あしたのブログ!趣味や日々の報告ページ

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由紀さおりの 「1969」 と日本の女性歌手

2013-01-13 | 演歌・ポップス
2011年10月に発売された由紀さおりの「1969」 というアルバムが、空前のヒットとなり、我々の同世代の女性歌手が頑張っている姿を見ると、嬉しくなります。

そこでこれまでに日本の女性歌手が洋楽を歌っているものを、手持ちの中から何枚か紹介したいと思います。
そのほとんどは、アメリカ発のスタンダードや、シャンソン、それに自身のオリジナルをアレンジし、原語、もしくは日本語で歌ったものです。

最初は「1969」に敬意を表して、その原点となった「夜明けのスキャット」のジャケット(CD)と、「1969」のCD、および海外バージョンのLPです。
  
夜明けのスキャットのCDには、オリジナルLPには無かった「バラのためいき」「恋心」「恋は水色」「知りたくないの」「白い恋人たち」「男と女」がボーナス・トラックとして入っています。
また「1969」の方ですが、CDでは1曲目がブルー・ライト・ヨコハマに対し、LPは夕月となっていて、これは海外では夕月の方が受けがいいからだそうです。

それでは順を追って紹介します。
1.美空ひばり( 下記の2枚のアルバムを残しています)
   
「ひばりとシャープ」は彼女の初のジャズ・アルバムで、初盤は1961年です。
(曲目はジャケットに記載されています)
一方、右側のジャケットの「ひばり・シングス・ジャズ・ソングス」の方は、1965年の発売で、副題として「ナット・キング・コールをしのんで」となっており、全てキング・コールの十八番で構成されており、キング・コールのアルバムとほとんど同じアレンジを使用しています。
1)Stardust 2)Love 3)Fascination 4)Walkin’ My Baby Back Home 
5)Too Young 6)It’s Only A Paper Moon 7)Lover, Come Back To Me 
8)Pretend 9)Get Out And Get Under The Moon 10)Love Is A Many Sprendored Thing 
11)Lonly One 12)Red Sails In The Sunset

彼女は何を歌わせても一級品でしたが、このアルバムもいい出来で、特に英語の発音が素晴らしいです。

2.江利チエミ
  
彼女は早くからジャズもラテンも独自のフィーリングで歌い、これらに関する数多くのアルバムを残していますが、ここではカール・ジョーンズと共演した続編のほうを紹介します。(1962年発売)
1)Crazy Rhythm 2)My Funny Valentine 3)Just Squeeze Me 4)Tenderly 
5)The Big Twister 6)Midnight Sun Will Never Set 7)Love Is Hear To Stay 
8)I Get A Kick Out Of You

歌の内容は折り紙つきで、バックで白木秀雄、渡邊貞夫が共演しています。

3.朝丘雪路
   
彼女の歌はちょっと艶のある歌謡曲だけかと思ったら、れっきとしたスタンダードを歌っていました。
それも一部は原語で!( 雪路姉さん、失礼いたしました )
しかも1962年の作品はタイトルが「シング・シング・シング」です。
という訳で、曲目を見てみると…
1)Sing, Sing, Sing 2)My Funny Valentin 3)Where Or When 
4)Johnny, Remember Me 5)Nature Boy 6)What Is This Thing Called Love 
7)You Deserve 8)Bewitched, Bothered And Bewildered
となっています。
そしてこの再発アルバムの帯には彼女自身の言葉が綴られています。

それから2007年に発売された新しいアルバムでは、ソロと小柴大造とのデュエットで、自分の持ち歌である「雨がやんだら」以外は10曲全て原語で、良い雰囲気で歌いまくっています。
1)I’m In The Mood For Love 2)The Shadow Of Your Smile 
3)I’ve Got You Under My Skin 4)Cry Me A River 
5)You Are The Sunshine Of My Life 6)Some One Watch Over Me 
7)Stormy Whether 8)My Funny Valentine 9)S’Wonderful 
10)Stardust 11)雨がやんだら

4.松尾和子
   
彼女はレコード歌手としてデビューする前に、進駐軍キャンプやナイトクラブで歌っていた実力の持ち主で、「 Hasky Voice at Night 」と「 Stardust」の2枚を製作しています。
1966年に録音された邦題「夜のためいき」は、最初こそ日本語ですが、途中からは原語で一語一語端正に歌っていて好感が持てます。
またバックは小原重徳とブルーコーツ、および八木正生クインテットがそれぞれ4曲ずつ担当しており、八木のピアノが聴けるのも魅力です。
1)The Shadow Of Your Smile 2)I Left My Heart In San Francisco 
3)My Funny Valentine 4)You And The Night And The Music 
5)C’est - Si - Bon 6)A Taste Of Honey 7)Golden Earrings 
8)Yesterday 9)The Girl From Ipanema  10)Stars Fell On Alabama 
11)Fry Me To The Moon  12)Love Me Or Leave Me

一方、1979年発売の「 Stardust 」の方ですが、この中で歌っているス・ワンダフルは、ランニング・ベースのみの伴奏でスキャット、それも途中からは舌がもつれる程の速さで飛ばしており、アレンジと相まって実にいい雰囲気のアルバムです。
1)Stardust 2)Over The Rainbow 3)Love Letters  4)’S Wonderful 
5)Johnny Guitar 6)You And The Night And The Music 7)My Foolish Heart
8)Tenderly 9)I’ll Never Smile Again 10)On The Sunny Side Of The Street
11)East Of The Sun 12)Good - Bye

このアルバムの1曲目(Stardust)は、偶然にも美空ひばりの「シングス・ジャズ・ソング」と同じです。
松尾和子の方は、ジャズィーというより少し歌謡っぽいでしょうか。
それでも全体を通しての出来は上々だと思います。

5.ペギー葉山
  
タイトルは「よさこい いん JAZZ」となっていて、彼女の歌手生活40周年を記念し1993年に録音されています。
彼女は1952年に渡辺弘&スターダスターズの専属歌手として注目され、ジャズ、ポピュラーをはじめ、日本の歌など幅広い分野での活躍があります。
このアルバムの内容は彼女の持ち歌と、日本の叙情歌を全て日本語で歌っています。
1)花 2)さくらさくら 3)島原地方の子守歌 4)浜辺の歌 5)ふるさと 6)砂山 7)七つの子 8)早春賦 9)月の砂漠 10)赤とんぼ 11)学生時代 12)誰もいない海 13)爪 14)南国土佐を後にして
奏者
Hank Jones(p) 尾田 悟(ts) Warren Vache(cor, marimba) Mads Winding(b) Billy Hart(ds)

タイトルにJAZZとあるように、バックバンドはハンク・ジョーンズを始めとして、錚々たるメンバーが努めています。

6.青江三奈
  
高校時代から銀座の銀巴里でステージに立つ経験を持ち、1966年「恍惚のブルース」で衝撃的なデビューをしています。
1993年に渡米して、現地の一流ミュージシャン達とレコーディングし、自身の持ち歌2曲も英訳され、全曲原語で歌っています。
過去に今は無きアメリカの男性ヴォーカリストであるメル・トーメと、ジョイント・ライブをした映像も放映されたことがありました。
1) Cry Me A River 2)It’s Only A Paper Moon 3)The Man I Love 
4)Love Letters 5)Lover, Come Back To Me 
6)Bourbon Street Blues ( 伊勢佐木町ブルース) 7)Harbour Lights
8)When The Band Begin To Play 9) What A Difference A Day Made 
10)Green Eyes 11)Gray Shade Of Love 12)Sentimental Journey 
13)Honmoku Blues ( 本牧ブルース)
奏者(ピアノはマル・ウォルドロンです)
Freddy Cole(vo, p) Grover Washington Jr.(ss) Eddie Henderson(tp) 
Jim Powell(tp) Ted Nash(ts) Jerry Byrd(g) Mal Waldron(p) 
George Mraz(b) Billy Hart(ds) Steve Berrios(per)

一流ミュージシャンと、ナット・キング・コールの弟であるフレディ・コールを迎えて、卓越したセンスでソウルフルなスキャットも聴かせてくれます。
こういう歌をもっと歌って欲しかった歌手の一人ですが、2000年に54歳の若さで亡くなってしまいました。


7.八代亜紀
  
彼女は15歳で上京、銀座でクラブ歌手としてスタートし、当時は歌謡曲と共に海外のジャズ・スタンダードを歌っていましたが、1971年に演歌歌手としてメジャー・デビューしています。
今回のこのアルバムはデビューから42年の、昨年(2012)10月10日に発売になった新譜です。
発売後は盛んにキャンペーンを打ち、NHKTVの早朝番組等にも出演し、このアルバムの中の1曲を披露していました。
このアルバムを歌もアレンジも良いと絶賛する評論家の方もおられますが、私が聴いた限りでは演歌を歌うクラブ歌手としか聴こえません。( 八代さんゴメンナサイ!)

1)Fry Me To The Moon 2)Cry Me A River 3)Johnny Guitar 
4)五木の子守歌 ~ The Shadow Of Your Smile 5)Summertime 
6)Autumn Leaves 7)Sway 8)私は泣いています 
9)One Rainy Night In Tokyo


以上、由紀さおりまで入れると8人になり、それぞれのアルバムの曲を列記してみると、似通ったものが多いことに気が付きます。
そしてこの中でNO.1歌手を選ぶとしたら、私は美空ひばりを推薦するのですが、皆さんはいかがでしょうか。

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カーネギー・ホールのアイ・ジョージ

2013-01-12 | 演歌・ポップス
前回はベニー・グッドマンのカーネギー・ホールで終わりましたので、今度は日本人が最初にその舞台に立った人のことについて述べさせて頂きます。

その人の名はアイ・ジョージ
本名 石松譲治 1933年9月27日生まれ
ラテン、ポピュラー、民謡、演歌、何でもござれで、声量はあるし外国語の発音も上手い。
しかも作詞、作曲もする万能歌手です。( でした )
私生活は兎も角として、歌が上手いことから、私は以前からアイ・ジョージのフアンであり、今でも音源の収集を続けています。

そして彼は日本人で初めてカーネギーの舞台に立ちましたが、それは日本が東京オリンピックを1年後に控え、高度成長期に入っていた1963年10月9日( ~10日)でした。
(ちなみに最初の女性歌手は1976年の朱里エイコのようです)
その時の記録は、当時彼が所属していたテイチク・レコードが2枚のアルバムに残しています。
男30歳、声にも張りがあり素晴らしい歌声がきけますし、構成もアレンジも良いです。
アルバムの中で、自らの紹介を「アメリカで私を知っている人は誰もおりません。
ですからここでは新人です」と言っています。

   
しかし裏面の解説を読むに連れ、1963年に米国の、しかも夢の舞台で歌うということは、まだまだ厳しい時代であり、その後の評判は決して芳しくなかったと、記憶しています。
それはユニオンの問題やら、サウンドチェック、それに録音のトラブルも重なって、本当に大変だったようで、この辺の経緯は、アルバムの裏面に詳細に書かれています。

なお、彼が作詞、作曲にも長けていることを証明できる「アイ・ジョージ作曲集」というアルバムがあり、ここでは作詞の他、イタリア語への訳詩も自らが手がけています。

 


そしてカーネギー・ホールの先輩と言えば…
ハリー・ベラフォンテが4年前の1959年4月に、同じ舞台に立っています。
このアルバムの中のダニー・ボーイと聖者の行進は、ジョージも歌っていますが決して物まねではなく自らの表現でです。

それからジャズ・ピアニストの山下洋輔も、1994年4月に同じ舞台に立っています。
それは所属しているレーベル(Verve)の50周年記念コンサートで、錚々たるメンバーのなかで、バド・パウエルが作曲した「パリの目抜き通りで」をソロで熱演しています。

 

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ルイ・アームストロングの2枚のレコード

2013-01-11 | JAZZ
ルイ・アームストロング(Louis Armstrong)
不滅の名トランペッター、そしてボーカリスト。
1900年7月4日生まれ(1901年8月4日説もあり)、1971年7月6日死去

サッチモことルイ・アームストロング …この偉大なジャズ・マンに関する2枚のレコードを紹介します。
っとその前に、彼の生涯の活動を区分けすると、およそ以下の様になります。
1917年から本格的なプロ活動開始、1923年~28年はニューオリンズの伝統スタイル時代で1925年に初リーダー録音、1931年に自己のビック・バンドを結成しこれが46年頃まで、47年~58年がオール・スター時代、そしてその後の「ポップス」と呼ばれたポピュラー時代となりますが、
この時代の晩年にはH社のシビックや、その他のテレビCMで1968年のヒット曲でもある「この素晴らしき世界」(What a Wonderful World) を独特のだみ声で歌っていたので、皆さんも記憶に残っておられると思います。

そのような経歴の中で紹介する1枚目は、デュークス・オブ・デキシーランドと共演した下記のアルバムです。
このアルバムは私がおよそ50年前に、田舎のレコード屋さんで購入したもので、都会に出て来る際に持ってきたうちの1枚で、今でも大切にしています。

 

この中で演奏されている曲はジャケットに記載されていますが、サッチモはトランペットと歌で聴かせます。
録音年月日は不明ですが、1960年前後と思われます。
演奏メンバーですが、このバンドの生みでもあるアサント家の3人がトランペット、トロンボーン、トロンボーンとバンジョーを担当しています。
またクラリネットは、スイング・ジャズで有名なジェリー・フラー(バディ・デェフランコに似た感じのテクニシャン)です。
解説書によると4曲目のアヴァロンは、サッチモが初めての録音だったので歌詞を良く覚えていず、勝手に変えて歌っているようです。
そして最後のライムハウス・ブルースの様に、モダン・ジャズの人たちも盛んに演奏する曲でも好演しています。
それに何と言ってもスレテオ初期の録音とは思えない程「音」が良いです。
それもそのはず、原盤はAF社(AUDIO FIDELITY)の社長自らの指示もあり、NYのウエブスター・ホールで16~25,000サイクルの広い周波数帯で録音されているからです。
(手持ちのは日本コロムビアの国内ステレオ盤ですが、それでもです)
ちなみにこのデュークス・オブ・デキシーランドは1958年に世界に先駆けて、ステレオ録音のLPで登場した最初のジャズ・バンドでもあります。

そして2枚目は1947年2月8日にNYのカーネギー・ホールで行われたライブ録音です。
私が所有しているジャズ・レコードでは最も古い時代のものです。

 

サッチモの演奏の中では、1947年5月17日にNYのタウンホールで行われた6人のオールスターズによるものが、「タウンホール・コンサート」として有名ですが、こちらはその4か月前に行われていて、メンバーは同じ6人ですが、クラリネット担当のエドモンド・ホール以外はあまり知られてなく、オールスター編成前のものとして貴重なものです。
そして内容ですが、タウンホールの前哨戦と言ったところでしょうか。
メンバーは以下の通りです。
Louis Armstrong(tp,vcl) Mouse Randolph(tp) Henderson Chambers(tb) Edmund Hall(cl)
Charles Bateman(p) Jojnny Williams(b) Jimmy Crawford(d)

曲目
SIDE ONE
1. NEW ORLEANS FUNCTION
2. DIPPERMOUTH BLUES
3. MAHOGANY HALL STOMP
4. MUSKRAT RAMBLE
5. ST.LOUIS BLUES
6. ROCKIN’ CHAIR
7. TIGER RAG
SIDE TWO
1. BLACK AND BLUE
2. I’M CONFESSIN’
3. STRUTTIN’ WITH SOME BARBECUE
4. LAZY RIVER
5. YOU RASCAL YOU
6. SAVE IT PRETTY MAMA
9. AINT’ MISBEHAVIN’

余談ですが、クラッシクの殿堂とされていたカーネギー・ホールで最初にジャズ・コンサートを開催したのはベニー・グッドマンで、1938年1月16日のことでした。
この時はまだ録音テープがない時代であったので、マイク1本がCBS放送のスタジオにリレーされ、16インチの大型ディスクに同時にカットし記録されたのだそうです。



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職場の先輩が教えてくれた1枚のレコード

2013-01-07 | JAZZ
「SOMETHIN’ ELSE」  BLUENOTE  BST 81595
    

モダン・ジャズを聴き始めて少し経った頃、職場の先輩からマイルスの「SOMETHIN’ ELSE」というアルバムを紹介されました。
早速レコード店に行って探しましたが、国内盤はありませんでした。
当時はBLUE NOTEレーベルがLIBERTYに買収された後でしたが、それでも契約の関係で国内盤としては発売できず、東芝が輸入盤として扱い、油井正一さんの日本語解説が付いていました。
このアルバムの実質リーダーはマイルスですが、当時の彼はコロムビアとの契約中であったことから、代わりにキャノンボール・アダレイがリーダーとなっています。
ジャケットの表面には参加しているメンバー全員が表記されていますが、購入当時、知っていたのはアート・ブレイキーだけでした。
ここに紹介しているものは当時のLIBERTY盤ですが、その後国内盤もプレスされるようになり、各社からは、やれリマスター盤だの重量盤だのと、手を変え品を変え幾度となく発売されており、都度購入しては売却を繰り返すことになった中の1枚です。

現在手元には最初の盤を含め5枚が残っていましたので、国内盤は帯に書かれているコメントも含めリスト・アップしてみました。
1)LIBERTY盤(東芝が輸入)ステレオ (ジャケット上部に「stereo」の文字あり)
2)キングレコード盤(国内盤)ステレオ 
  ≪特別復刻盤・特製重量レコード≫ ブルーノート復刻のこれは完璧な“芸術品”です。
3)東芝EMI盤(国内盤) ステレオ 
  *RVGマスター使用 *カッティング/小鐡徹 *コーティング・ジャケット *180g重量盤
4)CLASSIC RECORDS 盤(US盤) モノラル 180g重量盤
5)disk Union企画のUSプレス盤 モノラル 200g重量盤
  *リリース当時のプレスマシンを使用  *オリジナル・マスターテープからのカッティング  

ということで最初に購入したLPは棚の肥やしとなりつつありますが、ジャケットを見るたびに当時の記憶を蘇らせてくれるので大事にしています。

                                                 
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ローランド・ハナ × 中山英二

2013-01-06 | JAZZ
ジャズ本来の楽しみは「生」を聴くことにあります。
しかも好きな演奏家を呼んで、自らがコンサートを仕切り、出来るだけ近くで聴くことができれば最高!
ということで、その夢が実現したお話です。

私たちは地元のドクターを会長として市のバックアップを得て、1978年頃に「ジャズクラブ」を発足し、持ち寄りのレコードを中心に活動していました。
そこで計画されたのが「ローランド・ハナ×中山英二」のピアノとベースのデュオ・ライブでした。
以前からローランド・ハナはジョージ・ムラーツと、また中山英二はドン・フリードマンと、それぞれアルバムを作っているので「この組み合わせも良いじゃん」ということで、5月25日から始まる「ジャパン・ツアー’90」に組み入れていただきました。
いざ計画が始まってからというもの、まずは会場押さえと各人の役割分担、それに一番重要なチケットの販売です。
340席あるホールを300席以上は埋めたいので、ノルマは最低10枚、出来れば20枚…
ということで、まずは一番身近な家族、知人からスタートし、いつも出入りしているレコード店にもポスターとチケットをお願いして…っと、
しかしミュージシャンの知名度は、知る人ぞのみ知るという感じで「その人だ~れ」と、演歌歌手のような訳にはいきませんでした。
結局会長が四方八方手を尽くして、なじみの患者さんまでお願いし、当日までに何とか予定枚数を捌くことができました。

そしてついにその日がやってきました。
時は1990年6月6日、場所は埼玉県のとある小ホールです。
主催 我がジャズ・クラブ
協賛 **市
後援 **市教育委員会、パイオニア(株)、スイング・ジャーナル、ジャズ批評、文化新聞社

会場は午後6時30分、開演は7時ということで、我々は午後2時に現地集合し最終打ち合わせ、
会場設営と案内、ミュージシャンのアテンド、花束の準備などなど。
そうこうしている間にハナさんと中山さんが登場、簡単な打ち合わせをしてリハへ…、
主催者の特権として、このリハをぜ~んぶ聴くことができました。
ベースの音が大きく、ピアノの音もホールの中に溶け込んでいます。
“ う~ん中々いいなぁ~っと、しばしうっとり… ”


本番もピアノとベースの「生」を聴くということで、マイクもアンプもありません。
音響と言えば、司会者の私と演奏者の語り用としてのマイクのみということで、演奏が始まると皆じ~っと耳を凝らして集中していました。
「生音」の心地良いサウンドがホール全体に響き渡ります。
途中1回の休憩をはさみ約2時間があっという間に過ぎて、大きな拍手と共に花束贈呈があり、演奏会は無事終了しました。

余談ですが、この日の演奏会の後の8日には、東京杉並のテイチク・スタジオで録音したCDが「Memoir」としてCentury Recordsから発売されていて、6日の演奏会の曲を演奏しています。
また同じ組み合わせ+1で、1996年6月10日にも「Hush A Bye」というタイトルの録音がなされ、こちらはWhat’s New Records から発売されています。
 

演奏会の後はミュージシャン達と共に慰労会会場へ。
これも主催者の特権でもあり、また楽しみでもあります。
ハナさんは奥様のラモナさんと共に来られましたが、何度も来日されていることから「日本食OK」ということで、出された食事は全て食べていただきました。
そして持参したアルバムにもサインをお願いし、充実した1日が終了しました。


当日頂いたサインの一部を紹介します。
 

残念なことにローランド・ハナは、2002年11月13日に70歳で亡くなっています。
彼は「サド・ジョーンス×メル・ルイス」のビックバンドのピアニストの他、数多くのアルバムに参加していますが、ここではピアノトリオの代表作を紹介します。
上記のEasy To Loveと下記のDestry Rides Againは共に1959年、Impressionsは1979年の作品です。
 

このジャズクラブのメンバーはピーク時で28人となり、「藤井聡子・田村夏樹+ダンサーのアン」「松本英彦カルテット」「Paul Blay・藤井聡子」の演奏会の他、副島輝人氏によるメールス・ジャズ祭を中心としたフィルム上映会などの活動も行っていましたが、1990年半ばに解散しています。

                                   
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ジャズ喫茶の思い出

2013-01-05 | JAZZ
ジャズ喫茶とは…
コーヒー、タバコ、良い音、大きい音、お話し禁止、オリジナルLP、ジャズ道の修行場所、心地よく眠れる場所などなど…
特に「音」を売っているお店では、飲み物をオーダーするにも小声で行い、話し声がすると即刻注意されました。
1980年代まではこのような感じのお店が全国津々浦々、数多くありました。
私は仕事柄、出張が多かったことから時間が許す限り「ジャズ喫茶」とやらを探しては、その店の雰囲気を感じ取っていました。
そして大抵は何処のお店にも「マッチ」がおいてありました。


ここでは1970年~80年に掛けて、足蹴なく通った2つのお店を紹介しますが、残念ながら今は2軒ともありません。
記憶をたどりながらのことなので、ひょっとして記載内容に勘違いがあるやもしれませんので、お気づきの方がおられましたらご指摘ください。

《 新宿 DIG 》
DIGはJRの新宿駅東口を出て数分歩き、コンクリートのらせん階段を上がったところにありました。
そのすぐ隣にはロールキャベツが美味しかったアカシアが、その先には木馬が、少し遅れてですが、東口を出て右に行くと有楽町から移ってきたママが…
そしてDIGは、入り口のドアを開けると右奥にカウンターがあり、その前に数席、そして左側の壁にはスピーカーとメイン席があり、空いているところは全て相席でした。
座るイスは木製の固いもので、長時間座る時は時々立ち上がらないと腰が痛くなりましたが、大抵の店は2時間が限度で追加オーダーを要求してくるところもありました。
そしてスピーカーと言えばJBL D130が中心のシステムで、壁にはオーナーの中平さんが自ら撮影したセシル・テイラー、マイルス・デイヴィスなどなど…
常連客のオーダーは声を出さずに指1本がヒーコ(珈琲)で、2本はチャーコ(紅茶)でした。
このお店はハードバップからフリーまで何でも聴け、しかも輸入盤の新譜も豊富だったことで、掛った音楽と提示されているジャケットを見ながら「ジャズ道」とやらを磨いていました。
その中で、今でも印象に残っている3枚を紹介します。

NO SAMBA(Straight Ahead/1973年)
 
Side One
1. Mexico (A.Houser) [10:51]
2. Charlottesville (A.Houser) [5:10]
Side Two
3. No Samba (B.Hill) [6:06]
4. Cousin Rae’s 3-Step (Kent) [3:21]
5. 10Years After (A.Houser) [8:36]
アレン・ハウザー(tp)の初リーダー作で、当時としては新感覚のハードバップ作品でした。
その後のリーダーアルバムに、この作品を超えるものは見当たりません。
共演しているバック・ヒル(ts)にはデンマークのステープルチェイス・レーベルにリーダー作があります。

FRANCO AMBROSETTI QT(PDU/1975年)
 
Side One
1. Rumba Orgiastica (J.Kuhn) [5:27]
2. Things We Did Last Summer (Cahn-Styne) [13:37]
Side Two
3. Rocky Mountains (Flavio Ambrosetti) [9:12]
4. Buanuara (G.Gruntz) [10:30]
ユーロを代表するトランペッターの一人であるフランコ・アンブロゼッティのカルテット作品で、他にジュルズ・グランツ(p)、ロン・マシューソン(b)、ダニエル・ユメール(ds)のヨーロッパ勢が参加しています。

FOR ALTO(Delmark/1971年)
 
Side One
1. Comp. 8 A (dedicated to Jack Gell) (Braxton) [0:43]
2. Comp. 8 F (dedicated to Cecil Taylor) (Braxton) [9:30]
3. Comp. 8 H (dedicated to Murray de Pillars) (Braxton) [4:17]
4. Comp. 8 (A/B) Blues /Comp. 8 E (dedicated to John Cage) (Braxton) [5:18]
Side Two
5. Comp. 8 D (dedicated to Ann and Peter Allen) (Braxton) [12:54]
Side Three
6. Comp. 8 C (dedicated to Susan Axelrod) (Braxton) [10:24]
7. Comp. 8 G (dedicated to Kenny McKenny) (Braxton) [10:06]
Side Four
8. Comp. 8 B (dedicated to Leroy Jenkins) (Braxton) [19:47]
アンソニー・ブラクストンの即興によるアルト・サックス・ソロの2枚組で、今は通して聴く体力がありません。


《 新居浜 ALMOND 》
1970年の万博当時、新幹線はまだ新大阪までしか開通しておらず、現地での朝の始業に間に合わせるためには東京駅で最終の新幹線に乗り、立ちんぼ状態のまま新大阪へ、それから山陽本線~宇高連絡船~四国本線を乗り継いで、早朝7時に新居浜駅前で朝食を取り…と、およそ6か月の間、本社と新居浜を行ったり来たりの状況が続きました。
出張中は一日の作業が終わるのを待って、いつのもALMONDへ行き、時には食事をしたり、音楽の情報交換をしたりして過ごし、オーナーはジャズの他に演歌も大好きな方で、ご贔屓は森進一でした。
そして夜も更けて客が私一人になると「これ掛けてもいいかい」と言って、時々演歌も聴いていました。
この店にはジャズに関する新しい発見は殆ど有りませんでしたが、人生や商売に関する色々な情報交換により、リフレッシュしていました。
そこでいつも良く掛っていた2枚を紹介します。

LEFT ALONE(BETHLEHEM/1960年)
 
Side One
1. Left Alone (M.Waldron-B.Holiday) [6:04]
2. Cat Walk (M.Waldron) [6:52]
3. You Don’t Know What Love Is (D.Raye-G.Depaul) [5:49]
Side Two
4. Minor Pulsation (M.Waldron) [8:11]
5. Airgin(S.Rollins) [7:08]
6. Mal Waldron:The Way He Remembers Billy Holiday [4:10]

KELLY AT MIDNIGHT(VEE JAY/1960年)
 
Side One
1. Temperance (W.Kelly) [7:32]
2. Weird Lullaby (B.Gonzalez) [7:12]
Side Two
3. On Stage (R.Stevenson) [5:13]
4. Skatin’(R.Stevenson) [5:51]
5. For Luck (W.Kelly) [6:53]

ジャズ喫茶に関する話はまだまだありますが、今回はここまでとして・・・

このページの最後に最近発売された本で、九州と山陰・山陽のジャズ喫茶が網羅されている2冊を紹介します。
著者は田代俊一郎で、書肆侃侃房から出版されています。

 

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初めて聴いたモダン・ジャズ

2013-01-04 | JAZZ
「TIME OUT」
    

私がジャズを意識した1950年代は、ジャズと言えばデキシーランド・ジャスやスイング・ジャスは勿論のこと、ラテンやタンゴ等の輸入音楽がジャズとして分類されていました。
当時から音楽に親しんできましたが、入手媒体はラジオだけでしたので、ラテンやタンゴを聴く機会の方が多かったです。
ラテンやタンゴについては、別の機会に報告するとして、当時はせいぜいベニー・グッドマン止まりだった私の中のジャズが、都会にでてきた途端に視野が広がり、スイング・ジャーナルとやらを入手するに至っては、3度の食事が2度になること度々で、レコード購入に足を突っ込むはめになりました。
そんな中で初めて聴いた(買った)LPは、誰もが知っているえ~と月光仮面ではなく、ディブ・ブルーベックがリーダーとなった「TIME OUT」でした。
このオリジナル盤は米国CBSで、1959年6月~8月に録音されていますが、購入したアルバムは日本での版権がまだ日本コロムビアにあった時代で、1962年7月に発売されています。
購入したジャケットは俗に言う「ペラジャケ」でレイアウトもオリジナル盤に近いですが、このアルバムの中の「TAKE FIVE」がヒットしたことから、米国の再発盤や日本のSONYに版権が移った時代には、アルバムのタイトル脇にちゃっかりと「TAKE FIVE」の文字が入ったものも出ていました。
このアルバムはブルーベックのオリジナルを中心に全部で7曲入っていますが、「TAKE FIVE」だけはアルト・サックスのポール・デスモンドのペンによるものです。
ブルーベックの顔がアップで描かれている黒いジャケットの方は、オリジナル盤に近い良い音がするという情報もありますが、オムニバス盤のため人気がなく、当方は中古ですがピカピカの盤を「大きいワンコイン」で入手しました。

1920年12月6日生まれのブルーベックは、惜しくも昨年12月5日に91歳で亡くなりました。(合掌)

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管理人が最初に演奏したJAZZ曲

2013-01-03 | JAZZ
管理人はラッキーなことに勤めた会社にジャズのフルバンドがありました。
学生時代から楽器を演奏していたこともあり、就職してからも何らかの形で音楽を続けたいなぁ~と思っていたことから願ったり叶ったりのことで、入社後直ぐに仲間に入れてもらいました。
そのバンドはリーダーの好みもあり、演奏曲と言えばグレン・ミラーの「ムーンライト・セレナーデ」や「イン・ザ・ムード」などでしたが、同じミラー・スタイルの中でもラルフ・フラナガンの「歌う風」(シンギング・ウインド)などもレパートリーに入っていました。
私の担当していた楽器はテナー・サックスでしたが、学生時代はクラリネットを吹いていたこともあり、ミラー・サウンドの神髄であるリード楽器のソリ(合奏)では、両方の楽器を掛け持ちで演奏することが多かったです。
バンドの練習は週2回の昼休みの30分で、就業後は自主練習となっていました。
発表する場所と言えば会社行事の他、演奏会も開催していましたが、オイルショックの後は活動費の援助もなくなりその時点で解散となってしまいました。

ここに紹介するグレン・ミラーとラルフ・フラナガンのアルバムは、今でも時々ターンテーブルに乗っています。
このアルバムの「THIS IS GLENN MILLER」は、ドラムのレイ・マッキンレーがリーダーとなっていた時代の1960年6月に録音され、その後このメンバーの大半が日本にも来日しています。
そして内容はと言えば、オリジナルバンドのアレンジに忠実に沿っていて好感が持てます。
残念なことに、管理人はこのブログを開設したばかりでテクが伴っていないため「音源」は紹介できませんが、スキルアップした後には「音」も同時にお届けしたいと思います。



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明けましておめでとうございます

2013-01-02 | 日記
元旦


こちらは日本のお正月です。
1月1日は前日や夜明け前から山や海岸に出かけて行って色々な方法で初日の出を有り難く頂く人がおり、今年はANAが飛行機で富士山上空から、このご来光とやらを見るサービスもしていました。
あっしなんぞは既に年寄仲間の部類なので、いつもお天道様が顔を出す前に起床しているのですが、今年もベランダに出て拝んだだけの根性なしとなりました。
例年のことながら1月1日はお神酒と雑煮を頂いてから、大抵は高速自動車道の渋滞解消時間を見計らって、富士山を見に出かけます。
今年は天候に恵まれたので、さぞかし立派な富士が拝めるだろうと、びゅーんと一っ跳びで現地へ… っと言っても自家用飛行機でもヘリコプターでもなく、いつものことながら覆面パトカーを左右に気にしながらのマイカー運転でのことです。
中央高速道は笹子トンネルの事故の後遺症がまだ残っており、車の数は激減していました。
そして目的地に到着したら既にお天道様は沈んでしまっていましたが、今回も暗闇になる前に何とか日本一の雄姿を拝むことができました。



そして翌朝は富士山北口登山道入り口にある「富士浅間神社」に初詣へと出かけました。
大きな鳥居を潜って200メートル先に本殿がありますが、既に人の波・波・波で、列の後方に並んで待つこと30分、やっと私の順番となりました。
この時期は大勢の人がお参りに来るため、いつものお賽銭箱の代わりに畳1畳ほどの大きな箱に白い布が敷いてあり、「いらっしゃい」と待ち構えています。
そこで私はポケットから*円を取り出して放り投げながら、千円札があるな~、1枚、2枚、3枚…、このご時世だからさすがに1万円札は無いなぁ~と不謹慎な態度で「ムニャムニャ」と祈願し、今年の干支である「巳」の絵馬の付いている破魔矢を買って、元旦のセレモニーを無事終了しました。

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2013年1月1日 ブログを開設しました

2013-01-01 | 日記
明けましておめでとうございます。
2013年の幕開けと同時にブログを開設しました。
ここでは日々の生活や趣味のことなどを報告していきます。
趣味についてはジャズ関連の話が中心になります。
とういうのも、中学、高校時代にブラスバンド部に所属していたこともあり、長年音楽に親しんできた関係で、サラリーマンになってからは社内のビックバンド部に所属してジャズを演奏するようになり、また職場の先輩のアドバイスもありジャズに目覚め、数えてみたら45年になりました。
巷ではジャズに関するブログが数多く出されていますので、やれオリジナルだなんだかんだということはその道の方々にお任せし、ここではこれまで自身が体験してきたことや、新しい発見についていろいろ語って行きたいと思います。
何時まで続けられるか判りませんが、余り気張らずボチボチ進めて行きますので、皆様どうぞ宜しくお願い致します。

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