団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

誰につく

2012年10月09日 | Weblog

 自民党の総裁選挙、民主党の代表選挙が終わった。国会議員にとって、誰につくか、つまり誰に投票するかを公にすることは、その後の役出世を左右する。だれの人生においても、会社内、役所内、学校内、あらゆる組織や地域環境内で誰につくかで、進む道を大きく決定付ける。

  選択は人生の常である。若い頃はあれもこれもと懲りずに追いかけた。結婚前の「この女性を伴侶にすることは正しいのか」の葛藤は凄まじかった。芸能界でしばらく前にある男優が二股をかけていただの三股だと騒がれた。誰にも迷いがある。誰かとすでに付き合って、結婚を考えていても、隣の芝生は青く見えてしまう。結婚前の迷いは、必然かもしれない。あれだけ迷って私の最初の結婚は結局、失敗した。

 今の妻と再婚するとき、私は何事においても妻についてゆくと決めた。そう思えたのは、妻から「あなたは、すでに他の人の一生も二生分も人生経験をしたのだから、残りは私にちょうだい」と言われたのも一因だった。離婚後、二人の子たちを大学卒業させたら死んでもいいと思った。ガムシャラだった。それに加えて知人の保証人となり大きな負債を弁済まで背負い込んだ。自分の会社まで経営不振にしてしまった。何とか首の皮一枚のところに踏みとどまることができた。多くの難問を時間が解決してくれた。子育てに集中して無事目的を達成できた。私は事業運営にも適正がないとはっきりと思い知らされた。自分自身の限界を直視して吹っ切れた。そして44歳で再婚するとき自分に誓った。「一度は失いかけた人生だ。これからはすべての選択において妻を選ぶ」 その後次から次と選択が襲い掛かった。子どもか妻か。私の仕事か妻か。男の沽券か妻か。私の親か妻か。妻の両親か妻か。浮気か妻か。全てに妻を選びきった。そのお陰で20年が無事過ぎた。前の結婚は7年しかもたなかった。

  選択を目の前にすれば、妻の視点価値観を重視するよう努力した。無理して、そうしていた時期もある。時間が経つにつれ、この方法が私たち夫婦に一番適していることがわかってきた。随分時間がかかった。平坦な道ばかりではなかった。卑屈の雲に私の心が占領されることもある。それでも後悔はない。赤塚不二夫ではないが「これでいいのだ」の心境にいたっている。

 10月10日で結婚21年の記念日を迎える。その直前の8日の夕方、京都大学の山中伸弥教授がノーベル賞受賞決定のニュースが飛び込んできた。妻は元医学研究者の立場で山中教授の受賞に涙した。私は彼を支えてきた彼の妻に思いを馳せた。誰につくかで人生は決まる。夫婦関係はくっつきの最小単位のひとつであってさえ、最強にも最悪にも成り得る。こころ新たに、私設ノーベル賞である最強のままの最後をめざす。


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