団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

アナウンサー

2010年12月30日 | Weblog

 天皇誕生日の会見で天皇陛下は「加齢のことですが、耳がやや遠くなり、周囲の人々には話をするときに少し大きな声で話してくれるように頼んでいます。テレビのニュースなどで、アナウンサーの話していることは分かるのですが、他の人の会話はかなり字幕に頼ります。アナウンサーがこんなに分かりやすく話してくれていることを、以前は考えたこともありませんでした」と言われた。陛下が加齢のことに触れたこと自体、大きな驚きであった。

誰もが歳をとり老いていく。その事実を天皇陛下から聞かされると素直に納得がいくことを不思議に感じた。最近病院で医者に「先生、白髪が一本でたんですが、どうして私に白髪が出たんですか。」という中年以上の年齢の女性の患者が増えているらしい。自分が年齢を重ね老いていくことを受け入れられない人がいる。テレビのコマーシャルでも、やたらに実年齢より少しでも若く見られることを煽り立てるものが多い。老いを自然に受け入れ、平静を保ち、淡々と話す天皇陛下のように、私も歳を重ねられたらと願う。

私は、私の目、耳、脚に老いを感じる。テレビを観ていて、多くの出演者が何を話しているのか聞き取れない。だからラジオをなるべく聞くようにしている。しかしラジオでさえ、アナウンサーによっては、聞き取れないことがある。私だけだと思っていたら、私よりひとまわり若い妻もよく聞き取れないと言う。このところ毎日テレビで観ないことがない池上彰さんは、それこそ天皇陛下が言われた「アナウンサーがこんなに分かりやすく話してくれていること」を地でいくアナウンサーの一人だそうだ。聞き取れるように話してくれる池上さんの人気は、多くの老人に支持されているのだろう。

聞き取りやすいアナウンサーのことを考える時、ローマ時代の野外劇場のことを思う。私は地中海に面するチュニジアに住んでいた時、ドゥッガというローマ時代の遺跡が好きでよく訪れた。観光客もほとんど来ない遺跡が、荒涼たる原野にひっそりと残されている。その中にある野外劇場の観客席に座って時間を過した。私は舞台に向かって半円状に広がる観客席の最上段に座った。電気がない時代、マイクもアンプも使わずに、いったいどうやって舞台に立つ歌手や役者は観客席に万遍に声を届かせることができたのだろうと考えた。声量のない、才能のない歌手や役者は、舞台に立つこともなかったであろう。現代のアナウンサーが、マイクもアンプもないローマ時代の円形劇場で話したら、はたしてどれくらい観客に聞き取れるだろうか。自分の声だけで観客に伝えることのできるものだけがこの舞台に立った。その水準の高さが、長い時間を経て伝統となり、イタリアやヨーロッパのオペラやクラシックにつながったに違いない。

天皇陛下の言われた通りに分かりやすく話してくれるアナウンサーもいれば、聞き取りにくいアナウンサーも多くいる。何を基準にしてアナウンサーやタレントを放送各社が採用しているのかは知らない。野外劇場の舞台にアナウンサー志望者を立たせ、試験官が観客席の最上段にいて、ひとりひとりに実技試験したら、もっと分かりやすい聞き取りやすいアナウンサーが増えるかもしれない。


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