反日デモが中国全土に拡がり、中国各地に住む日本人や日本人観光客にまで被害が及んでいる。日本中が固唾を呑み戦争の悪夢に脅えつつ事態を見守っている。
拙著『ニッポン人?!』(青林堂 1143円+税)(近日グーグルとアップルから電子書籍として発刊決定認可待ち価格250円予定)の巻頭にこう書いた。「はじめに: 『ニッポン人』と常に意識して生活している人は、少ないだろうと思う。国籍は、多分に外的要因に問われ、意識する場合が多い。日本に生まれて届けを提出すれば、日本人として名前で社会に登録され、認識され、当たり前のように存在している。大方、日本国籍を持っていても、『ニッポン人』を意識できない。異なるものが存在することによって、初めて自分を認識できる。・・・・・・・・いろいろな国で私は、政治思想、宗教、人種、国籍、階級、身分、学歴、貧富の差などに関わらず、ひとりの人間として、『?』『!』を感じた。その経験を伝えたい思いで、この本を書いた。私が『ニッポン人』のひとりとして世界のあちこちで出会った多くの人々。良い思い出あり、嫌な思い出もある。その思い出ひとつひとつが、私を『ニッポン人』として成長させてくれた。心から感謝したい」
まだ原稿の段階で出版社から「疑問符?と感嘆符!を並べる場合、感嘆符!が先に来て疑問符?が後に来て『!?』となります。訂正してください」と言われた。「やはり、きたな」と内心で思いながら、私は説明した。この本では、まず「ニッポン人?」と尋ねられて、それから話が始まって、最後に「ニッポン人!」で終る骨組みなので、「?!」を替えられないと伝えた。
今回の中国の反日デモの影響によって中国全土で「ニッポン人か?」が横行してまるで日本人狩りの様相である。中国人も日本人も人種的には類モンゴル人種群(英語:Mongoloid)である。この人種の定義は、広辞苑にこう記されている:「黄色ないし黄褐色の皮膚と、黒ないし黒褐色の直毛状の頭髪とを主な特徴として分類され、眼瞼の皮下脂肪の厚いこと、蒙古襞(ひだ)、乳児に蒙古斑の頻度がきわめて高いことも特徴。日本人・朝鮮人・中国人を含むアジア・モンゴライドのほか、インドネシア・マレー人・ポリネシア人・アメリカ先住民が含まれる」私はこの定義に「メンツに執着し感情的に行動を取りやすく、論理的に言動したり行動することが苦手」を加える。
合計して20年以上の私の海外生活において、いきなり「ニッポン人?」と尋ねられた経験は少ない。何と言っても一番多かったのは、中国人を指す「シノワ」(フランス語:中国人)である。韓国人、香港人とも尋ねられた。カナダやアメリカではアメリカ先住民に間違われ「あなたの部族は?」と聞かれたこともある。白人や黒人の中にニッポン人がひとり混じれば、三大人種のうちの類モンゴル人種群しか残っていないので分かり易い。しかし日本人が中国や韓国で紛れ込めば、そう簡単に見分けはつかない。日本人の中には「中国人、韓国人と日本人は絶対に違う。自分にはその違いがはっきり分かる。見分けがつく」と言う人もいる。おそらくそういう人は、人類学者としても相当優秀な人なのだろう。
14年にわたった外務省の医務官の妻に同行して暮らした国々(ネパール、セネガル、旧ユーゴスラビア、クロアチア、チュニジア、ロシア)で、私はもっとも安全に歩きまわれる服装基準を学ぶことができた。それは現地の普通の人々の普段着を観察して真似ることだった。どこに住んでも、まずそこの普通の市場や商店で普通の衣類を買った。異人種の中で肌の色や顔立ちはひとり目立っていたが、それでもこの服装が人々に受け入れられ、言葉や小石だけの差別で終ったと信じている。
類モンゴル人種群の日本人が同じ類モンゴル人種群の中国人や韓国人の反日分子の中に紛れ込めば、白人種、黒人種に混じるよりは、見つけられにくい。現に中国人が日本人に間違われてデモ参加者から集団暴行を受けた事例もある。危険な所に出かけないといっても、生活するには外に出なければならない用事もある。中国の反日も韓国の反日も在住一般日本人への暴力や嫌がらせが心配だ。更に戦争を絶対に避けなければならない。
俳優高倉健がNHKテレビの番組『プロフェッショナル 仕事の流儀』で語った。「映画俳優がどんな役を演じてきって映画を撮り終えても、できた映画に役者でない自分個人の気持が赤裸々に映ってしまっている。だから自分の演技は完成することがない。次こそもっと上を目指さなければならないと思う」 言葉や格好仕草や服装で演技しても、最後は気持が全てを決めという。日本人が「ニッポン人?」と尋ねられ、他国民になりすますのは悲しすぎる。「私はニッポン人ですが、あなたたちと平和に暮らしたい」と心の底からの強い気持ちで堂々と言えない、双方の未熟さが辛い。
平和憲法の気持を前面に出しても理解されることはない。対話さえできない。軍隊を持たずに平和憲法を維持するならば、日本人はとことん平和の気持を他の国々に伝えなければならない。ここまで築き上げた気持を、ここでご破算にして再び暴力には暴力で立ち向う戦前の日本に逆戻りするのか。孤高な現時点に踏みとどまり、世界が日本の気持を理解できるのを何年かかっても待つのかの分かれ目に来ている気がしてならない。荒れ狂う中国や韓国の反日群集の行動があっても、日本国民の大半は、荒れ狂って中国大使館韓国大使館にデモをかけ大使館本来の業務を妨害して国旗を燃やし物を投げることもしないし、中国人韓国人狩りをして復讐することもなく、中国製品韓国製品の不買運動をおこすこともない。弱虫で覚悟がないとの批判もある。戦争を避けることは、決して弱虫でない。それどころか、とても覚悟と勇気がいることだ。私はこういう日本が大好きだ。
英国で「日本人はジャップリッシュ(ジャップは侮蔑語でも差別語でもなくブリティッシュに似せてリッシュを接尾語として授与された造語である)と呼んでもいいほどマナーの良い国民である」と評された。これは変化である。まだまだ気が遠くなるほど時間はかかるだろうが、少しずつ日本を理解する国々もでてきている。日本人も変わってきた。今になって政府を、政治屋を、官僚を、学者を、教育を、家庭を非難しても始まらない。理性的で品格を持てるまでにやっとたどりついた日本の大方の一般国民の渇望する平和追求の気持が、この国を守ってくれることを期待する。不安と心配に押しつぶされそうだが、日本人の、人類の、知恵と理性を信じたい。