小中高の夏休みが終ったようだ。8月30日(木)鎌倉での学習会に出席するために朝早く家を出た。ちょうど通学時間と重なった。バス停から駅までバスで行った。バスは小学生でいっぱいだった。夏休みの宿題や内履き、座布団などで各自大変な荷物である。バス停「小学校前」で乗降口に立っていた私は、一旦降りて小学生がすべて降りるまで車外で待った。
1960年代アメリカ人のキリスト教宣教師が軽井沢に多く住んでいた。17歳の高校生だった私は、カナダへの留学が決まり、英語と向こうでの生活に慣れるために聖書学院の寮に入り、全員で7人しかいない宣教師の子供の小学校で学んだ。ある日その小学校の生徒が夏休みのことを話しだした。その学校も夏休みは6月初旬から九月初旬までの3箇月だった。あまりの長期間に驚いた。そしてアメリカ人の子供は「日本の高校は夏休みどれくらいあるの」と高校生の私に尋ねた。「4週間くらい」と答えた。するとティミーという子が「日本人は馬鹿だから夏休みが短いのだとお父さんが言っている」と言った。私は腹をたてた。なぜなら休まず遊ばず勤勉であることが日本人の特質だと信じていたからだ。
留学したカナダの学校は幼稚園から大学まである総合キリスト教学園だった。最初に籍を置いた高校は夏休みが3箇月あった。大学は5箇月だった。大学部の5箇月は納得できた。学生が学費を夏休みにアルバイトして稼げるようにという学校側の配慮だった。私のような外国人学生は就労ビザがなくても、学校でひと夏働けば次年度の学費が免除された。土曜日、日曜日、祭日と感謝祭休暇、クリスマス休暇、復活祭休暇を加えると年間登校日はたった150日ほどになってしまう。私は真剣に悩んだ。日本のあの短い休暇でさえ宿題を先延ばしして最終日に絶体絶命の極限状態となった。私の性格でカナダの長い休暇に放り出されたら何をしでかすかわからない。休暇が終れば、それ以前に学んだことは、全部まっさらさらの白紙になっているだろう。そうでなくてもコツコツと学ぶタイプではない。軽井沢でアメリカ人宣教師の子供に言われたことが思い出された。
恐れることはなかった。とにかく授業が日本と比べてゆっくりで、履修内容もゆとりある展開だった。おかげで日本の高校よりずっと成績も良くなった。問題は英語だけだった。英語さえ理解できれば、授業も試験も恐れることはなかった。その英語には随分苦労した。休暇が長いことで英語は人々との日常会話を通して上達した。もちろん他の科目の勉強もした。夏休みが長いことで、時間は充分あった。
断じて、日本人は馬鹿だから夏休みが短い、のではない。それぞれの国や地域の夏休みの長さは、文化や風習や気候風土などの事情で決まる。自分の国が何事に於いても標準と考えてはならない。長いからと優越感を持つことも、短いからと劣等感を持つこともない。世界は広い。「郷に入っては郷に従う」も処世の法であろう。
次から次とバスから降りてゆく小学生たちは、みな学校へ戻れることに屈託なく嬉々としていた。たった4週間たらずの夏休みでも、彼らの多くには、きっと長く感じたのかもしれない。私は運転手に頭を下げられ、再びバスに乗り込んだ。ドアが閉じ、動き出した。バスの中に残っていたのは、小学生に精気を持ち去られたように深くシートに腰掛けた私を含めて4人の乗客だけだった。