団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

『打ちのめされるようなすごい本』

2010年01月08日 | Weblog
 米原万理著『打ちのめされるようなすごい本』文春文庫781円+税を読んだ。本の題に失望することが多い。しかし今回は違った。電車の中で読んでいて、久しぶりに降りる駅を通り過ぎてしまったほど“打ちのめされた”。米原万理には何故か親近感を抱いている。米原の肩書きが通訳ということと、米原が清流出版で本を出版したことに勝手に私が親近感を持っている。私もかつて数社の企業で英語の通訳として働いていた。私の最初の本も清流出版からだった。

 米原は、2006年に他界した。題名は、本の出版を企画した誰かがつけたのだろうが、本を実際に読んで、あまりの米原の存在感に私は打ちのめされた。この本は、米原が1995年から2005年までの10年間に読んだ本の書評である。その多くがベストセラーや有名出版社とは無縁の本である。私の興味を引かない本も多い。それでも打ちのめされるように読み続けられるのは、米原の書評が面白いからに違いない。書評と同時に米原のガンとの壮絶な闘病日記でもある。ガンを告知されてから、米原は、ガンに関する本を数多く読破し、その書評には米原の生への気迫さえ感じる。病院や医師との必死の駆け引き、やり取り、会話と治療法の記録は、貴重な証拠、証言である。私がガンだと知ったら、まずこの本を参考にしようと思っている。

 米原は、一日に7冊の本を20年間読み続けたという。バーニス・ルーペンス著『顔のない女』YMS創流社339ページを一時間足らずで読み終えたとある。速読という本の読み方がこの世にあるのは、私も知っている。米原の読書量と読む速さ尋常ではない。私は読むのが遅い。賢くないことが原因であろうが、とにかく遅い。メモを取りながら、考えながら読む。

 私の妻は読むのが早い。妻に米原の読む早さと量を話すと「私は2,3日で1冊ね」と言う。「それも私が面白いと思う本、でも最近つまらない本が多いから、途中で投げ出したくなるけど、私ケチだから仕方なく最後まで読むの」とも言った。私は1ヵ月5~7冊が精一杯である。

 米原は、忙しく世界を飛び回っていた。日本でも数々の要職に就き、通訳の仕事もこなしていた。いったいいつ米原が本を読んでいたのだろう。そこから浮かび上がる米原の日常生活は、一見孤独に感じる。だが米原は、本を通じて人間としての知の宇宙を超高速で飛び回っていたのだろう。そして米原の生活にテレビ、社交、ファッション、宗教がまったく出てこない。それは私を大いに喜ばした。その上、米原が猫5匹、犬3頭、金魚2匹を飼っていたことだ。そんな米原の生き方に共感を覚えるのである。

 私の読書の醍醐味は、本の中で私が日頃感じていること、考えていること、思っていることを、著者の適切な言葉で私をいたく納得させてくれることである。そのような箇所を見つけることは実に少ない。だからこそそういう箇所を求めて本の宇宙を彷徨うのである。

 以前から米原の本は、私を裏切ることなく大いに満足させてくれた。その米原がガンと闘い、果てた。ロシア語の同時通訳者としても優秀だった。私は、語学に優れた人が亡くなると、もの凄い喪失感に沈む。語学の天才とはほど遠いが、私は英語をチョッピリ学んだ。日本語以外の自分の言葉を持てることがどれほど素晴らしいかだけは、経験したつもりだ。だからこそ米原万理のロシア語の知識が米原の死と共に消えたことに、何ともいえないむなしさを抱く。数学者で作家新田次郎の息子、数学者藤原正彦が週刊誌のコラム『管見妄語』で「親父が死んだ時、親父ほどの知性、知識が死んで消えたという喪失感にとらわれた。最近息子に同じことを言われて、嬉しくも哀しかった」と書いていた米原の死を悼む。米原は多くの本を残してくれた。これからは本の中で米原万理とじっくりゆっくり向き合おうと思っている。

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