団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

古封筒

2010年01月05日 | Weblog
 母は、毎月の支払いに備えて一円単位でそろえて、古封筒に仕分けしていた。4人の子どもの給食費、電気代、汲み取り代、水道代、などなど。東京生まれでもないのに、金使いに江戸っ子的だらしなさがあった父親は、母のこの仕分けを面白く思っていなかった。金のことでよく夫婦喧嘩をしていた。

 私の金の使い方は、父親に似ていた。だからこそ母親の用意周到さに、地道に質素に生きる母を尊敬する。父も母も貧しい農家の生まれだった。学校も満足に行っていない。父は、貧乏から脱出しようと野心を持ち、ええかっこしいの夢見る見得坊だった。母は、貧乏は懲り懲りと収入の範囲内で質素節約の現実の生活を守った。母の口癖は「支出を収入りより多くしない」「お金は10年で倍になる」だった。母は忠実にこの信条を守り、退職後も年金と貯金で見事に生きている。

 父親は、享年72歳膵臓癌で資産を残すことなく一生を終えた。父は、働き者で子どもをかわいがり、金を惜しまず教育にかけてくれた。父は、自分の財産は、子どもだと言っていた。私の知る限り、ギャンブルにも酒にも女にも縁がなかった。

 子は親の背中を見て育つ、と言う。私の生き様を子どもたちが、いったいどうみているのか。興味はあるが、きっとそれを私が生きているうちに知ることはないだろう。

 私も母に習って、古封筒で孫たちのお年玉の袋を作った。古封筒を手に、はるか昔の正月を想った。古封筒から母がどれほど毎日のやりくりに緊張していたが伝わるようだった。今、毎月ほとんどの支払いは、銀行口座から自動引き落としになる。緊張感のない生活は、人間を退化させている気がしてならない。

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