勤め人だった時代から、会社に軸足は置きつつも、反対の足は結構自由に延ばし、いろんな関わりを持つようにしてきました。
今、私の新しい関わりの中心は「すぎなみ大人塾」という社会教育の場です。
3月までのこの講座の終了時に目指すのは「ソーシャルデザイナー」になること。
「なにそれ?」
言い換えると、自分自身が社会における「つなぎ目」になること。
よけいわからん・・・ですか(笑)
例えば、いろんな人や組織をつなぐ、つなぎなおす、編集するって感じの役割なのかと思います。
そのためには、自分がいかにオープンなネットワークとのつながりを持っているか、あるいは誰がつなぎ目かという嗅覚が働くことが大切なんでしょう。
講座の中で先生が言っていた言葉で、結構、ドキッとした言葉がありました。
『信頼関係のないつながりは、ただ知っているだけである』と・・・
そのことを「ゆるやかなつながり」と呼べるのかと思っていたのに、そもそも、それはつながってないんだ・・・・
久しぶりに、簡単なことを理屈っぽく考えてみたくなったゼ(笑)
信頼関係がない状況での、コミュニケーションは、信頼関係が築かれている状況にくらべ、時間もエネルギーも浪費する。
無論、お互いに、これからもつながっていきたいと思うが故に、コミュニケーションのギャップを埋める労力は惜しいとは思わないが、そこまでして何か「わかちあおう」という思いや、異なる前提条件が障壁になり、その条件にたった少しも妥協点が見出せない時は本当にしんどい。
お客様の苦情対応、もちろんこの時にも一時的あるいは終始この状況に身を置くこともある。
いかに早い段階で信頼関係を作るかは優先順位が非常に高い課題であり、がっぷり四つになれるかは、辛抱強く聴くことに専心し、「わかちあおう」「寄り添おう」という強い思いと、その伝え方にも拠ると思う。
仕事という使命感から解き放たれた、プライベートではどうなんだろう。
自分にも、相手にもなかなか協調行動の可能性が見出せない時、多分、それは「まだ」知っているだけの関係でいる方が楽なんだろうと思う。
少なくともどちらか一方が、利権を主張しすぎたり、強く固執するものを持っていたり、決め付けというレッテルを剥がせない時、いかんともしがたい優先すべき特別な事情がある時に、体力が落ちていたり、気力が萎えてしまうと、どう頑張っても協調モードがつくれない時もある訳で・・・・
もっと怠惰に言うなら、直観レベル・魂レベルで「ムリ」と心底から叫び声が聞こえた時、知ってる関係でいることを選びたいと思うこともあったりして。
しかし、上手く信頼関係を作れないからとて、それはただ「自分にとって」信頼関係を作りやすい人なのか、作りにくい人なのかというだけのことなんだと思います。
それも自分の価値観が無意識に判断していることなんだと思います。
似通った価値観で比較的違和感なくつながるか、異なる価値観を「お互い」が認め合い協調することが大事という前提のもとでつながれる。
でも、この人とは難しい・・・と感じる苦い空気を味わっている時には、「協調モードを作る努力をするか?それとも、一旦保留するか?」そんな考えをもってガス抜きするのが自分のやり方なのかなあとおぼろげに感じています。
何か、長文のわりに最後は無難・・・しかも、結局、グレーなままにしておきます。
「協調行動」という4文字が、妙に心に残っています・
8月に入り、また更新のペースを戻していこうと思っています。
最近、生活者としてもうちょっとまじめに書いた方がいいのかと思っています。
→まあまあ「のほほん」なBlog「Breathe&Stretchな暮らし」
今、私の新しい関わりの中心は「すぎなみ大人塾」という社会教育の場です。
3月までのこの講座の終了時に目指すのは「ソーシャルデザイナー」になること。
「なにそれ?」
言い換えると、自分自身が社会における「つなぎ目」になること。
よけいわからん・・・ですか(笑)
例えば、いろんな人や組織をつなぐ、つなぎなおす、編集するって感じの役割なのかと思います。
そのためには、自分がいかにオープンなネットワークとのつながりを持っているか、あるいは誰がつなぎ目かという嗅覚が働くことが大切なんでしょう。
講座の中で先生が言っていた言葉で、結構、ドキッとした言葉がありました。
『信頼関係のないつながりは、ただ知っているだけである』と・・・
そのことを「ゆるやかなつながり」と呼べるのかと思っていたのに、そもそも、それはつながってないんだ・・・・
久しぶりに、簡単なことを理屈っぽく考えてみたくなったゼ(笑)
信頼関係がない状況での、コミュニケーションは、信頼関係が築かれている状況にくらべ、時間もエネルギーも浪費する。
無論、お互いに、これからもつながっていきたいと思うが故に、コミュニケーションのギャップを埋める労力は惜しいとは思わないが、そこまでして何か「わかちあおう」という思いや、異なる前提条件が障壁になり、その条件にたった少しも妥協点が見出せない時は本当にしんどい。
お客様の苦情対応、もちろんこの時にも一時的あるいは終始この状況に身を置くこともある。
いかに早い段階で信頼関係を作るかは優先順位が非常に高い課題であり、がっぷり四つになれるかは、辛抱強く聴くことに専心し、「わかちあおう」「寄り添おう」という強い思いと、その伝え方にも拠ると思う。
仕事という使命感から解き放たれた、プライベートではどうなんだろう。
自分にも、相手にもなかなか協調行動の可能性が見出せない時、多分、それは「まだ」知っているだけの関係でいる方が楽なんだろうと思う。
少なくともどちらか一方が、利権を主張しすぎたり、強く固執するものを持っていたり、決め付けというレッテルを剥がせない時、いかんともしがたい優先すべき特別な事情がある時に、体力が落ちていたり、気力が萎えてしまうと、どう頑張っても協調モードがつくれない時もある訳で・・・・
もっと怠惰に言うなら、直観レベル・魂レベルで「ムリ」と心底から叫び声が聞こえた時、知ってる関係でいることを選びたいと思うこともあったりして。
しかし、上手く信頼関係を作れないからとて、それはただ「自分にとって」信頼関係を作りやすい人なのか、作りにくい人なのかというだけのことなんだと思います。
それも自分の価値観が無意識に判断していることなんだと思います。
似通った価値観で比較的違和感なくつながるか、異なる価値観を「お互い」が認め合い協調することが大事という前提のもとでつながれる。
でも、この人とは難しい・・・と感じる苦い空気を味わっている時には、「協調モードを作る努力をするか?それとも、一旦保留するか?」そんな考えをもってガス抜きするのが自分のやり方なのかなあとおぼろげに感じています。
何か、長文のわりに最後は無難・・・しかも、結局、グレーなままにしておきます。
「協調行動」という4文字が、妙に心に残っています・
8月に入り、また更新のペースを戻していこうと思っています。
最近、生活者としてもうちょっとまじめに書いた方がいいのかと思っています。
→まあまあ「のほほん」なBlog「Breathe&Stretchな暮らし」
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