孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

イラク  米軍撤退、長引く「政治空白」に治安は悪化

2010-08-16 21:57:04 | 国際情勢

(“flickr”より By United States Forces - Iraq
http://www.flickr.com/photos/mnfiraq/4882381684/)

【8月末で戦闘部隊撤退】
アメリカは8月末でイラクから戦闘部隊を撤退させ、来年末までに、残る訓練部隊なども全面撤退させる予定で、このスケジュールに合わせ、イラク駐留米軍は7日、イラク治安部隊にすべての戦闘に関する指揮権を移譲しました。
最近のイラク情勢は、アメリカの撤退を前にひところより悪化していると報じられていますが、オバマ大統領は国内の中間選挙を前に、アピールできる数少ない“成果”としてのイラク撤退について、既定の撤退スケジュールを変更する考えはなさそうです。

****バグダッドで爆発・銃撃相次ぐ 9人死亡20人負傷****
イラクの首都バグダッドなどで15日、爆発や銃撃が相次ぎ、AFP通信によると合わせて少なくとも9人が死亡、20人が負傷した。イラクでは今月末に駐留米軍が戦闘任務を終えるのを前に、再び治安悪化の傾向が強まっている。
バグダッドの南約50キロの村では、夜明け前の礼拝を終えたモスク(イスラム礼拝所)が銃撃され、3人が死亡。バグダッド市内では午前に、通勤客を乗せたミニバスが道路脇の仕掛け爆弾で狙われ3人が死亡した。首都東部と北部でも道路脇の爆発で交通警官1人を含む3人が死亡した。【8月15日 朝日】
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****イラク:各地でテロ…63人死亡 米撤退計画に変更なし*****
イラク各地で7日から8日にかけ自爆テロや爆発、銃撃が相次ぎ、AP通信などによると少なくとも63人が死亡、約220人が負傷した。月末に迫る駐留米軍戦闘部隊撤退を前に、イラク治安当局者に対するテロも目立っているが、米側は撤退計画を変更する意向は示していない。
西部ラマディでは8日に警察のパトロールを標的にした自爆テロが発生。西部ファルージャや北部キルクークでも自警組織幹部らが殺害された。7日には南部の主要都市バスラ中心部の市場で爆発が相次ぎ、少なくとも43人の死亡と100人以上の負傷が確認された。バグダッドでは6日夜から7日未明にかけ、爆弾工場とみられる場所で武装勢力と警官隊の銃撃戦となり、警官5人が死亡した。【8月9日 毎日】
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【イラク民主主義は破綻のとば口に立っている】
最近の治安悪化の背景にあるのは、米軍撤退ともうひとつ、国内の政治空白です。
3月の連邦議会選から5カ月が経過しましたが、連立の枠組みが決まらず、いまだに新政権が樹立されていません。
****選挙後の「政治空白」長期化=治安、国民生活に影―イラク*****
イラクでは、3月の連邦議会選から5カ月が経過する中、新政権協議が迷走し「政治空白」が長期化しており、8月末までの駐留米軍戦闘部隊の撤退を控え、治安や国民生活に暗い影を落としている。
政権協議迷走の大きな原因は、アラウィ元首相の世俗会派「イラキーヤ」が91議席を獲得したのに対し、マリキ首相率いる法治国家連合も89議席を得たため、明確な勝者が不在だったことにある。来年末までの米軍完全撤退を前に、イランやサウジアラビアなど周辺諸国が水面下で首班選びに影響力を行使していることも事態を複雑化させているとの見方が強い。

スンニ派のサウジなどの影響下にあるとみなされるアラウィ元首相は、イラク多数派のシーア派や少数民族クルド人勢力の支持を得られず、政権協議を主導できないでいる。一方のマリキ首相は、同じシーア派の「イラク国民同盟」から独断的な政治手法を批判され、首相続投へシーア派内をまとめ切れていない。
米軍撤退を前に過激派の活動活発化や、酷暑の中での電力不足など課題が山積する中、重要な政治決定ができない状態に国民の不満は高まっている。しかし、「治安も国民生活への影響も予想されていたほどではないため、政治家は新政権樹立を急ごうという雰囲気にはない」(在バグダッド外交筋)のが実情だ。
選挙自体は民主的に行われたものの、その結果はくすぶる宗派間対立の火種をあおる形となっており、アラブ首長国連邦(UAE)紙は「イラクの民主主義は破綻(はたん)のとば口に立っている」と論評している。【8月15日 時事】 
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連立協議が難航しそうなことは当初から予想されたことではありますが、“「治安も国民生活への影響も予想されていたほどではないため、政治家は新政権樹立を急ごうという雰囲気にはない」(在バグダッド外交筋)”というのは、なんとも腹立たしい感じがします。
イラク政治家にとって、頻発するテロの犠牲者などは大した問題ではない・・・ということでしょうか?
彼らにとって、政治の目的は国民生活の安定などではなく、利権獲得や宗派・民族の大義を掲げることにすぎないのでは・・・とも勘ぐられます。

【フセインの“功績”を超えて】
「悪の枢軸」とも非難され、民間・軍双方の多大な犠牲を伴って政権から力づくで排除されたサダム・フセインのバース党政権は、秘密警察によって国民を監視する強権支配の政権であり、クルド人を虐待し、クウェートに侵攻したことは間違いありませんが、国民生活向上のため何もしなかった訳ではありません。
最大の政治的成果は石油の国有化であり、そこから得られた潤沢な資金をもとに、イラク社会の近代化に取り組んでいます。

ウィキペディアから彼の“功績”の部分を抜き出すと、“全国に通信網・電気網を整備し、僻地にも電気が届くようになった。貧困家庭には無料で家電が配布された。また農地解放により、農業の機械化、農地の分配を推進し、最新式の農機具まで配られ、国有地の70%が自営農家に与えられた。(中略)
他にもサッダームはイラク全国に学校を作り、学校教育を強化した。教育振興により児童就学率倍増した。イラクの低識字率の改善のため、1977年から大規模なキャンペーンを展開し、全国規模で読み書き教室を開講し、参加を拒否すれば投獄という脅迫手段を用いたものの、イラクの識字率は向上し、80年代に大統領となったサッダームにユネスコ賞を授与する。
また、女性解放運動も積極的に行なわれ性別による賃金差別や雇用差別を法律で禁止し、家族法改正で一夫多妻制度を規制、女性の婚約の自由と離婚の権利も認められた。女性の社会進出も推奨し、当時湾岸アラブ諸国では女性が働くことも禁じていた中で、イラクでは女性の公務員が増え、イラク軍に入隊することも出来た。男尊女卑の強い中東において「名誉の殺人」が数多く行われていた中、この「名誉の殺人」を非難した人物であることは、あまり知られていない。もっとも、91年の湾岸戦争以後は、イスラーム回帰路線を推し進め、この「名誉殺人」も合法化している。”【ウィキペディア】とあります。

民主的選挙で選ばれた現在の政治家たちがこれ以上の実績をあげるのでなければ、あの戦争・混乱はなんだったのか?民主主義の導入がもたらしたものは?といった疑問も生じてきます。
間違っても、連立協議の難航が宗派対立再燃を煽るなどといったことのないように願いたいものです。


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