団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

沖縄 オスプレイ ニコルソン四軍調整官の腕組み

2016年12月16日 | Weblog

  テレビのニュースで、アメリカ海兵隊のオスプレイが訓練中に海に落ちたとアナウンサーが言った。報道ではアメリカ軍は“不時着”と発表していて、沖縄の基地反対派は“墜落”だと主張しているとあった。私は専門家ではないので、その区別はわからない。しかし、テレビ画面で沖縄在留アメリカ軍トップのローレンス・ニコルソン中将 四軍調整官の腕組みする姿を見て、ある人物を思い出した。

 カナダの高校へ転校する前に、私はその男の口車にのって、軽井沢の彼の聖書学校に滞在した。そもそもカナダへ行くきっかけは、ネルソン夫人が開いた英語バイブルクラスだった。ネルソン夫妻は、娘さんを連れてアメリカから退職後に1年間だけ、日本へのキリスト教布教のために来日していた。あの当時、地方都市で英会話をアメリカ人から学べる機会は他になかった。学校の英語と違って、私は熱心に通ってネルソン夫妻から英会話を習った。1年はあっという間に過ぎた。夫妻は私のことを軽井沢の他のアメリカ人宣教師に紹介して、後の面倒を見てくれるよう頼んでくれた。私は横浜港へネルソン一家の見送りに行った。アメリカンプレジデントラインの客船が見えなくなるまで泣きながら見送った。

  アメリカに帰国した夫妻は、私にカナダ留学の道を開いてくれた。入学手続きが終わり出発は、カナダ大使館からの留学ビザを待つだけになった。軽井沢の宣教師がカナダ大使館へ一緒に行ってビザの申請を手伝ってくれた。その時に彼は直接このままカナダへ行くのではなく、しばらく軽井沢でカナダ生活に慣れたらどうかと言ってくれた。私が入学する高校は彼が卒業した神学校の付属高校だった。そうして結局カナダに行く前にそこで過ごすことになった。

 その後、日を追うごとに 彼の態度は親切から私を寺男にように扱うようになっていった。彼は身長が2メートルくらいある大きな男だった。私より頭一つ大きかった。彼はよく私の前で腕を組むようになった。そして上から見下すようにしゃべった。私の性格とか信仰がどうだと行動が態度がと文句が増えた。私はアメリカのネルソン夫妻に手紙を書いた。ネルソン夫妻の働きかけで東京のアメリカ系旅行社が動いて、ようやく彼の所から抜け出して、カナダへ出発することができた。

  沖縄のニコルソン四軍調整官の腕を組む姿と、軽井沢の宣教師の立ち振る舞いが似ている。腕組みの心理を調べてみた。『腕組みが高い位置にあるときは、優位に立ちたいと思っている表れ。相手が胸を張って前につき出すような腕組みのときは、あなたをライバル視している。警戒心が強くなっていることが考えられる。緊張して、場の空気が硬くなっている場面では心理的防衛のために腕組みが多くみられる。相手に対して心理的な距離をおきたいと思っている事が行動に現れる。相手を信用していない。または拒絶をしていると考える事ができる。怒りや不満、抗議の姿勢と考えられる』

  私は腕組みしている人を見たことがあまりなかった。父が腕組みをしたのを数回見たことがある。それはいずれも何かに心配して深刻に悩み考え込んでいた姿だった。軽井沢で私を叱責する宣教師の腕組みをした姿は、寺の山門の仁王像のように怖かった。それから私は腕を組む人と、ほとんど会うことがなかった。私自身も腕を組まないように心掛けている。意識的かそれとも無意識に、居丈高に腕を組む男を避けているのかもしれない。沖縄のアメリカ軍の四軍調整官が腕を組んで興奮して応対する姿は、オスプレイが海に落ちたを“不時着”と“墜落”で言い争うのと同じ不愉快さと不安を私に与えた。腕を組む代わりに、軍人らしくキリッと姿勢を正し、真摯に何が起こったかを伝えられなかったものか。腕組みが日本とアメリカの溝をひろげ、日本政府と沖縄の基地反対派住民との間に割って入り、不信をつのらせる。

 昨夜、ロシアのプーチン大統領が2時間半遅れで来日した。安倍首相は腕組みして迎えていたらどうなっただろう。一方的な腕組みは、人間関係にも外交にも国際紛争の解決には百害あって一利なしである。腕組みしたままでは、握手ができない。抱きしめることもできない。腕をほどいて、握手して、お互いを主張する。そうすれば時間がかかっても、解決の可能性は残る。腕組みしたら、時間が止まってしまう。腕組みは、話し合う、対峙する人の前ですることではない。一人になって熟考するときにかぎる。


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