9月11日から12日にかけて、東京から5人の客を迎えた。大きな8人乗りの車でやってきた。12日の朝、富士山を見せたくて芦ノ湖へ客の車に便乗させてもらい案内した。良い天気だったが、富士山だけが雲におおわれていた。成川美術館で芦ノ湖を見渡し、絵画や妻の大好きな万華鏡を見て、小田原へ向かった。小田原で昼食をと、予定していたが、赤ちゃんが泣きだし、どうなだめても泣き止まなかった。小田原の駅で、私たち夫婦を降ろしてもらい、客はそのまま東京へ帰ることになった。電車で家に戻った。
昨夜の残りモノとソーメンで昼食を済ませた。休む間もなく、あと室内を掃除して、シーツや枕カバー、タオルを洗って、ベランダに乾した。ベランダはほとんど干し物で埋め尽くされた。猛暑日が戻り、洗濯日和だった。終わるとぐったり疲れた。寝室のエアコンを効かしてお昼寝をしようとベッドに横になった。電話が鳴った。客がもう東京に到着したのかと、出ると客ではなく、孫だった。先日手配した長野の巨峰が着いたとお礼の電話だった。私が話していると、トイレに行こうとしたのか、妻が寝室のドアを開けた。すると突然「キャァー」と声を上げた。きっとまた何か虫でも見たのだろう、と思いつつも、私は電話を切って寝室を飛び出した。妻は洗面室にいるらしい。ベランダを見た。洗濯物で埋め尽くされたスノコの上を小猿が走り竹林に逃げ込もうとしていた。いるいる。向こうに大人の猿が5匹、小猿が3匹。妻は洗面室にいた。顔が青ざめている。「猿、猿よ。3匹。台所にいたの。バタンと音がして、私を見ると次々と逃げたの。ここから入ったのよ。網戸を開けて」 猿はズラッと並んで、こちらをじっと見つめている。妻の甲高い声にも反応しない。網戸は、私でも開けるのがしんどいほどかたくしぶい。食べるための猿の必死さが、開けたのだろう。
最近、静岡県の三島市近辺で噛み付き猿が何十人という人を噛み、怪我をさせている。いくら小さな猿と云え、集団で襲ってきたら私たち夫婦だってどうされるかわからない。ましてや子連れの動物は、恐いと聞いている。家のすべての窓や引き戸の鍵をかけ、台所を点検した。近所の八百屋では、猿にひんぱんにバナナが盗まれている。みかん屋のおばさんの家では、糖尿病で低血糖対策に買い置きしている氷砂糖をごっそり持っていかれたという。窓際の棚にあったバナナ、みかんはそのままだった。おそらく妻が寝室から出たのは、猿が台所に入った瞬間だったのだろう。昨夜客が持ってきてくれた虎屋の羊羹は、そのままだった。流しの横の調理台には、昼食の残りのソーメンと焼いた太刀魚の切り身とメザシの残りがのっていた。被害はなかったようだ。しかし私の気持ちはどうにも収まらない。
ネパールにいた時、ククリという蛮刀を持った強盗に入られた。妻のカバンがざっくりククリで切り開かれていた。カメラ、高価なクリスタルの置物、私の下着(?不思議)を盗まれた。その時も盗まれたモノより、他人が私の家に入ってきたことを非常に不愉快に思った。それと同じく、今回もその思いにとらわれた。
怪我もさせられず二人が無事であったこと、すこし足跡や手のカタはあるけれど、被害がなかったことは喜ばしい。猿の一団がベランダで雨宿りしたことが過去にあった。マーキングの尿と糞の片付けに苦労した。それ以後は月の一、二回ベランダの前を通り過ぎる程度だった。猿と私たちは、明確に住み分けられていると私は勝手に思っていた。潜在意識の中に強盗や凶悪犯への恐怖がある。夢に見ることもある。これからは猿への警戒が加わった。
落ち着いてから、東京の孫に電話した。急に電話を切った理由を説明し、失礼を謝った。孫は猿の話しを信じられないのだろう。ジジのおとぎ話のように喜んで聞いていた。人間は、決して自然を征服してはいない。こんど孫が訪ねて来たら、ゆっくりそんなことを話してみたい。しばらく夢の中にでてくる強盗や侵入犯の顔は、猿に違いない。
昨夜の残りモノとソーメンで昼食を済ませた。休む間もなく、あと室内を掃除して、シーツや枕カバー、タオルを洗って、ベランダに乾した。ベランダはほとんど干し物で埋め尽くされた。猛暑日が戻り、洗濯日和だった。終わるとぐったり疲れた。寝室のエアコンを効かしてお昼寝をしようとベッドに横になった。電話が鳴った。客がもう東京に到着したのかと、出ると客ではなく、孫だった。先日手配した長野の巨峰が着いたとお礼の電話だった。私が話していると、トイレに行こうとしたのか、妻が寝室のドアを開けた。すると突然「キャァー」と声を上げた。きっとまた何か虫でも見たのだろう、と思いつつも、私は電話を切って寝室を飛び出した。妻は洗面室にいるらしい。ベランダを見た。洗濯物で埋め尽くされたスノコの上を小猿が走り竹林に逃げ込もうとしていた。いるいる。向こうに大人の猿が5匹、小猿が3匹。妻は洗面室にいた。顔が青ざめている。「猿、猿よ。3匹。台所にいたの。バタンと音がして、私を見ると次々と逃げたの。ここから入ったのよ。網戸を開けて」 猿はズラッと並んで、こちらをじっと見つめている。妻の甲高い声にも反応しない。網戸は、私でも開けるのがしんどいほどかたくしぶい。食べるための猿の必死さが、開けたのだろう。
最近、静岡県の三島市近辺で噛み付き猿が何十人という人を噛み、怪我をさせている。いくら小さな猿と云え、集団で襲ってきたら私たち夫婦だってどうされるかわからない。ましてや子連れの動物は、恐いと聞いている。家のすべての窓や引き戸の鍵をかけ、台所を点検した。近所の八百屋では、猿にひんぱんにバナナが盗まれている。みかん屋のおばさんの家では、糖尿病で低血糖対策に買い置きしている氷砂糖をごっそり持っていかれたという。窓際の棚にあったバナナ、みかんはそのままだった。おそらく妻が寝室から出たのは、猿が台所に入った瞬間だったのだろう。昨夜客が持ってきてくれた虎屋の羊羹は、そのままだった。流しの横の調理台には、昼食の残りのソーメンと焼いた太刀魚の切り身とメザシの残りがのっていた。被害はなかったようだ。しかし私の気持ちはどうにも収まらない。
ネパールにいた時、ククリという蛮刀を持った強盗に入られた。妻のカバンがざっくりククリで切り開かれていた。カメラ、高価なクリスタルの置物、私の下着(?不思議)を盗まれた。その時も盗まれたモノより、他人が私の家に入ってきたことを非常に不愉快に思った。それと同じく、今回もその思いにとらわれた。
怪我もさせられず二人が無事であったこと、すこし足跡や手のカタはあるけれど、被害がなかったことは喜ばしい。猿の一団がベランダで雨宿りしたことが過去にあった。マーキングの尿と糞の片付けに苦労した。それ以後は月の一、二回ベランダの前を通り過ぎる程度だった。猿と私たちは、明確に住み分けられていると私は勝手に思っていた。潜在意識の中に強盗や凶悪犯への恐怖がある。夢に見ることもある。これからは猿への警戒が加わった。
落ち着いてから、東京の孫に電話した。急に電話を切った理由を説明し、失礼を謝った。孫は猿の話しを信じられないのだろう。ジジのおとぎ話のように喜んで聞いていた。人間は、決して自然を征服してはいない。こんど孫が訪ねて来たら、ゆっくりそんなことを話してみたい。しばらく夢の中にでてくる強盗や侵入犯の顔は、猿に違いない。