団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

緊急入院

2012年12月18日 | Weblog

 12月15日土曜日。妻は土曜日出勤の日だった。妻を駅へ送った後、私は車の定期点検のために東京の車販売会社へ一人で運転して出かけた。午後妻の勤めが終ったら新宿の高島屋で落ち合って、買い物して帰宅する予定だった。車の点検は10時に入庫して1時間半で終った。3時間はかかると思ったので時間をどうすごそうかと困った。土曜日でクリスマス前の週末なのでそろそろデパートも混むのではと推測した。とりあえず高島屋の地下駐車場へ車を入れておこうと考えた。やはり駐車場に入る車が列になっていた。2、30分でやっと駐車できた。

 デパート内をあちこち歩いて時間を潰していた。携帯電話にメールの着信音が鳴った。「おなかが少し痛くなったので内科に診てもらったら入院するように言われました。高島屋には行けないので病院へ来て下さい。ゴメンナサイ」さあ大変。妻は日頃、自分の売りは健康なことと広言している。小中高と皆勤賞をもらっている。その妻がつい最近脱水症になった。何かなければと心配していた。みずほ銀行のオネエチャンに税務署へ提出する確定申告書類のことで意地悪されて精神的にも参っていた。とにかく病院へ行くことにした。幸いにも高島屋から妻が勤務する入院した病院は近かった。

 車を運転しながら襲い掛かる妄想と闘った。ネパールに住んでいた時、胃が痛いというのでタイのバンコクで精密検査を受けたら、胃に穴が開いていた痕跡があると診断された。ネパールの生活が相当なストレスであったに違いない。内視鏡で痕跡から組織を採取して病理検査をしたが悪性ではなかった。チュニジアでは私が狭心症の発作を起こし、帰国してバイパス手術を受けた。6ヶ月間妻は一人でチュニジアでがんばった。ロシアのサハリンでは、私の体調が思わしくなく単身赴任状態になった。妻は原因不明の頭痛とふらつきのために救急車でアメリカの石油会社が派遣していた医者のクリニックに搬送された。東京に一時帰国して精密検査を受けたが原因も病気も見つからなかった。私と一緒にいる時には発症しない。

 今回も原因不明の病気なのか。もしくは重大な疾患を妻はかかえているのかも。手術するのか。死んでしまったら私はどうすればいいのか。車でたった10分の距離がまるで数時間の運転したあとのように思えた。車を駐車場に入れた。部屋は501号室だった。ドアを緊張の火花を散らせてノックした。「ハイ」とか細い声がした。妻は白衣のまま点滴をして横たわっていた。私が病院のベッドにいても違和感はない。白衣のままの妻の姿は、私の不安をさらに高めた。

 病名がわかった。腸炎による小腸の閉塞だった。原因はこれからの検査で判るかもしれない。病院で具合が悪くなったのは、せめてもの救いであった。すべてを医師やスタッフにお願いして帰宅した。その晩ずいぶん痛みがあったようだ。それも当直の医師の適切な治療で切り抜けた。日曜日は投票を済ませて東京へ向かった。峠は越したようだった。4時間一緒にいた。笑いをとろうと冗談をいくつか試みたが、どれも白けるだけだった。冷たい迎える人もいない灯りもついていない家に戻った。

 月曜日、妻は退院して午後は診療するまでに快復したとメールをくれた。夕方いつものように駅の改札を出てきた妻は、拝みたいほど神々しく見えた。


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