あしたのブログ!趣味や日々の報告ページ

このページを活用し趣味や日々のことなどを中心に報告しています。

ローランド・ハナ × 中山英二

2013-01-06 | JAZZ
ジャズ本来の楽しみは「生」を聴くことにあります。
しかも好きな演奏家を呼んで、自らがコンサートを仕切り、出来るだけ近くで聴くことができれば最高!
ということで、その夢が実現したお話です。

私たちは地元のドクターを会長として市のバックアップを得て、1978年頃に「ジャズクラブ」を発足し、持ち寄りのレコードを中心に活動していました。
そこで計画されたのが「ローランド・ハナ×中山英二」のピアノとベースのデュオ・ライブでした。
以前からローランド・ハナはジョージ・ムラーツと、また中山英二はドン・フリードマンと、それぞれアルバムを作っているので「この組み合わせも良いじゃん」ということで、5月25日から始まる「ジャパン・ツアー’90」に組み入れていただきました。
いざ計画が始まってからというもの、まずは会場押さえと各人の役割分担、それに一番重要なチケットの販売です。
340席あるホールを300席以上は埋めたいので、ノルマは最低10枚、出来れば20枚…
ということで、まずは一番身近な家族、知人からスタートし、いつも出入りしているレコード店にもポスターとチケットをお願いして…っと、
しかしミュージシャンの知名度は、知る人ぞのみ知るという感じで「その人だ~れ」と、演歌歌手のような訳にはいきませんでした。
結局会長が四方八方手を尽くして、なじみの患者さんまでお願いし、当日までに何とか予定枚数を捌くことができました。

そしてついにその日がやってきました。
時は1990年6月6日、場所は埼玉県のとある小ホールです。
主催 我がジャズ・クラブ
協賛 **市
後援 **市教育委員会、パイオニア(株)、スイング・ジャーナル、ジャズ批評、文化新聞社

会場は午後6時30分、開演は7時ということで、我々は午後2時に現地集合し最終打ち合わせ、
会場設営と案内、ミュージシャンのアテンド、花束の準備などなど。
そうこうしている間にハナさんと中山さんが登場、簡単な打ち合わせをしてリハへ…、
主催者の特権として、このリハをぜ~んぶ聴くことができました。
ベースの音が大きく、ピアノの音もホールの中に溶け込んでいます。
“ う~ん中々いいなぁ~っと、しばしうっとり… ”


本番もピアノとベースの「生」を聴くということで、マイクもアンプもありません。
音響と言えば、司会者の私と演奏者の語り用としてのマイクのみということで、演奏が始まると皆じ~っと耳を凝らして集中していました。
「生音」の心地良いサウンドがホール全体に響き渡ります。
途中1回の休憩をはさみ約2時間があっという間に過ぎて、大きな拍手と共に花束贈呈があり、演奏会は無事終了しました。

余談ですが、この日の演奏会の後の8日には、東京杉並のテイチク・スタジオで録音したCDが「Memoir」としてCentury Recordsから発売されていて、6日の演奏会の曲を演奏しています。
また同じ組み合わせ+1で、1996年6月10日にも「Hush A Bye」というタイトルの録音がなされ、こちらはWhat’s New Records から発売されています。
 

演奏会の後はミュージシャン達と共に慰労会会場へ。
これも主催者の特権でもあり、また楽しみでもあります。
ハナさんは奥様のラモナさんと共に来られましたが、何度も来日されていることから「日本食OK」ということで、出された食事は全て食べていただきました。
そして持参したアルバムにもサインをお願いし、充実した1日が終了しました。


当日頂いたサインの一部を紹介します。
 

残念なことにローランド・ハナは、2002年11月13日に70歳で亡くなっています。
彼は「サド・ジョーンス×メル・ルイス」のビックバンドのピアニストの他、数多くのアルバムに参加していますが、ここではピアノトリオの代表作を紹介します。
上記のEasy To Loveと下記のDestry Rides Againは共に1959年、Impressionsは1979年の作品です。
 

このジャズクラブのメンバーはピーク時で28人となり、「藤井聡子・田村夏樹+ダンサーのアン」「松本英彦カルテット」「Paul Blay・藤井聡子」の演奏会の他、副島輝人氏によるメールス・ジャズ祭を中心としたフィルム上映会などの活動も行っていましたが、1990年半ばに解散しています。

                                   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする