孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

クルド人問題  イランで高まる独立への要求 トルコでは「母国語を忘れた山岳トルコ人」の扱い

2017-11-10 22:44:38 | 中東情勢

(埼玉県蕨市民公園で2016年3月20日 華やかな民族衣装姿で輪になって踊り、新年祭「ネブロス」を祝うクルドの女性たち【2016年3月21日 毎日】)

頓挫したイラク・クルドの独立運動 ロシアはシリア・クルドを和平交渉会議へ
現在の中東の国境線のもとにもなったバルフォア宣言、サイクス・ピコ協定、フサイン=マクマホン協定から100年ほどが経過し、国境線の見直しを求める動きが表面化しています。その動きの中心にあるのがクルド人です。

3000万人とも言われる「国家を持たない最大の民族」クルド人については、“クルドがクルディスタンとして国を持ったことは歴史上2度あります。最初が第1次大戦後の連合国とオスマントルコとの講和条約セーブル条約(1920年)でクルドの自治が認められた時です。しかし、この条約はロ−ザンヌ条約(1923年)で無効化されました。2度目は第2次大戦後、1945年末、ソ連がクルディスタン人民共和国(マハバード共和国)をイラン北部に作った時です。これは1年後、イラン軍に制圧されました。”【11月19日 WEDGE】とのこと。

イラク・クルド自治区の分離独立運動が頓挫し、主導したバルザニ議長は退任に追い込まれたことは、10月31日ブログ「クルド自治政府とカタルーニャ自治州 分離独立運動に立ちはだかる中央政府・国際社会の“壁”」で取り上げましたが、その後の情勢についてはあまり情報を見ません。

****クルド自治政府職員と兵士の給与、イラク政府が支払いへ****
イラクのアバディ首相は10月31日、少数民族クルド人主体の同国北部の自治政府、クルディスタン地域政府(KRG)の職員と軍事組織の兵士の給与について、イラク政府が近く支払いを開始できると発表した。
 
KRGは独立を問う住民投票を9月に強行したことで、イラク政府との関係が険悪化。イラク政府は、財政危機で削減や遅配が続くKRGの職員と兵士の給与をイラク側が負担することで、KRGの反発を抑える狙いがあるとみられる。
 
KRGは、イラク北部の油田地帯からトルコ向けの石油パイプラインを独自に敷設したことでイラク政府に予算配分を止められ、石油価格も下落したため、2014年から財政危機に陥っていた。KRGは職員と兵士の給与を削減したが、遅配が常態化している。
 
さらに、9月の住民投票後、イラク政府は対抗措置として油田地帯キルクーク州などの係争地にイラク軍を派遣し、制圧した。KRGは原油生産による財源の半分を失い、財政危機の深刻度は一気に増大していた。【11月1日 朝日】
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キルクーク撤退の背景にもなった自治政府内部のクルド民主党(KDP)とクルド愛国同盟(PUK)の対立、腐敗にまみれた従来からの二大政治勢力に反発する政治勢力など、クルド内部の対立がありますので、今後はこうした内部対立とイラク中央政府の対応が絡んで・・・というところです。

シリア北部のトルコ国境地帯を支配するクルド人勢力については、11月3日ブログ「シリア ロシア主導で進む和平協議 復興もロシア・イラン主導」でも取り上げたように、シリア情勢の主導権を握りつつあるロシアは、これまで和平協議の枠組みから排除されていたクルド人勢力も含めて「シリア国民対話会議」を開催することを提案しています。

ただ、シリア。クルド人勢力はトルコの反政府勢力PKKと組織的につながっていることから、トルコがシリア・クルド人勢力の自治権獲得等には強烈に反発すると思われますので、先行きは不透明です。

イラン・クルドを強く刺激したイラク・クルドの動き 中央政府は支持的動きには厳しい対応
クルド人は“トルコ・イラク北部・イラン北西部・シリア北東部等、中東の各国に広くまたがる形で分布する、独自の国家を持たない世界最大の民族集団である。人口は2,500万~3,000万人といわれている”【ウィキペディア】ということで、イラクとシリアについては、上記のように国際政治の前面に出てきていますが、イランとトルコの状況はあまり触れられる機会がありません。

約480~660万人【ウィキペディア】存在するとされるイランのクルド人については、2016年7月3日ブログ「表面化したイランのクルド人問題 クルド人勢力とイラン革命防衛隊が衝突」で、トルコPKKともつながるクルド人武装勢力「イラン・クルド民主党(KDPI)」に対し、イラン中央政府の中心的勢力でもある革命防衛隊が攻撃をかけている・・・というように緊張が高まっていることを取り上げました。
イラン中央政府は、国内クルド人に対し、隣接するイラク・クルド自治区との経済取引を黙認するなど、経済・文化面では一定に配慮する一方で、KDPIなどの政治的動きには厳しくこれを鎮圧するという二面作戦で臨んでいるとも。

****イラン、懐柔と弾圧****
イラン西端のクルディスタン州バーネ。少数派のクルド人が多い山間の町は、全土から買い付けに訪れる卸業者や買い物客らで賑わっていた。

商店に並ぶトルコ製ジーンズは、テへランの3分の1の60万リアル(※2000円)前後、家電も2~3割安と驚くほどの安値だ。“激安”の秘密は、約20㎞先のイラク北部クルド自治区との交易にある。

店主らによると、イランからクルド人隊商が歩いて国境を越え、イラクへ行く。イラクのクルド人から商品を仕入れて、イランに戻る。国境で関税は払わないので、安くできる仕組みだ。国境を跨ぐクルド人のネットワークが生み出す“裏技”だ。

イラン政府は、実質的に“密輸”に目を瞑る。1980年代のイラン・イラク戦争で大きな被害を受けたクルド人居住地域への経済支援の為という。

クルド人への寛容な姿勢は、文化の面にも表れる。テへランで先月、クルド文化を紹介する催しが開かれた。政府は、観光名所の『ミラッドタワー』(※高さ435m)を会場に提供した。

民族衣装や民族音楽をPRしたクルド系市民団体のジャマロディン・ターハー代表(47)は、「政府は我々の文化活動を支援してくれる」と満足そうだ。

その一方、政治的には強硬姿勢を貫いてきた。クルド人が1946年、イラン西部にマハーバード共和国の建国を宣言すると、僅か1年未満で鎮圧した。1979年の革命で成立したイスラム体制は、反体制クルド人組織を国外に追いやった。

経済・文化面での“懐柔”と政治面での“弾圧”を織り交ぜながら、クルド人を体制内に取り込んできた。

だが、今年6月、イラン社会に衝撃を与える事件が発生した。テへランで武装集団が国会等を襲撃した同時テロで、実行犯5人の大半がクルド人と報じられたのだ。

クルド人の大学教授(57)は、「彼らが過激化したのは、現状への憤りがある為だ」と話した。「クルド人の政府高官への登用は少なく、居住地域への公共投資も十分でない」との差別待遇への不満が爆発したとの指摘だ。

「イランでは、クルド人の独立志向がイラクやトルコほど強くない」と言われてきた。だが、イラク北部クルド自治政府が先月実施した住民投票で独立支持派が圧勝すると、イランのクルディスタン州でも群衆が歓声を上げた。
バーネの商店主(42)は、「イラクのクルド人は家族だ。独立したら喜ばないクルド人はいない」と話した。

外交筋は、「独立を目指すイラクのクルド自治区は、イランのクルド人にとって理想の地となる」と話す。
各国のクルド人は見えない絆で繋がっている。“家族”に刺激され、今後、イランのクルド人も“地位向上”をより強く主張するようになるかもしれない。【10月11日 読売】
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上記記事でも触れられているように、イラクのクルド自治政府の独立運動は、イランのクルド人に“熱狂的”に歓迎され、イラン・クルドの独立要求を強く刺激したようです。ということは、イラン中央政府の激しい怒り・弾圧を招いているということでもあります。

****イラン・クルドでも高まる独立要求****
独立を問うイラク・クルドの住民投票に刺激されて、イランのクルドが独立を要求する声を上げ始め、イランの支配者たちは懸念と警戒を強めている、と9月30日付英エコノミスト誌が報じています。その要旨は以下の通りです。
 
イラン・クルドがイラク・クルドと同等か、それ以上に強い独立要求の声を上げている。イラク・クルドによる住民投票後、イラク・クルド地域はおしなべて静かなのに対し、イランのクルド地域では祝賀ムードが爆発した。

いくつかの都市では装甲車が走り、デモが2日間続き、群衆は1946年にイランの北西部で短期間威力を振るったクルド国家、マハバード共和国の国歌を歌った。
 
一方、イランを支配する聖職者たちは怒りをあらわにし、イラク・クルドの自治の試みを潰すと威嚇し、自称クルド国家をイスラエル(クルド独立を支持)になぞらえ、もう一つのガザにすると断言した。
 
イランはイラク・クルドの独立国家が出現すれば、自分たちがレバノンのヒズボラを使ってイスラエルを脅かすように、宿敵イスラエルやサウジがイランを掻き回すための踏台にする誘惑にかられるのではないかとも恐れている。

それに、イランはペルシャ人主体の国だが、クルドの外にもアラブ、アゼルバイジャン・トルコ人、バルーチ人等、多くの少数民族がおり、人口の3分の1近くを占めている。イランの支配者たちは、クルドが図に乗れば、他の少数民族もそれに倣うかもしれない、と心配している。
 
実際、4月には分離主義のバルーチ人一派がイランの国境警備員10名を、5月には過激派アラブが警官2名を殺害した。イランのシーア派政権の打倒を標榜するISへのイラン・クルドの流入も続いている。ISによるイラン国会やホメイニ廟襲撃の実行犯もおそらくイラン・クルド過激派だろう。

イラク・クルド地域をとり囲むイラン、シリア、トルコ、イラクはみな今回の住民投票がクルド・ナショナリズムの復活を誘発するのではないかと恐れている。

シリアには200万人以上、イラクとイランには500万人、トルコには1800万人のクルドがいると考えられている。

トルコはイラク・クルド地域との境界に戦車を配備し、エルドアン大統領は同地域の唯一の石油輸出用パイプラインを遮断し、国境を閉鎖すると脅している。
 
しかし、4ヵ国の中で最も心配すべき歴史的理由があるのはイランだ。

クルドはオットマン帝国とペルシャ帝国に挟まれた山地で7世紀にわたり事実上独立の領土を有していた。それに、トルコ・クルドがアレヴィー派(シーア派の仲間とする見方もある)であるのに対し、イラン・クルドとイラク・クルドは同じ方言を話し、大半がスンニ派のシャーフィイー学派を信奉するなど、関係が近く、双方の政治運動は国境を越えて提携する傾向がある。
 
イラン・クルドが本格的な反乱を始めても、優勢なのはイラン軍の方だろう。マハバード共和国は数か月で潰され、1979年のイスラム革命後のクルドの反乱も直ちに鎮圧された。それでもなお、今回の住民投票はイランの指導者たちをもう一度恐怖に陥れている。(後略)【11月19日 WEDGE】
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安定・現状維持を重視する国際社会
上記英エコノミスト誌記事に関しWEDGEは解説として、以下のようにも。

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クルド人は3000万人くらいいるとされ、国家を持たない最大の民族と言われます。したがってクルド人が異民族の支配下にあり、独立国家を持てないのは気の毒で不条理であると思いますが、国際政治の現実を踏まえると、クルド自治区が今独立することは、それがもたらす混乱を考えれば、とても賛成できません。
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現在の中東の国境線が問題を抱えていることは多くが認めるところですが、その見直しは大きな混乱を惹起します。中東情勢を戦乱の巷にさせかねないクルド人の動きに対する国際的な見方は、上記のようなところでしょう。

そうした現状維持による安定を重視する力をはねのけて独立を勝ち取るというのは、至難の業です。
少なくとも武力だけでは無理でしょう。

中央政府との粘り強い交渉による自治・権利向上を目指すのが現実的道と思われます。

融和的政策でクルド人を票田にしてきたエルドアン政権 クルド人政党躍進で強硬姿勢に
トルコのクルド人は1100万人とも、2000万人とも言われ、クルド人の中でも最大勢力ですが、トルコ国内に広く分布し、地域的に限定されたイラク・シリア等とはまた違った状況にあります。

トルコ中央政府としても無視できない数ですから、政治的枠組みのなかに取り込むかたちにもなっています。

トルコ国内におけるクルド人の状況、クルド人への差別については、少数民族ではなく「母国語を忘れた山岳トルコ人」という扱いがなされていることから、その実態がうかがえます。

もう何年(十数年?)も昔にトルコ国内のクルド人を描いたドキュメンタリー番組を観たことがありますが、社会的に抑圧された“二級市民”的な扱いを受けている印象がありました。

ネット上の情報で見ると・・・

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トルコに住むクルド人に付いて質問します。トルコではクルド人を差別していますか。しているとしたらどのくらいの差別か具体的に教えて下さい。

ベストアンサーに選ばれた回答
やんわり差別してる感じですね。見た目も、トルコ人よりも浅黒く、天パの人も多いので、なんとなく雰囲気でわかります。単純労働しか仕事につけない感じですね。【2011/10/24 YAHOO!知恵袋】
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こうした状況に反旗を翻して抵抗しているのがPKKです。

エルドアン政権は、クルド人に対し融和的な政策をとることで、彼らからの支持を得てきましたが、クルド人政党である人民民主党(HDP)が躍進したことを受けて、クルド人に厳しい対応をとる方向に変化し、中央政府とPKKの抗争も再燃しています。

****クルド融和政策 反転の懸念****
人口約200人のその寒村に、若い男性は数人だけ。働く年齢になるとほとんどが国内の大都市か欧州へ渡り、老人ばかりが残る。トルコ東部ゴマ・セイドは少数民族クルド人の村。あちこちに積まれた燃料用の乾燥牛糞(ぎゅうふん)が生活の厳しさを物語る。
 
住民のハミト・サラウ(72)の長男は10年前、フランスに行った。「誰もが欧州に行きたがる。ここにいても未来が見えないから」。長男は最近、不法滞在を解消するために現地女性と偽装結婚した。
 
学校もない“限界集落”。だが、大統領のエルドアン(63)が政権を握る前は「もっとみじめな場所だった」とサラウは言う。
 
トルコに約2000万人いるとされるクルド人は、長く「山岳トルコ人」と呼ばれ、民族として存在を認められなかった。クルド語教育は禁止され、クルド人の多い南・東部の開発は遅れた。
 
その中でエルドアンのイスラム系与党、公正発展党(AKP)は、クルド語専門のテレビチャンネルを解禁し、融和政策を推進。道路や通信のインフラ整備も進めた。ゴマ・セイドにも約10年前、携帯電話の電波が届くようになった。
 
エルドアンは、非合法武装組織「クルド労働者党(PKK)」との和平にも取り組んだ。PKKは2013年、停戦を宣言。トルコが加盟を目指す欧州連合(EU)は当時、エルドアンを高く評価した。

しかし、和平プロセスは15年夏、破綻する。同年6月の総選挙でPKKと連携する左派、人民民主党(HDP)が躍進し、AKPを過半数割れに追い込んだことが引き金となった。
 
政権はPKKやHDPへの圧力を強め11月の出直し選では支持を回復させたAKPが圧勝。以来、軍の掃討作戦とPKKによるテロの応酬が続く。HDPの活動家エルカン・シャヒン(33)は「クルド人は『敵』に仕立てられた」と主張する。
 
PKKはマルクス主義を掲げる組織。クルド人は保守的なイスラム教徒が多く、すべてがPKKを支持するわけではない。AKPは政権獲得以降、クルド票の約5割かそれ以上を確保してきたとされる。
 
クルド人社会が懸念するのは、反クルドで知られる極右政党が政権に接近していることだ。権力強化を狙うエルドアンが政治駆け引きのため、クルド融和政策を一転させる懸念は拭えない。

ゴマ・セイドの広場で、若者がたむろしてスマートフォンをいじっていた。カメラを向けると、ひとりがPKK支持をあらわすVサインを掲げようとし、仲間にたしなめられた。緊張感は小さな村にも広がっていた。【3月24日 産経】
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力だけで抑え込むには数が多すぎるトルコ・クルド人ですが、最近強権的方向に向かっているエルドアン政権のもとでどういう扱いを受けるか・・・・。

逆に言えば、こういう爆弾のような存在を国内に抱えているだけに、これを刺激するシリア・クルドやイラク・クルドの動きをエルドアン大統領は絶対に容認しない・・・ということでしょう。

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