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カーネギー・ホールのアイ・ジョージ

2013-01-12 | 演歌・ポップス
前回はベニー・グッドマンのカーネギー・ホールで終わりましたので、今度は日本人が最初にその舞台に立った人のことについて述べさせて頂きます。

その人の名はアイ・ジョージ
本名 石松譲治 1933年9月27日生まれ
ラテン、ポピュラー、民謡、演歌、何でもござれで、声量はあるし外国語の発音も上手い。
しかも作詞、作曲もする万能歌手です。( でした )
私生活は兎も角として、歌が上手いことから、私は以前からアイ・ジョージのフアンであり、今でも音源の収集を続けています。

そして彼は日本人で初めてカーネギーの舞台に立ちましたが、それは日本が東京オリンピックを1年後に控え、高度成長期に入っていた1963年10月9日( ~10日)でした。
(ちなみに最初の女性歌手は1976年の朱里エイコのようです)
その時の記録は、当時彼が所属していたテイチク・レコードが2枚のアルバムに残しています。
男30歳、声にも張りがあり素晴らしい歌声がきけますし、構成もアレンジも良いです。
アルバムの中で、自らの紹介を「アメリカで私を知っている人は誰もおりません。
ですからここでは新人です」と言っています。

   
しかし裏面の解説を読むに連れ、1963年に米国の、しかも夢の舞台で歌うということは、まだまだ厳しい時代であり、その後の評判は決して芳しくなかったと、記憶しています。
それはユニオンの問題やら、サウンドチェック、それに録音のトラブルも重なって、本当に大変だったようで、この辺の経緯は、アルバムの裏面に詳細に書かれています。

なお、彼が作詞、作曲にも長けていることを証明できる「アイ・ジョージ作曲集」というアルバムがあり、ここでは作詞の他、イタリア語への訳詩も自らが手がけています。

 


そしてカーネギー・ホールの先輩と言えば…
ハリー・ベラフォンテが4年前の1959年4月に、同じ舞台に立っています。
このアルバムの中のダニー・ボーイと聖者の行進は、ジョージも歌っていますが決して物まねではなく自らの表現でです。

それからジャズ・ピアニストの山下洋輔も、1994年4月に同じ舞台に立っています。
それは所属しているレーベル(Verve)の50周年記念コンサートで、錚々たるメンバーのなかで、バド・パウエルが作曲した「パリの目抜き通りで」をソロで熱演しています。

 

コメント (2)
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