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Breathe & Stretch 〜マインドフルネストレーナーのメモ帳〜

縁あって辿りついたマインドフルネストレーナーの仕事。悩みは色々あれど、喜びや楽しみが増えていきますように。

マインドフルネス心理療法での拠点「北陸マインドフルネスセンター」開設。

マインドフルネス心理療法は、第3世代の認知行動療法で、日本ではまだ新しいものです。

北陸マインドフルネスセンター」ではマインドフルネス心理療法のうちの「自己洞察瞑想療法(SIMT)」で
うつ・不安障害の方を中心としたサポートを行っていきます(福井・石川・富山)。

このまま何もしないでいるとメンタルヘルスが悪化し、仕事や家事に支障を来しそうな予感のある方や、
通院しながら急性期は乗り越えたかなと思われている方、お薬を減らして行く過程にある方で、
なるべく自分の力で乗り越えて行きたいとお考えの方は、お気軽にご相談ください。⇒こちら
(病状によっては効果が確認されていないケースがございます。診断を受けていらっしゃる方は必ず事前に
お知らせください)

マインドフルネスについて記事更新中。 こちらのブログもぜひお立ち寄りください!
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

去り逝く権威者

2006-02-14 00:16:00 | エニアグラム
今日は顧客対応部門で働く人々には衝撃的な1日となったかもしれない。日本のCS(顧客満足)研究・教育を長年にわたり牽引してこられた佐藤知恭先生がお亡くなりになられた。私自身前職・現職ともに佐藤先生とはゆかりのある会社で勤務をしていることもあり、その偉大さはよく存知あげている。

個人的には昨年2度佐藤先生にお世話になった。2005年2月には私が在籍する消費者対応研究会の企画で講演をお願いし、私は司会進行を担当した。印象に残っているのは「顧客対応窓口に勤める人たちは勉強が足りなーい」と絶叫されたことだ。また、息子・娘にはさせたくない仕事とも言われる顧客対応(苦情対応)窓口の仕事だが、この部門に「異動になったら赤飯を炊いてお祝いをすべきだ!」というのも元気がでる言葉だった。終始、私たちを叱咤激励し、明日の顧客対応部門が会社において価値ある部門になるにはどうあらねばならないのか熱っぽくお話をいただいたことが思い出される。

2005年6月には佐藤先生主宰の「顧客ロイヤルティ研究会」で「エニアグラムを取り入れた顧客対応の研究」と題し、消費者対応研究会の研究の成果を発表させていただいた。この時、私は資料作成と発表を担当したのだが、業務が重たい中で、疲れもピークに達しており連日ふらふらになり準備をしたことが懐かしい。また発表を通して顧客対応にあたる者がエニアグラムを学ぶことにどんな意義があるのかも整理できた。交流分析や産業カウンセリングを学ぶようになった今、その時のことを振り返るとずいぶん蒼い発表内容だったと思うが、私たちの新しいチャレンジを本当に暖かく見守ってくださり、とてもやさしいお言葉をいただいて感激したことが甦って来る。

「CSの教科書」を執筆中にお亡くなりになったそうだ。最後の最後まで注がれたCSへの情熱は佐藤先生の下で学ばれた多くの門下生に受け継がれ、顧客対応部門の勤務者に学び継がれていくと思う。

本棚に佐藤先生の本が5冊ある。読み返してみたいと思う。
(読まれたことのない方のために最も手に入れやすい入門書をご紹介しておきますね)

そして、心よりご冥福をお祈りいたします。

あなたが創る顧客満足 - 基本のキホン

日本経済新聞社

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今と少し先だけ

2006-01-28 22:40:05 | エニアグラム
昨日は、朝から消費者代表として委員をしているある会社の会議に出て、その足で2月から行く会社のマネージャーと今後の仕事について話をする。どちらの話も刺激的で寝不足の体もさすがに背筋が伸びる。新宿に向かい、高島屋で職場の皆さんにお別れのお菓子を選ぶ。お別れでなければ楽しいお菓子選びなのに。両手いっぱいになる。日曜日から出かける草津・伊香保の旅のバスのチケットを急いで買って、職場へ。最後のメールのチェックと返信、皆さんへの挨拶を済ませ歓送迎会へ。

他愛もない話で穏やかな時間を過ごす。隣はわが良き友、タイプ6のYさん、そのまま朝4時まで飲むことになろうとはこの時予想もせず・・・・(苦笑)2次会・3次会とYさんと課長とはしご。Yさんの引越ししたばかりのお宅でお泊り、12時まで2人とも爆発的睡眠。なかなか帰れない居心地の良さ。ずーっと話し込む2人。彼女ももう今の職場を離れることを考えている。お互いの未来のことを話す。そして自分のことを話す。

私は、歴史や死後の世界、形のないものや見えないものについての話は完全に聞き手に回る。自分の心配事についてもほとんど話をしない。確信の持てること以外はあまり話題にしないかも。あぁでもない、こうでもないと考えたり、空想したり、そのことについて話すのは好きではない。多分、実際に見たり、聞いたり、試したりして確かめた方が早いからだと思う。希望を語ることは好きだ。今と少し先のこと、近い将来なりたい自分になるための手段を計画したりそのことを語ることは好きみたいだ。お金に対しての感覚はタイプ6とは全く違うこともわかった。お金の使い方は派手でもないが貯蓄に対して全く大雑把である。このあたりはよく考える必要がある。結構、形の残らないものに使っているような・・・交際費・教養費あたりか?

明日からの「湯治の旅」には世界史についての本と先日紹介した「My Life」を念のため持っていく。自分のことは気が向いたら書く。湯めぐりときれいなものに触れることに時間を使おうと思うが、宿では日ごろゆっくり読めない本を読み、きれいな音楽を聴いて、ゆっくり肌のお手当てをし、そして完全にスイッチを切ろう。今と少し先のことも忘れて。
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関係の持つ力を信じる

2006-01-20 00:18:09 | エニアグラム
私は「タイプ6」の方が好きだ。しかし、同時に「タイプ6」の方の「タイプ3」の人への苦手意識を聴くと毎度へこんでしまう私もいる(泣)。

実際に、私の親しい人の中には「タイプ6」の人が数名いる。個人的には良い関係を築いていると勝手に思い込んでいる。何度か書いたと思うが、彼らの危機管理ポイントは私と全く違っており、仕事で組むと「心配ポイント」がそれぞれ違うので、それぞれ「心配を分担する関係」ができる。いざ何かおこった時の対処はそれぞれの心配担当者のリードでなんだかんだ言って上手くいくことが多いからだ。(でも過剰な心配に呆然とする時もあります。)

エニアグラムに関する書物には「タイプ6」は「矛盾」「疑念」に敏感とあるが、彼らとの良い関係は私には自信や安堵に値する。なにせインチキ臭い傾向にある自分が信用され、受け容れてもらえいているのだから。しかし、最近思うことなのだが、私という人間を信用しているというよりも、困難を乗り越えてきた時空を経てつながった関係に信頼が寄せられているような気がする。

話は変わり、先日、仕事で超イレギュラーな応援を「タイプ8」の上司に依頼した。あいにく終業後に何度か連絡をしたが朝までつかず、指示命令系統を乱すことを嫌う彼女に、結局は恐る恐る事後報告をした。多くの場合「そういうのは必ず私を通してください」と言う彼女だったが、今回は私の心配をよそに期待以上の応援をしてくれた。「タイプ1」の同僚も、いろんな情報をくれて、最後の最後まで私を助けてくれた。これが、「タイプ8」「タイプ1」ガッツセンターの心意気というものなのだろうか?本当にありがたかった。無理かもしれないとか、却下されるかもしれないとこれまで築いてきた関係の力を信じられなかった自分が少し情けなかったり。

退職までカウントダウンとなった。

人を信頼することや、人から信頼されることは時に難しく感じることもある。しかし、私が仕事の中で「偏愛するもの」「使命」それは「お客様対応部門で働く人をコミュニケーションでサポートすること」なのであるが、そのことを中心に築いてきた信頼関係は意外にも最後は私に優しかった。強すぎる私の執着は受け入れられることはないと思って卑屈になったこともあった。こんなところにも親密になれない自分がいた。何も卑屈になる必要はなかったと思う。

「使命に基づき偏愛するもの」これが自分だけでなく周囲を動かすエネルギーなっていたのであれば、これからは「情熱」でつながる関係はもっと大切にしていきたい。
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Open Window

2005-12-22 21:12:50 | エニアグラム
隠している自分を解放する、他の人しか知らない自分を知ろうとする。このことによって、自分も相手も知る自分の窓は大きく開かれる。誤解や摩擦のない関わりが可能になるのだと思う。

とは言え、私の知らない私について教えて!なんて言って本当のことを言ってくれる人、とりわけ良いことは言えるとして、耳が痛いことを正直に話してくれる人がゴロゴロいるはずもなく(笑)。

エニアグラムのワークショップにはこれまで5回参加しているが、ファシリテーターの方の質問はとかくこの窓を広げてくれるものである。決して断定的な言い方をしないからこそ、自分の知らない自分を知ってみようという気を起こさせる。私が本気で自分をこじ開けるきっかけになったファシリテーターの方はタイプ8だった。今でも「あなたの言うことはきれい過ぎる」というひとことで心拍数がぐーんと上がった瞬間を忘れることができない。それ以来「言ってること、きれいすぎやしないか?」と自分に問うことを始めた。

現在は産業カウンセラーの講座にも通っているが、傾聴のトレーニングの中で、自分が話したいと思ったら自分を開示するというスタイルで時間を過ごす。私の場合、人からどう思われるのか、ビクビクしながら自分を開示する。しかし、誰も否定せず、こんな私を受け入れてもらえているのだという安堵が、人目に触れられることを恐れてきた自分の弱いところ、汚いところ、ダメダメなところの開放を簡単にしてくれているのだと思う。

自分を過度に隠していた時期や、言いたいことを我慢してきた時期を振り返って思うのは、自分を偽って作った人間関係において自分の誠実さを保証できないということだ。日々のコミュニケーションは相手に合わせて係わり合い方を変えることで充実したものになると思う。しかし、それは自分を偽ることとまったく別のことだと自分に言い聞かせなければならない。

人はすぐに昔の習慣に戻りたがるから。
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Blind Window

2005-12-20 23:58:49 | エニアグラム
「ジョハリの窓」は会社での管理者向けの研修をオブザーブした時に知り、かれこれ3年ぐらいになる。交流分析講座のテキストに出てきて久しぶりに再会ね・・・。

Blind Window(気づかない窓)は「自分が知らない自分で、他人が知っている自分」。そんな、恥ずかしい自分なら知ってしまいたいわ・・・(笑)。(自分の知らない自分は自動的に恥ずかしいものという位置づけ)。交流分析を教わった金井省吾先生からは「はるさんはタイプ4ではないかい?」と言われて2ヶ月。あー、まさしくこの気づかない窓のことを言うのだろう。

結論から言うとタイプ4はウィングだと思う。初めてブログに書くが、私はエニアグラムのタイプは「タイプ3・ウイング4」だと思う。自分の根っこは成功や達成に囚われ、そして「あなたとは違うのよ」というどこか自分を特別視するところがある。しかし、実際の私はタイプ4ほど自分の感情を味わうこともできないし、感情に左右されない。「あなたとは違うのよ」と思う根拠はある。いわゆる「コソ練(こっそり練習)」や「こそ勉(こっそり勉強)」に基づく努力に裏付けられた自信がそうだ。でも、いやらしく隠したりはしないよ。適度に、頑張ってることを話題にしてみたり、カミングアウトしたりする。学生時代に、勉強してなーいとか言って満点取ったりする人のこと嫌いだったから。

それから仕事についての「使命感(ミッション感覚)」も今の職場では枠にはまりきらない。どこにむけてよいのかわからないプロ意識も強い(だからそういうものが求められる会社に移るのだが)。そのことが周囲に対してプレッシャーになってしまうことがあると思う。それが、人によっては、鼻につくとか、やりすぎとか、たいしたことないくせにとか、私には同じことは無理と映っていると思う。だいたいそれは空気で感じるのだが、そういう人には、あたりさわりなく付き合い仕事の成果で静かに差別化しようとする傾向がある。「成果は私を物語る」。一人での仕事はそれでいい。チームでの仕事はチャレンジを望まない人と組むとストレスが・・・・。先に進みたいのに、何で??って。ここは隠された窓。自分のアツい部分はこの職場では知られたくなかったのかもしれない。調和を乱す当事者として「変なヤツ的レッテル」を貼られたくなかったのだろう。そんな自分が嫌だった。もっとやりたい、もっとやれる、そんな気持ちを隠すことができずに退職をする。

退職すると告げて、Open Window(開かれた窓)が大きくなった、いたし方がないことだったと思う。
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まさかの理論派!?

2005-12-20 01:18:06 | エニアグラム
私の会社は人材ビジネス業界だ。

私の業務の中に電話応対について、応対者へのフィードバックの業務がある。今はプロジェクト的な業務の中でしか関わっていない。フィードバックの中にはコーチングのエッセンスが取り入れられることがスタンダードになってきていると感じる。会社の中ではコーチングの考えが比較的浸透していて、多くの上司と話をすると「おっ?コーチング意識してる?」っていう質問が投げかけられる。コーチ21で紹介されている他人との関わり方についての4つのタイプについても仲間うちでは情報共有されている。

4つのタイプの特徴は
・人や物事を支配していく「コントローラー・タイプ」
・人や物事を促進していく「プロモーター・タイプ」
・分析や戦略を立てていく「アナライザー・タイプ」
・全体を支持していく「サポーター・タイプ」
                          (コーチ21のHPより引用)

初めてこのタイプチェックをした時は私は「サポーター・タイプ」だったと思う。しかーし、今はまったく不透明だ。状況によって私の係わり合いは変わりやすいが、強いて言えば、コントローラー・タイプではないことは確かだ。Always「アナライザー・タイプ」でもない。上機嫌の時は「プロモーター・タイプ」、うーん「サポーター・タイプ」でありたいという希望あり。

しかし、どういうわけか「コントローラー・タイプ」の人から「はるさんは、アナライザー・タイプだよね?」って言われるのですよ・・・。先日、10数年ぶりに再開した大学時代の先輩に、学生時代の私について聞いてみたところ「口が達者で理屈っぽいヤツだった」だとさ。その先輩も「コントローラー・タイプ」っぽい。どうやらこのタイプにはそう映る模様(苦笑)

自分が知らなくて他人が知っている自分は「ジョハリの窓」で言うところの「blind self」だ。ホントかどうかは抜きにして、そんな風に映る自分もいるんだなぁ。

しかしながら、エニアグラムでは絶対にヘッドセンターではないと高らかに宣言!どう考えても、考え続ける持久力がない(笑)思考は私のエネルギー源ではないことは確か・・・
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根拠のない成功イメージ

2005-11-21 23:36:51 | エニアグラム
エニアグラム研修報告のブログ記者さんの記事にもあったが、それは私のことだよ・・・(笑)

私は、見た目じゃそんなに自信満々なキャラではないし、一旦は「自信ない」なんて思ったりもしている。ところが「自信ない」と感じた次の瞬間から「んでも、やれば何とかなるっしょ」って気持ちに変換されているのに気づく。そして成功のイメージだけがプロセスを飛び越えて出現。プロセスはもこもこと後から湧いて見えてくる。「何とかなる」と思ったのだから「何とかしなければ」ならなくなる。結果的に何とかしてしまう。

「何とかなる」と思う根拠はなにもない。自分を信じるのみ。恐るべし・・・。この傾向は全く新しいことにチャレンジする時に顕著だ。逆に、既存の事象で、可否や勝負が明確なことには見向きもしないことがあるから極端だ(もちろん「否」や「負」に見向きもしないということだ)。今日はこのことを強く感じた瞬間があったのでメモをしておく。これは紛れもない私を突き動かすエネルギーだ。

根拠はないけどできる、そんなヤツを胡散臭いヤツと思う人もいるだろう。そういえば中級コースではファシリテーターの方に「根拠のない自信家」と呼ばれたもんなぁ・・・

いつも走りながら考える。走りながら何かを身につける。根拠は走りながら見つける。
ゆえに消耗戦。よって毎晩爆睡zzz・・・・(苦笑)

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オリエンタルラジオ

2005-11-20 10:20:15 | エニアグラム
お笑いブームはもう終わる・終わると言われながらも長く続いている。芸人の新陳代謝が良いこともあるし、やはり「芸人」と言われるだけあって、どんどん磨かれていく芸人だって多くいる。

そんな中で私が好きなのは「オリエンタルラジオ」という2人組みだ。名前はあっちゃんとシンゴ。実はTBSの「ゲンセキ」という番組で売れる前から注目していた。「HIP HOPな武勇伝」・・・・独自のリズムで、一見、男前な武勇伝でずっこけさせてくれる。損害保険会社のコールセンターのアルバイトで知り合った2人ということで、私の職場環境にもいそうな感じ。よけい愛おしいわけだ。

昨日の「エンタの神様」の中でこんなネタがあった。2人がゲームをしている時に急に停電になり、シンゴが慌てて懐中電灯やろうそくをあっちゃんに差し出そうとするのだが、あっちゃんは「しゃらくせぇぃー、暗闇の中でこそ自分の輝きを信じろ」とアツく男前にシンゴを斬る。

自分の輝きか・・・なんと蒼く懐かしいフレーズだ。そして、私はなぜこの言葉に反応してしまうのだろうか?

自分の過去をふり返ってみる。長いトンネルの中にいた時、辛抱すればもうすぐ光が見えるはずだと思って辛い時間を過ごした。しかし、自然に光が差してきたのかというとそうではなかった。ある時、自分で窓を開けにいき、そこで見たのはナント!本当の自分だった。そして「自分のエネルギーの素」を確認し、そして自分に「おかえり」と言った。ながらく会うことができなかった自分と再会し、めったに泣かない私が静かに泣いた。

エニアグラムはどんな「囚われ」を持つかによって人を9つのタイプにわけている。ただ単に今、行動に現れていることで判断し、人を9つに分けているのではない。あくまでその人の根っこにある「エネルギーの素」が何なのかに着目している。「この人は、本来どんなエネルギーを持った人なんだ?」とそんなことが仕事(採用)の中でも頭をよぎる。そのエネルギーがうまく発揮されれば「自分の輝き」となる。だから、私ははどんな時に「快」なのか確かめる。そしてその時、周囲はOKなのか確かめる。

自分の中の蒼い部分を刺激するオリエンタルラジオの武勇伝ネタはいつも私を元気にしてくれる。見ている時はバカバカしさと強烈な共感で笑い転げているだけだが、あとからこうして味わえたりする。

大好きだ、オリエンタルラジオ・・・・
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宝物が黄色?

2005-11-01 22:57:37 | エニアグラム
皆さんは幼い頃の思い出を絵に描くとすると、どんな絵を描きますか?

私は、小さい頃は本当に生傷の絶えないいわゆる「じゃじゃ馬娘」。学校でも体育の時間は、特に目立つ存在で、何でも果敢にチャレンジし、球技と器械体操が得意な子供だった。小学生の頃に興じたのは「Sケン(←詳しくはクリック)」。かなり「格闘技系の遊び」かも。簡単に言えば相手の陣地の宝物を奪うというゲームなのだが、子供ながらにいろんな作戦を立てながら、男女対等に取っ組み合いながら戦う、まさに対戦系のゲームに熱中してしまった少女時代・・・それもよりによって、そのチームの司令塔的存在。

そんなゲームに明け暮れていた時期が一番楽しかったようで、エニアグラムの初級ワークショップで、幼い頃の思い出の絵という課題に、私はこの時の絵を描いてしまった。「しまった」というのは訳があって、その時に私は自分が「タイプ1」を想定して参加していたので、クレヨンで画用紙に描きながら「あれっつ?タイプ1ってこんな絵描くのかしら???」と思いつつも、上機嫌でたくさんの友達と対戦している様子を描き進めていた。そして最後に相手の陣地の宝物を描こうとした時に、黄色のクレヨンで、しかも、力強く宝物を黄色で塗りつぶしてしまった・・・(ちなみに宝物は地面に木のきれっぱしで描くので本当は色なんてありません)

「あーーーっ、こんなはずぢゃなーい、誰かこの右手を止めれくれぇぇ」
「『黄色』の宝物?冗談じゃない、それは「タイプ3」が好きそうなものじゃないのー!?」

この「Sケン」というゲームを教えてくださった先生は、私たちに「団結する」ということの大切さを教えるために1年を通じて学級活動に取り入れたのだと思う。私は、小学校4年生ぐらいまでは何の悩みもなく、本当にノビノビしていたと思う。その後あたりからどうもいろんな我慢・試練を経験することになったような・・・

そんな瞬間が、私の「タイプ3」を疑う小さなきっかけになったのでした・・・。また新しい自分探しの旅の始まりに立ちすくんでしまったのが、ちょうど今から半年ほど前のことです。
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宇宙はみえない

2005-10-29 21:34:36 | エニアグラム
先日、ご紹介した呼吸法ですが、息を大きく吸い込む時にイメージしたり、何か言葉の力を用いることを同時にするのが望ましいらしい。

正直言って上手くできた試しがない・・・。イメージするのは「宇宙」とのことだがそのイメージをしながら言葉を心の中でつぶやく、そんな器用なことは私にはほぼ不可能であり、まずは呼吸法のみの実行に止まっている。まあ、できるところからコツコツといこっ。

私の中では、宇宙をイメージしたり、宇宙について考えたり、話したりすることは全く馴染みがない。非現実的だし、到底、関心の対象にならない。根っからの現実主義者?どうしても宇宙をイメージしようとしても、地上から眺める星空やプラネタリウムが映像化されてしまう。何だか想像力が貧困ですね、あたくし・・・ただし、息を吐き出す時には「体内の老廃物がきれいに吐き出されてきれいになったぞ、芯から若返った」と体内がきれいになったイメージは持てるんです(笑)

エニアグラムのワークショップではクレヨンでテーマについて絵を描くのだけど、私は毎度、皆さんの描く絵に感心をしてしまう。「何でそんな絵が描けるのか?」非常に神秘的な絵を描く方に自分との違いをえらく感じてしまう。私から見ると、タイプ2やタイプ4の方の描く絵がそうだ。色使いも何だかフェミニンな感じで全体的にファンタジックだ。そういう私の絵は毎度・毎度、人が描かれている。見直してみると「あなたを木(花)に例えると?」以外の課題は全て人がいる。ある日、初級・中級コースでご一緒した方からも指摘されました。「今日も、人描いてたねぇ~」って。そう言えば、毎回肌色のクレヨンから手にしているもんなぁ・・・見えないものは描けない。抽象的な表現もできない。それが私の描く絵だ。

「現実的で実際的」私のタイプの特徴だ。同じセンターの皆さんとはあまりにも違う私の絵。私のタイプはやはりあのタイプなのだろうか・・・・
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ため息のちに深呼吸

2005-10-28 21:30:20 | エニアグラム
そうだ、エニアグラムに関しての書物では、私のタイプへのアドバイスに、時々やっていることを止めて「深呼吸」をしなさいという記述が多くある。そして瞑想をしなさいと・・・

私のタイプにとって「瞑想」は子育ての次に難しいとリソの本 ::エニアグラム―あなたを知る9つのタイプ 基礎編に書かれている。そんなぁぁーーー。ソレって相当難しいってことじゃないですか・・・・。しかし、最も瞑想しそうにないタイプでありながら、効用が得られやすいらしい。瞑想により突破口を見つけるということか?

ということで、夏あたりから呼吸法を意識し、寝る前に瞑想もどきにチャレンジするもよほどのことがない限り、ほぼベッドに入ると反射的に朝まで爆睡である。最近、夢をみたのはどれくらい前だろうか。記憶にない(苦笑)。呼吸法は電車の中とか電車を待つホームとかそんな時間を使って実践中。私が心がけているのは正心調息法という方法なので、リンクしておきますね(最初はちょっと酸欠になりそうになりますが慣れます・・・あと、腹筋、締まってきたかも)。

最近、確かに呼吸法をサボっていた。呼吸だけじゃなくて「正心」(全てを前向きに考える、感謝の気持ちを忘れない、愚痴を言わない)ってのがミソなんです。再開して、自分を下支えする自分の手を緩めてあげよう。
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とてつもなく大きいため息

2005-10-26 01:05:21 | エニアグラム
満員電車にもかかわらずドア故障で15分ほど閉じ込められて始まった今日。私は大きなため息を5回ほどついた。

帰ってきてから自宅でも大きなため息を1つ。正直言って、好ましくないアクションだが、体の感覚を大切にするとはこのことだろうか、これは間違いなくシリアスな自分のストレスの表れだと思う。ため息の原因は毎回同じような傾向にある。誰にも話せない思いだ。吐き出したいのにいつも胸にしまう。代わりに言葉にならない気持ちが「ため息化」するのだと思う。

私は、自分の仕事の希望や理想を職場の誰にも語ったことがない。あんなに語っておきながら、しゃあしゃあと嘘を言うヤツだと思われると思うがホントだ。基本的に話したところで誰からも理解されないと思うからだ。最悪、勘違いなミッションを笑われるのではないかという恐れもある。他の部署に2人、心からその勘違いなミッションを話せる人がいる。たまに会いに行ったり、メールをしたりする。

私をエネルギーを突き動かすもののひとつに「使命感」がある。「ミッション」という言葉の響きに大抵の場合、駆り立てられる。今の私のミッションは床の間に掲げられた掛け軸のようだ。いや、掲げられていない、封印されているかもしれない。今の組織用に具体的な内容を書き変えなければならないのかもしれないがどうしてもできなくて苦しむ。日々の仕事の中で、この全く違うミッションがひょっこり顔を出し、誤って駆り立てられ、それを鎮める。何やってるんだろうな・・・・

本当の自分は誰からも理解されないはずだ。最近は以前よりは、不快な時は不快だと、嫌なものは嫌と伝えられるようにしている。そういう自分でいいのかは正直わからない。期待されても期待はしない。無関心になりそうな自分を下支えする自分が見えている。
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泣かれる

2005-10-23 23:05:10 | エニアグラム
困るんです。泣かれると・・・ホントに

昨夜は、タイプ6の友人と電話で長く話した。電話に出た時から泣いている。なぜ泣いているのか理解するのにそう時間はかからなかった。しかし、まずは黙って話を聴こう。

自分を責めて泣いているのだね・・・。私から見れば、あなた本人は全く悪くないと思うんだけど、責任を感じているのね・・・。あなたが絡んだ為に友人をつらい目にあわせてしまったのだね・・・。あなたのように責任感が強いとツライだろうね・・・。そんなことが頭の中をぐるぐると回る。

彼女はヘッドセンターだ。泣きながらも頭は冷静に働いている。頭で考えたことは言葉になって、どうしてこんなことになったのか、なんてことをしてしまったのかと自分を責め続けながらも、泣く。私から見ると、すごくパワフルな泣き方だと思う。私もこんな風に泣いてみたい。ちなみに私が泣くとしたら一人の時か、悲しみの対象が目の前にある時だ。自分が泣く時をふり返ってみる。ただただ、自分の感情を押し殺すように静かに泣く。対象が目の前にある時は、変えがたい事実に対して絶望して泣く。自分が受け容れられなかった時に「なぜ?」と悔しくて泣く。しかし、人前で涙を見せることは恥ずかしいことだ。小学生の頃は、泣くと他のクラスの子が見に来るほど泣かない子で有名だったくらいだし。そんなことが頭をかすめる。

彼女の涙は、つらい目に合わせてしまった「友人」を思うがゆえの涙だ。私のココロの中には、正直、彼女の友人の「自己責任」だという思いが充満していた。冷たいのかな、私って。だってもう、彼女の友人は大人なんだしさって。しかし、たまに私の「もう大人なんだし」っていう安易な大人扱いが相手の心のアラームを見逃す時がある。自分では自分のことは自分で解決しないとと思うから、相手に対してもそう望んでしまうのだろう。こんな自分がハートセンターなのかと思うが、それは私のタイプ特有なものだろう。

同調しすぎるのは私のキャラじゃないので、具体的な解決方法で私ができることを提案する。「1人で責任感じなくてもいいよ、手伝うから安心して」と言う。やっと嗚咽が止む。
彼女はヘッドセンターなので具体的な問題解決方法を話すことで、明るい気持ちで電話を切ることはできたと思うが、これがハートセンターだったら同じ方法ではダメだっただろう。もう少し、共感的に聴かなければならなかっただろうなあと思う。

泣かれるのはやはり苦手だ。泣きたい人は、私の前ではきっと泣きづらいだろう。硬直してただ傍にいることはできるかもしれないが、気の利いたことは何も言えないからね(笑)

最後にこのことをブログに書くことを同意してくれた、いつも私に気づきをもたらしてくれる同僚の彼女に感謝します。
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「がんばって!」から考える

2005-10-22 09:09:26 | エニアグラム
私は、日頃から「がんばって!」とか「がんばれ」と言われることはほとんどないし、誰かに言うことも少ない。メールの最後に添えられる「がんばってねぇ~」の社交辞令も、本気で受け取るとちょっとひく場合も(笑)。

私の職場では、業務の特徴からみんな頑張っていると思う。だから、頑張っている人には、それ以上「頑張って」とは言えない。それ以上、頑張ったら病気になっちゃうよ・・・というメンバーだっている。「ご自愛を忘れないでね」という意味でむしろ「がんばるな!」「やすみなさい!」という言葉が飛び交うことの方が多いかもしれない。、ここのところ、休憩時間だって、みんな満足に取れてないもの。

そういう、私は頑張っているか??実は、頑張ることが怖い。これでもか、これでもかと仕事をすることで体を壊したことが「トラウマ」になっているようだ。自分の体のこともわかってきているので、頑張り過ぎないのが自分の課題だ。特に、人前に出る仕事であり、疲れた顔は厳禁だ・・・。ベストコンディションで仕事に臨むことを近年は優先しているような気がする。

こんな私だが、久しぶりに「がんばって!」と言われた。タイプ7の友人からだ。この場合のがんばっての意味は、今の状況で「持ちこたえろ」という意味ではない。投げかけられたメッセージは「勇気を出して」という意味のようだ。失敗を怖がっていては前に進めないよと。勝ち戦しか選ばないという私は、負けること、失敗することは恥ずかしいことと、怖いこと、心の底では思っている・・・・なんてことは既に気づいている。それから、人生はじまって失敗した経験の記憶があまりないが、自分の知らないところで、失敗はしていると思う。自分で思うに気づいていなかったり、失敗だと認めないまま通り過ぎてきた失敗も過去にはあるような気がする。そして、エネルギーは前向きに出がちだけど、何だか失敗しないか選り好みしている自分もいるもんなぁ。そういう私に「勇気を出して、がんばって!」はかなり心に沁みるものだ・・・。

私のお気に入りの不快な感情のひとつに「不全感」がある。勝てない、失敗するだろうからという理由でやらなかったことで、「不全感」を抱えているならこういう、態度は変えて行きたい。たとえ、成功しても、失敗しても「今をより良く生きる選択」をすること、やってだめなら仕方ない。これまでとは「不全感」の質が違ってくると思う。例え、成功・達成できなくても、さわやかな不全感、潔い不全感となるようにしてみたい。自分のことは自分で選べるのだから。ゆえに、自分に投げかける、「負け戦」にもたまには参戦してみよう・・・・
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パワフルな思考

2005-10-13 23:54:36 | エニアグラム
タイプ6の同僚には本当に助けられる。最近、仕事をペアですることが多いので痛感する。

彼女には確かに、タイプ6に特徴的な不安や恐れのような感情が強いと感じることが多い。「大丈夫だよ、そんなに心配しなくても・・・」と思う時も多いが、不安や恐れからくる安全志向が、チームを救ってくれることが多くあって本当に感謝をしたい。

彼女は多くの場合「心配いらない」と実感するまで不安そうだ。私にはどこか結果オーライのところがあるのでその気持ちに気づくのに遅れてしまうことがある。遅れ馳せながらも、どうすればリスクを回避できるかとか、最悪を想定した段取り、こうしておけば気持ち的に安心だ、ということを一緒に考える。二人で知恵を出したり、考えをあわせる時は2人ともエネルギッシュだと思う。彼女は私に物足りなさを感じている可能性はあるが、エニアグラムのタイプはさておき、私はそのような時、成人(A)の状態にあり、タイプ6の彼女のパワフルな思考力に導かれて追従する。てんやわんやの今の時期、そのようなコミュニケーションが適時適切になされるように、私も気づきのスイッチを入れて反応しないと・・。

彼女が自分をタイプ6だと言った時にはとても驚いた。私がワークショップで出会った比較的、物静かなタイプ6の方と大きく違っていたからだ。しかし、タイプ6にも不安や恐れに対抗するように表現する「恐怖対向型」とそうではない「恐怖型」があると言われているが、彼女は「恐怖対抗」的に表現することが多いからかもしれない。仕事もフローや指示に忠実であり、毎度フローが劇的に改善できないかと突飛なことを考えている私とは違って物事に集中できている時は羨ましいと思う時がある。

2人に共通するのは「失敗」の回避という点かもしれない。ちなみに私のタイプは失敗を恐れているのではなく嫌いなのだ。まして、同じ失敗を2度繰り返すなんて屈辱的だ。したがって、私は仕事の中で再発防止策を率先して考える人だ。

そうとは言え、10月にリニューアルした研修パッケージが軌道に載らずいまだに時間通りに終わらないことに気を揉んでいる。何に囚われて、短縮できないのか?効率と効果のバランスに苦慮する日々である。バランス・バランス・バランス・・・

ちなみに、私のエニアグラムのテストのスコアはタイプ6が最も低い・・・・
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