団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

君よフン怒のパイプを渡れ

2012年10月15日 | Weblog

  朝の定期便を終えて立ち上がった瞬間、「ポッ チャ~ン」と音がした。「万歩計」と最初に考えた。でもズボンも下着も床まで下げてある。だから万歩計は下にあるはず。では何が落ちたか。落ちたものが何かわからない状況に慌てふためいた。やっとベルトに万歩計がないのを確認できた。どうしよう。このトイレは立ち上がると瞬きする間もなく自動洗浄される。つまりすべてが流されてしまう。

  手を入れれば見つけることができるかもしれない。そういえば以前、日本航空の国際便でトイレの詰まりをビニールの手袋でかたづけていた乗務員を偶然見てしまった。それはそれは綺麗でスタイルのいい女性乗務員だった。国際便の乗務員は、華やかであこがれの職業だ。その一挙一動は私の夢を打ち砕いた。大変な職業だという見方に変わった。私は、あの時の乗務員と同じことをしなければならない状況にいた。できない。手袋がない。あってもできない。「自分の体から出たモノだぞ」「やれ」「できない」 欧米では便器の中で洗濯をする人もいるという。

  ウォシュレットの裏に水を停める弁があるかもしれない。覗く。ない。弁もハンドルも、なにもない。コントロールパネルを読む。それらしき緊急指示はない。絶望感が襲う。誰にも見せられない姿のまま呆然と立ちすくむ。「グォ~~――」と便器の中はすべてが渦に巻き込まれて暗黒の未知のパイプの奥へ奥へと勢い良く吸いこまれていった。万歩計の最後の姿をひと目見ておこうと目を凝らす。万歩計の長方形の黒いプラスチックケース。渦巻きを見つめる。なかった。いったいこの先万歩計はどうなるのかと思いをめぐらせた。「どこかのツマリで万歩計がひっかかり、パイプが詰まって汚水が逆流して便器から噴出すかもしれない」「イヤ、流れ流れて下水処理場まで行き着き化学的に処理され融けてしまうかもしれない」 妄想が私を憂鬱にする。時間にすればたった数十秒の出来事だった。私はまるで宇宙旅行に出て地球に戻ってきたくらいに感じた。

  ネパールに住んでいた時、姪からおみやげでもらった“たまごっち万歩計”をトイレに落としたことがある。自動洗浄でなかったのでレバーを下げさえしなければ流れなかった。落ち着いて倉庫から炭バサミを持って来て掴み上げた。洗ってから万歩計のフタを開けると「旅に出ます。さがさないでください」と文字が並んだ。そして消えた。ただのオモチャに思えなかった。まるでたまごっち万歩計が実際のメッセージを残したとしか考えられなかった。

  今回旅に出してしまった万歩計は、クリップ式のものだ。ベルトに挟むだけの簡単な仕掛けになっている。そのクリップがはずれ、はずみでシャツにくっ付いたのかもしれない。私が座ったり立ったりしているうちに、万歩計に手が当たったのかもしれない。今では事の顛末を知る由もない。今後は「備えあれば憂いなし」でベルトに通すタイプの万歩計にするつもりだ。万歩計には済まないことをした。最後に何を私に伝えたかったのか。まさか「君よフン怒のパイプを渡れ」では。


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