家が一番居心地が良いというのは、喜ばしいことと思うことにしている。
夏休みに提案したい。例えば6週間の夏休みなら、2週間ずつ3つに区分する。1つはスポーツの2週間。合宿、練習試合、大会をこの間に済ます。2つ目は、社会体験に当てる。家業の手伝い、アルバイト、社会奉仕など。3つ目は、遊び娯楽レジャー旅行とする。昔、塾で夏期講習などをやっていた私が言うのも気が引けるが、夏休みは宿題も勉強もしなくてもよい。日本人の国民性から年がら年中働き学ぶより、そろそろ生活を楽しむよう方向転換したほうが良い。確かに私が日本で在籍した高校では、優秀な学生が多く社会で成功している。一方カナダの高校や大学で一緒だった学生もそれなりに成功している。これだけシャカリキに休まず働き学ぶ日本人が世界で抜きんでて優秀かと言えばそうとは言えない。
変えればもっと良くなることはたくさんある。私は日本のすべての生活基準は国会議員がすでにお手盛りで達成したことにあると思う。夏休みしかり。議員さんたちが日本人全体がその水準に達せられるよう働いてもらいたい。