孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

アフガニスタンを蝕む麻薬 貧困との戦い

2007-05-21 21:34:55 | 国際情勢


先程、TVでアフガニスタンの現状報告を見ました。
「潜入!アフガン麻薬無法地帯」といったセンセーショナルなタイトルがつけられていましたが、実態ははるかに深刻で悲惨です。
アフガニスタンのアヘン生産は近年増加し過去最高を記録しているとのこと。
現在世界のアヘン生産の9割をアフガニスタンが占めていること。
アヘン生産、ヘロイン加工が武装勢力の資金源となっており、将来の戦闘に備えていること。
政権当時ケシ栽培を禁止したタリバン自身が現在このアヘン生産を資金源として、その勢力を急速に回復しつつあること。
このため現地で活動を続ける中村医師に言わせると「アフガンの戦乱は今更に拡大しつつある」とのこと。
このようなケシ栽培の背景には十分な灌漑施設もなく旱魃で他の作物を作ることができない貧困に苦しむ多数の農民達が存在していること。
政府は「ケシ栽培との戦い」を行ってはいるが、強権的にケシ栽培地を破壊しても、その後の農民への代替援助が実際にはなされていないこと。
よくある話ではあるが、このアヘン生産には警官・軍部・政府高官も一部加担している腐敗の構造があること。等々。

世界の関心はアフガン後のイラクへ移り、忘れ去られたアフガンでは復興ではなく戦乱が拡大し、麻薬が社会を蝕んでいるようです。
当然蝕まれるのは社会・治安だけでなく、人々の健康そのものも蝕まれていきます。
国連の国際麻薬統制委員会によると、アフガン国内の麻薬常習者は少なくとも100万人、そしてそのうち6万人が15歳以下の児童だそうです。
TVの映像で一番痛ましかったのは、ケシ栽培を行う農家で、食事もままならない貧困状態ですから当然薬なども手に入らず、むずがる乳児に父親が自分が吸ったアヘンの煙を顔に吹きかけている姿でした。
「害があるのはわかっている。でも他にどうすることもできない。こうすれば子供は落ち着き、ゆっくり寝てくれる・・・」父親はそのように語っていました。

かつてタリバン政権がバーミアン大仏を破壊しようとした際の国際世論の非難に対し、タリバンのある者が言ったそうです。
「今世界は、我々が大仏を破壊すると言ったとたんに大騒ぎを始めている。だが、わが国で旱魃で苦しんでいたとき彼らは何をしたか。我々を助けたか。彼らにとっては石の像の方が人間より大切なのだ。そんな国際社会の言うことなど聞いてはならない。」(「大仏破壊」 高木徹著)
著者の高木は「この理屈は正しくない。国際社会が何もしなかった訳ではけっしてない。・・・ただ、そうであるにしてもこの言い分にわずかではあるが説得力の断片を認めるのは私だけだろうか。」の述べている。

灌漑施設の整備、医療体制の確立などをとおして、農民達が苦しむ貧困と戦っていかない限りケシ栽培はなくならず、社会と人々の健康は脅かされ続けることでしょう。
国際的に注目を集める戦乱や事件がおきているときだけでなく、普段の苦境に国際社会がどれだけの救いをさしのべられるかが、アフガンの復興を可能にする鍵です。
そのような活動によってこそ、世界における日本への信頼もつくられていくものと考えます。

写真は昨年正月旅行したタイのチェンマイ郊外。少数民族の観光用ケシ栽培です。
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“真の労働改革” 馴染めない社会

2007-05-20 22:09:06 | 世相

内閣府の規制改革会議の再チャレンジワーキンググループがまとめた労働分野に関する意見書内容が公表されています。

最低賃金の引き上げについては「賃金に見合う生産性を発揮できない労働者の失業をもたらす」と事実上反対。
「労働者保護の色彩が強い労働法制は、企業の正規雇用を敬遠させる。」
「労働者の権利を強めれば、労働者保護が図られるという考え方は誤っている」
女性労働者については「過度に権利を強化すると、雇用を手控えるなど副作用を生じる可能性がある。」
「あらゆる層の労働者のすべてに対して開かれた平等な労働市場の確立こそ真の労働改革だ」。

最近のワーキングプアに関する議論や格差社会の議論とは明確に一線を画する立場です。
労働市場でも自由競争の原則を貫徹することが結果的に労働者の利益に繋がるもので、労働者保護政策はこれをゆがめるものだという議論のようです。
随分と厳しい世の中になったものですね。

30年以上前経済学を勉強した頃は、当時の先進国経済体制は“混合経済”とも呼ばれ、古典的な自由主義・市場万能主義とは異なるものだという認識があったように覚えています。
当時もハイエクやフリードマン等の市場を重視して自由放任主義を主張する立場は存在していましたが、異端的な扱いでした。
しかし、アメリカではレーガンが登場して、“小さな政府”を目指す規制緩和政策がとられ始めていました。

その後のバブル経済・長期不況を経験する日本にも規制緩和・構造改革として及んで、現在の市場重視的な政策に至っているかと思われます。
昔よく見聞きした“福祉社会”なんてもう死語ですね。

確かに市場が優れた需給の調整機能を有するのは事実であり、そのことは重要です。
しかし、労働市場に提供される“労働力”は単なる大根や衣服などの財貨とは異なり人間そのものであり、その売れ残りや安売りは最低限の生活、人間としての尊厳や誇りを著しく傷つけるものである側面も同時に重視すべきでしょう。
なんだか大昔の著名な経済学者みたいなことを言っていますね。

“副作用”の恐れがあるから投薬しないというのでは、体力のある患者は自力で回復できても、体力のない患者は死んでしまいかねません。
“副作用”を減じる薬を併用しながら様子をみるべきかと思います。

厳しい国際競争の中で生き残っていくためには厳しい選択しかないと言うのでしょうが、弱者を切り捨てて突き進む社会は“効率”と同様に重要な基準である“公正”を軽んじているようで馴染めないものを感じます。

写真は今年GWに旅行したインドネシアのスマトラ島のコーヒープランテーション作業場。コーヒーパウダーの袋詰め作業です。特に本文とは関係ありません。
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奄美、梅雨入り前

2007-05-19 19:42:28 | 身辺雑記・その他


奄美大島の梅雨入りは例年5月10日頃ですが、今年は遅れているよう。
今日も快晴とはいきませんがそこそこの天気。
こんな天気があと数日は続きそうです。

島で今目立つ花というと真っ赤なデイゴと白い野ユリ。
野ユリはあそこそこで見られます。
写真はデイゴ。
仕事場の近くの公園で咲いています。
ときおり仕事の手を休めて眺めています。
(と言うほど働いていませんが。)

デイゴは花が多い年と裏年と呼ばれる花が少ない年があるそうで、花が多い年は台風が多いとも言われています。

デイゴは沖縄の県花ですが、カイコウズ(海紅豆 アメリカデイゴ)は鹿児島の県木でもあります。
中国の広州など南部沿岸地域でもよく見られるようです。
奄美地方でデイゴがきれいなところというと、奄美本島に隣接する加計呂麻島の諸鈍(しょどん)のデイゴ並木が有名です。
私が奄美で暮らすようになったひとつのきっかけでもある映画「寅さん」の舞台にもなった場所です。

一昨年諸鈍を訪れた際は“裏年”で殆ど咲いていませんでした。
花が多い年は、並木道はデイゴの花びらで真っ赤に染まるそうです。
一度見てみたいものです。
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行きたいな・・・パキスタン北西部

2007-05-18 20:41:52 | 身辺雑記・その他
パキスタン カラーシャ族マリアとラヴィンナ
パキスタン カラーシャ族マリアとラヴィンナ
posted by (C)ひろし

今年のGWはインドネシアのスマトラ島に行きましたが、その写真等の整理も一段落。
するとどうしても「次はどこに行こうか・・・」という思いが頭をもたげます。
最近のペースだと次の機会は9月後半、敬老の日や秋分の日があるあたり。
でも職場の人員が今年は少ないため、今までみたいに「じゃ、行ってくるから。後はよろしく。」とはいかない状況。
行けるかな?
行きたいな・・・。

「行くとしたら・・・」と勝手に仮定して、昨日から「これいいかも」とひっかかっているのがパキスタン北西部。
もともと、パキスタン北部のフンザは有数のターゲットで、私も「いつかは、できれば杏の花咲く頃・・・」と思っていました。

フンザもいいのですが、今回気になっているのは北西部、つまりアフガニスタン国境も近い“カフィリスタン”と呼ばれる地域。
非イスラムのカラーシャ族(写真)の住む地域。
カフィリスタンにペシャワール、カイバル峠、スワート渓谷、チトワールなどを組み合わせると「いいんじゃないか・・・」って感じ。
パキスタンは乾燥した土地、イスラムの地のイメージですが、カフィリスタンは民族衣装の色も鮮やかな別世界。

ただし、先ずは休みがとれるか?という問題。
仮にそれをクリアできても、パキスタンはなかなか“遠い”ところ。
良くも悪くも代表的なガイドブック“地球の歩き方”のパキスタン編は6年ほど前のものが最新。しかも絶版で全く流通していません。
たまにオークションで古本が7500円!前後で出品されているというレア本状態。
これに象徴されるように情報がなかなか入手できません。

国内移動の飛行機は有視界飛行のため、飛ぶか飛ばないかはフィフティ・フィフティとか。
帰国時間が決められている旅ではそれは困ります。
陸路となると、ジープをチャーターして1日がかりで悪路を走ることが必要になりそう。時間ももったいないし、体力的にも大変。

ペシャワール方面の治安は?チキンな私でも行動できるようなところなのか?
いっそのこと旅行代理店の個人旅行みたいなものに丸投げするほうが何かといいかも。
でも結構“お一人様料金”を取られそう・・・。

なんだかんだと楽しく悩んでいます。
旅行前のこんな検討段階ってとても楽しい時間です。
それにしてもまだ5月、スマトラから帰ったばかりで早すぎるよね・・・。

写真は“フォト蔵”より。

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赤ちゃんポスト 家族という呪縛

2007-05-17 23:54:08 | 世相


赤ちゃんポスト運用初日に想定外の年長児が託され話題になっています。
私は子供を育てる意思のない親に無理やり子供を縛り付けるよりは、施設等で育てることのほうが子供にとってよかったのではないかと考えています。

“家族”という概念は「本来親子の間には自然発生的に深い情愛が存在しているものだ」という前提、「家族は互いにいつくしみあう関係であって欲しい」という願望、「育児、親孝行は親子の責務である」という規範などが一体となっているように思われます。

生き物のなかには家族をつくるもの、そうでないものがあるように、また、文化によって様々な家族のバリエーションがあるように、必ずしも現在の家族という存在は自明のもの、当然の形態でもないような気がしています。
様々な社会的な要請・条件の影響下で形成されているもののようにも思えます。

母親と子供の関係は男性にはうかがい知れぬところがありますが、少なくとも父親という存在は自然発生的な自明のものというより、社会的につくられた制度のひとつであるように思えます。
母子関係にしても「おなかを痛めた子供との間には深い情愛の絆が存在する」というのも必ずしも常には言えないもののような・・・。

「本来親子の間には自然発生的に深い情愛が存在しているものだ」という前提を当然のものとして受け入れるのでなければ、男女が一緒に暮らさなくても生きていけるようになった社会、子供を労働力として期待しなくてもよくなった社会、子育てを行える社会的受け皿が存在できる社会、そういった社会の変化に応じた様々な親子関係のバリエーションが存在してもいいのではないでしょうか。
「こうあって欲しい」「こうあるべき」という願望・規範・価値観で従来からの家族という形態に縛り付ける必要もないのではないでしょうか。

シングルマザーに育てられる子供、施設等で社会的に育てられる子供、そして両親のもとで育てられる子供、その全ての子供が等しく大切に育てられるのであれば、それはそれでいいのでは。
全ての子供が等しく社会的に受入れられるのであればそれでいいのであって、人々の意識や社会制度について、そのような方向に変革していくべきなのではないでしょうか。

両親のもとで育てられるか否かということは子供に大きな影響を与えるファクターではあります。
しかし、もとより子供はひとりひとり能力も個性も異なるというように差をもった存在です。
経済的、社会的な環境にも差が存在します。
両親のもとで育つか否かという差も、大きな要素ではありますが、基本的にはそのような差のひとつと言えないでしょうか。

どのような環境で育つにしても、子供がひとりの自立した人間となって、自分の人生を楽しめるような人間になってくれれば、それでいいのでは。

写真は今年GWに旅行したインドネシアのスマトラ島、ブキティンギの公園で夕方憩う人々。


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上達しない英会話、それでもレッスンは続く

2007-05-16 23:18:12 | 身辺雑記・その他



毎週水曜日は英会話のレッスンを受けています。
夜の8時から1時間あまり、週1回で月6000円。
先生は近所に住んでいるイギリス人男性。
ずっとマン・ツー・マンの個人レッスンでしたが、前回からもうひとり女性の生徒も増えて2名で受けています。(レッスン料は同じ。)
なにぶん奄美大島という離島ですので、格安料金です。
島に来る前、鹿児島本土のジオスで1年半ほど学んだことがありますが、2~3人のグループレッスン(週2回)で初年度100万円近く(教材費等を含めると)かかったのに比べると雲泥の差です。

奄美でも2年ほど続けていますが、肝心の成果は・・・。
残念ながら殆ど進歩が見られません。
もう、52歳になるので新しい単語はよほど意識的に覚えようと努力しない限りは、右から左に抜けていきます。
まあ、それでも昔習得したレベルが維持できれば、そしてリスニングがもう少しなんとかなれば、できればもう少ししゃべれたら・・・と思って続けてはいるのですが。
いろいろ理由は考えられますが、それにしてもどうしてこう上達しないのか・・・。

アジアの国を一人旅する機会が多いのですが、生活に英語を必要としている現地の観光客相手の仕事をしている人達は、街の兄ちゃんでも私よりうまかったりします。
まあ、そういったアジア現地の人とのコミュニケーションはブロークンな英語で何とかなる程度です。
相変わらず欧米人の会話はちょっと・・・。

上達しないうえに、「なぜこんなに話せないのか、なぜこんなに聞き取れないのか」と悩むと週1回のレッスンもストレスに感じることが多く、「いつ止めようか」「もう止めよう」と思いつつ、「でも今止めたら、もう英会話の勉強はこれでおしまいだろうな・・・」と思うと止めきれず、ここまで続けてきました。

前回から若い女性も加わって雰囲気もかわりました。
やはり生徒が二人だと随分楽です。

生活のメリハリになっていると言えばいえなくもないし。
あんまりむきにならず肩の力を抜いてやれば週に1度英語を話すのも楽しいと言えばいえなくもないし。
将来、どこか海外でロングステイするためにはやはり英語が必要だし。
もうしばらく続けてみようか。

写真は今年GWにインドネシアのスマトラ島を旅行した際、ブキティンギでガイドを兼ねてバイクであちこち案内してくれたアルディです。

コメント (1)
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難病女児の海外手術への募金  善意の対象

2007-05-15 22:08:30 | 世相


鹿児島の地方ニュースで「アメリカでの手術が必要な心臓病の4歳女児ための募金が目標額1億1000万円に到達した」というものがありました。
心温まる人々の善意に関するニュースで、ときどきこの類は見聞きします。

しかし正直なところ、このニュースを聞いて私は素直に喜べませんでした。
「この1億1000万円があればどれだけ世界の子供が救われるのだろうか?」
「なぜこの子はこれだけの善意を受けられ、その一方で、貧しい国々や紛争国ではわずかな薬、食料などがあれば助かる命が無数に失われていくのか?」
「人々はこの事実をどう考えるのか?国が違うから仕方がないのか?」等々。

もとより生まれた国によって全くことなる環境で生きねばならない不平等、それが当然のごとくやりすごされる不条理をとやかく言っても仕方がないのかも。

私自身、このようなことを言いながら何をするでもなく、時折現地の人々からは想像もつかない金額を使ってアジア国々での物見遊山の旅行を楽しむような人間です。
さすがに全く何もしないのも心苦しく、ユニセフに毎月雀の涙ほどの寄付を定期的に行い、年数回送ってくる寄付依頼にたまに免罪符的に応じることもある、そんなことしかしていません。

逆に言えば、私のような基本的に他人の不幸に冷淡な人間でもある程度の情報が与えられれば、上記ぐらいの寄付程度はする。
まして、普通の善意を持った人なら、困窮する海外の実情などの情報に接すればもっと大きな結果を期待できるのでは。
そんな気もします。

重要なことは、海外の困窮する子供達・人々の情報をより身近な情報として普段から提供して人々の善意の具体化を実現するマスコミ・教育、資金の現地での使われ方に道筋をつける政治、そういったマスコミ・教育・政治の姿勢ではないでしょうか。

海外における困難を直視してわずかでもそれらと繋がりを持つことで、世界における日本の立場に関する意識、日本国内の現状に関する認識を深めていくことができるのではないでしょうか。
そして、そのような意識で世界とつながることが、究極的には日本に対する世界の信頼と公正を獲得することにつながり、日本の安全にも寄与するのではないでしょうか。

善意のニュースを天邪鬼的に聞きながら、そんなことを感じました。
(写真は慈善活動支援サイト“イーココロ”から拝借しました。本文との関わりは一切ありません。また、どれだけのお金があればどのくらいの命が助かるのかはユニセフのサイトなどをご覧ください。)
http://www.unicef.or.jp/cooperate/coop_support.html

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スマトラ島から帰国しました

2007-05-14 23:30:47 | 身辺雑記・その他


4月28日夕方、住んでいる奄美を出発。
福岡からシンガポール経由でインドネシアのメダンに入国。
インドネシアはバリ、ジョグジャ(ボロブドゥール)に続いて3回目。
今回は西スマトラのブキティンギ、北スマトラのブラスタギを回ってきました。

いつものように一人旅ですが、現地のガイドとのふたり旅の気分。
赤道直下のスマトラですが、高地のブラスタギ夜は奄美よりも寒かった。
5月7日早朝帰国。
旅の記録は旅行サイト「4travel」にアップしています。
http://4travel.jp/traveler/azianokaze/

旅行の記録づくりは大好き。
どうせなら牛のようにモグモグとゆっくり楽しめばいいもを、つい夢中にななって他のことをほったらかしにしてのめりこんでしまいます。
途中誰かからの書き込みとかあると「まだこんなところもあるんだよ。」「こんなこともあったんだよ。」と知らせたくて先を急いでしまいます。

旅行記作成も終わって「ああ、もう終わっちゃった・・・」と空っぽのお茶碗を抱えて少し恨めしげな私です。
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