世の中の喧噪から逃れようという魂胆で読み出した『キノコの教え』(小川眞著 岩波新書 800円+税)にこう書いてあった。
「相手の成長を抑えたり、殺したりしていたのでは、共生は成り立たない。パートナーが死ねば、自分の生存も危うくなるというのが、本当の共生であり、双方がお互いに譲り合って、暮らすほかないのである」(215ページ) まるで人間社会のことのようだが、実はキノコの共生について書いているのである。そして続く。今度は人間社会のこと。「共生は、まず相手を対等と認めるところから始まる。もし、自分のほうがより優れていると思えば、相手を軽んじて抑圧することになり、劣っていると思えば、卑屈になって妬ましく思うようになる。『優越感と劣等感』『嫉妬と羨望』は、個人から国家社会の段階にレベルが上がるにつれて、強烈な破壊エネルギーを生み出し、戦争へのきっかけとなってきた。現実問題として、完全に対等、もしくは平等ということはありえないかもしれないが、自分を知り、相手の長所を認めれば、折れ合う機会を見つけることができるはずである」(217ページ)
尖閣問題が緊迫した状況になってから、テレビのニュースやニュース番組の視聴率が上がったという。それほど日本国民がことの成り行きを固唾を呑んで見守っていることになる。しかしどのニュースに登場するテレビ局が選んだ解説者の分析や意見も私を納得させない。ならばラジオならとまともな話が聴けるかとラジオを聴く。テレビよりずっとましだ。解説者に割り振られる時間も長い。だが問題が大きすぎ複雑すぎて20分30分の解説では、聴いている私は消化不良を起こしてしまう。私の精神的緊張が増すばかりだった。私はまったく違う世界に逃げようと考えた。
前回は『植物はすごい』(田中修著 中公新書)で脱出に成功した。今回は植物よりはるかに原始的な菌類なら更に逃避向きかもと本を探した。見つけたのが『キノコの教え』だった。
キノコと云えば、私の人生に大きな影響を与えた三人は、キノコとの関わりが深い。一人はカナダ留学中、当時カルガリー大学の菌類学の平塚教授、二人目はキノコ採りが本職と言ってはばからない妻の高校の恩師でgooブログ『新山の恵み里の恵み』先生、そして三人目は拙著『サハリン 旅のはじまり』のサハリンのリンさんである。特にサハリンでリンさんとたった二人、ヒグマが歩き回る山中原野でキノコを求めて過した時間は、私の極めつけのキノコ人生だった。私の魚釣りとキノコ採りは、サハリンで幕を降ろした。
嫌な問題から逃げようと読み出した『キノコの教え』だった。読み始めた日、用事で東京へ行き、新宿高島屋の地下の紀伊國屋で私の一番好きなキノコ、イタリアの生のポルチーニを見つけ、迷うことなく買った。ひとカゴ1670円だった。(写真参照)日本ではヤマドリダケと呼ぶキノコである。夕食に料理して妻と食べた。美味かった。夜再び読み出した『キノコの教え』にもヤマドリダケは登場する。いやがうえにも私の気分は高揚した。
逃避するために読み出した『キノコの教え』だったが、結局第8章の217ページで現実に引き戻された。でもテレビでもラジオでも与えられなかった希望がふつふつと湧いてきた。私もキノコに教えられた。
更に今年のキノコはどうかとあれこれ気を揉むGooブログ『新山の恵み里の恵み』の9月17日付けブログで身につまされつつも大いに励まされた。人にも国にも当てはまる。元気出せ、ニッポン。
「『人間五十年』。賞味期限を20年も超えちゃった。60を過ぎた頃から、徐々に静かに衰えはじめ72を目前に、突然昏倒。破局!『カタストロフィー理論』。40年ほど前、ある数学者の講演で耳にしたことば。拡大にせよ縮小にせよ、変化は徐々に進行するが、極大もしくは極小(つまりゼロ)に達する直前、必ずプッツン、破局を迎える。んだってさ。いいねえ、理論通り。数学的に証明された(かどうかは知らないけれど)からには、何も心配いらない。これからは「落穂ひろい」、明るく気楽に元気にいきませう」