高倉健が一年に一度善光寺を参拝すると9月11日掲載のブログに書いた。その後妻が「あなたが読みたいと思って。新刊コーナーにあったから」と図書館で見つけたといって『高倉健インタヴューズ』野地秩嘉著 プレジデント社 1680円を借りてきてくれた。
モッタイなくて、なかなか読み出せなかった。読み出すと一気に読み進み3時間で読み終えた。この本の中で疑問が解けた。高倉健が善光寺へ来る訳が書いてあるのを見つけた。あきらめていた疑問が氷解する。気分がいいことこの上ない。嬉しい。読書で膝を叩く時はそうないことだ。もう人に話したくてたまらなくなる。ブログは正にこんな時この欲求を満たしてくれる良い方法だ。
「月刊文芸誌の『すばる』に『姥ざかり花の旅笠―小田宅子の『東路日記』という話が連載されています。・・・僕の五代前の先祖が残した日記を題材にしたものなんです。・・・主人公の小田宅子は九州から善光寺、そして江戸まで旅しているんです。考えてみれば僕は善光寺の2月3日の節分会には37回連続で行っています。最初の3年目まではお金のためだった。主演のギャラが1本で二万円だったときに、豆まきをやったら五万円もくれたのだから。『行かせてください』って僕のほうからお願いしていたくらい。でも、その後は自分でもなぜだかわからず、善光寺へ足が向いていた。節分の前になると落ち着かない気分になって・・・・』どうしてかわからないけれど、善光寺へ行くと気持がよかった。・・・・100年以上前、先祖が佇んだところで僕が佇む。そこへ行くと、先祖がそこへ行こうと思った気持を理解できるように思えた。旅がスキなのは体の中に流れる血なんでしょう」79~82ページ
また妻がバツイチの経験者である私をウッテツケの解答者と判断して尋ねたのであろう「高倉健はどうして江利チエミと結婚して離婚しちゃったの?」の質問にも答えになりうる文章を見つけた。「浜松航空自衛隊の基地にロケに行っていたころ、町で『赤帽子』という評判の占いのおじいさんがいた。結婚の前年くらいでしたか、こっそりその人に見てもらったことがあるんです。・・・名前を見せたら、これはうまくゆくって言われて、うれしくなっちゃってね。・・・」「結婚したてのころ、生まれてはじめて買った新車、ベンツの230SL・・・やっと自宅に届いた夜、・・・夜中の1時ごろでしたか、乗せて走ったんです。そしたら、途中でおろしてくれって言うんです。あなたが走っているところが見たいから、って。で、ぼくがやつの前を行ったり来たり走るんです。そしたらあいつ拍手してくれるんですよ。・・・可愛いなあと思いました。この女のためなら、なんでもできるなあと」
ポストイットでしるしておいたページを開いて、帰宅した妻に読んで聞かせた。涙もろい妻は、目頭を押さえる。つられて私の声はうわずりかすれた。たった1冊の本が私たち夫婦を共通の話題で1時間を超える会話を与えてくれた。朗読する。その感想意見をお互いが話す。私が妻と結婚しようと考え始めたのは「この人といつまでも、もっともっと話したい」と強く思った時からである。新しいはなしの種をあちこちで仕入れ、「これは話さなければ」といまだに尽きることなく続く。