まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

心が強いから

2008年07月21日 | Weblog
ある女性が、自宅を建てようとしている。

それで、方位とかなんとか、設計士に相談したらしい。

くだんの先生、ぼくは心が強いから、そういうことは気にしない、と言った。

神とか仏とかも、とも。

彼女、すっかり、話すのがいやになってしまったらしい。

ま、そうだよね。

だけどさ、強い心って、折れるからね。

柳に風、っていうし。

しなやかな心のほうが、たぶん、理にかなっているとおもうけどね。

からだの硬い人って、怪我しやすいし。

ある時代には、強い心、なんていうことが、流行ったんだろうけど。

強い心、負けない心をめざすと、勝てる勝負しかしなくなるかもしれないね。

亀田兄弟みたいなマッチメークしちゃうんだよね、自分で。

人生の幅は、すごく、狭くなるだろうな。

そもそも、心に勝ちも負けも、強いも弱いもないんだろうけどね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鑑真和上

2008年07月20日 | Weblog
 若葉して

  おん目の雫

   拭はばや       芭蕉

元禄元年に、唐招提寺へおまいりしたときの句。

この12日からはじまった、県立美術館の鑑真和上展へ、母とともに行ってくる。

西暦の750年前後に、鑑真和上は、7回だったか、中国から日本へ、禁を犯して、渡航を試みる。

その挙句、弟子をうしない、わが目の光をうしない、やっと、日本の鹿児島へ着く。

仏教を伝えようという思いの強さは、すさまじいものがあったわけだ。

なんなんだろう。

そんな、大僧正を、1000年くらいして、芭蕉が、冒頭の句に、詠んだ。

754年には、聖武天皇に授戒してるんだよね。

旧い戒を一切すてて、あらたに授戒、なんて書き方してあった、年表には。

そのころを境に、神から仏へ、切り替わっていったんだろうか。

仏の教えによって、国を、民を安寧に導く、という。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

翼のはえたエンジェル

2008年07月19日 | Weblog
翼の折れたエンジェル、という歌が流行ったことがある。

翼のはえたエンジェルの話なんだけど。

なくなったばかりの友人が、入院する前、フィットネスで、初老の方と親しくなったらしい。

その方、膀胱がんだかの手術を失敗したらしく、病院が云々、と嘆いていた、という。

病院はえらばなきゃね、みたいな話なんだろうね。

振り返ってみると、その彼、翼のはえたエンジェルだったのかもしれない、という仮説をたててみた。

ひょっとしたら、早くになくしたお父上が、天上からのメッセージを、その方に託したのかもしれない、と。

病院選びは慎重に、って。

残念ながら、翼は見えなかったけれど。

まわりで起こっていることを、見渡してみると、そんな感じがしなくもない。

この世に生きていることの、奥深い妙味とでも呼ぼうか。

こころ、澄み切らせてみれば、天上天下、わが師ならざるものなし、なんて、たしか、吉川英治もいっていたような気がする。

それにしても、医療過誤と損害賠償の訴訟、悪循環の中にずっぽりとはまってしまっているようだ。

今回の彼の顛末から、なんでも訴訟、なんでも保険、という社会になってしまっていることを実感した。

わが事のように人を見る、という視線、あんたもあほやけど、わしもあほや、あなたも不完全だけど、わたしも不完全です、という感覚、ないんだよね。

訴訟の仕組みって。

黒白決着つけろ、なんだからね。

で、換算は、お金の多寡でさ。

教育もそうだけど、医療も、再生させるには、時間がかかりそうだね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

言霊の幸はふ国

2008年07月18日 | Weblog
 敷島のやまとの国は

  言霊の幸(さき)はふ国ぞ

   ま福(さき)くありこそ

万葉集にあるらしい。

日本の国は、ことばに霊威のある国だから、いま、あなたの前途を祈ったことば通りに、かならずご幸福になるでしょう、という意味だそうで。

そのむかし、この言葉によって、遣唐使の旅立ちを祝った。

言葉が呪力を発揮することを、言霊がさきわう、といったらしい。

現代という時代は、言葉がうすまったようにも見えるんだけど、その実、結構、親や世間、学校の先生の発した、言霊の呪力に縛られている、なんてのは、ありがち。

気づかないうちに、自縄自縛、に陥っている。

ある意味、究極のマゾヒズムだな。

人生の目的は、マゾヒスト(サディストも裏返しだけど)からの脱出なのかもしれないね。

灯篭に、さまざまな言葉を書いて、川に流したんだけど、友人は、上から、ながめていたんだろうな。

うれしさとともに、みんな、がんばってるね、と。

こちら側にいるわれわれの、ある種、決意表明でもあるからね。

和顔愛語(わがんあいご)っていうからね。

にこやかな顔と愛ある言葉って。

I am OK、であれば、You are OK、でもあるからね。

わたしはあなたで、あなたはわたし、みたいな。

それじゃ、そろそろ、言霊の幸きはふ国を、創ることにしようか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

灯籠流し

2008年07月17日 | Weblog
巴川を灯籠が流れてゆく。

人それぞれの思いを乗せているんだよね。

6月4日に旅立った友人を送る。

川に向かって、あ焼香台が置いてある。

手を合わせていると、未だに、涙が出てくる。

川を見つめている、彼の息子の肩に手を置く。

おやじが流れていくぞ、って。

自分の言葉に、また、涙が出てきて、次の言葉につまる。

写真に、お月様も見えますか。

灯籠には、大瀬大明神の文字を入れてくださいね、という。

沼津の先にある大瀬崎とつながっているんだろうな。

また、遠い思いになる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天障院

2008年07月16日 | Weblog
 君の齢 

    止めかねたる早川の 

      水の流れもうらめしきかな


今年の大河ドラマは、人気があるらしい。

たしかに、おもしろいしね。

毎回、一度は、涙腺がゆるむ。

だんなさんの、家定さんがなくなって、20代にして頭を丸めた篤姫。

天障院となるわけだ。

次の世継ぎが、家茂さん、いえもち、と読むんだね。

この家茂さんの嫁さんが、和宮さん。

京から江戸へ、嫁いで来た。

去年、おじおば会で行った中山道をとおり、碓氷峠も越えていった、という。

お供のものも連れて、三万人の大行列だった、とどこかに書いてあった。

軽井沢近辺の宿場町では、布団やら茶碗やら足りなくて、ほうぼうから、借り集めたらしい。

そりゃそうだよね。

天皇家と徳川家の合体、つまり、公武合体、というわけだけど、政略結婚のきわみ、というやつだ。

ひとつの体制の崩壊がちかづくと、やることが、ひとつひとつ、ひょうきんなんだよね。

和宮さん、いいなづけがいたらしいんだけど。

しかし、この家茂さんも、21歳くらいで、病死、あやしい死に方だよね。

あとを追うように、和宮さんもなくなってしまう。

篤姫、天障院が一人残される。

で、薩摩から嫁にきて、はじめて、箱根の塔ノ沢温泉へ、旅行する。

そこで、皇女和宮をしのんで、歌をのこしているんだよね。

それが、冒頭の歌。

なんか、切なきことのかぎりなり、みたいな気分になる歌だよね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

仏壇よみがえる

2008年07月15日 | Weblog
妻の実家の仏壇。

すばらしく、きれいによみがえった。

一番上の兄が、生まれた頃、というから、もう60年以上前か。

おじが戦争から、遺骨で帰ってきた時、おじいさんが作った仏壇だ、と。

ガタピシしてたのも、くすんだ金箔も、風化しかかっていた漆も、きれいになった。

お父さんたち、喜んでいるだろうね。

たまたま、直してくださった職人さんが、浄土真宗の方だったそうで。

義兄は、おやじが生きているうちにしてあげればよかった、と言っていたけど、それが、この時期が、また、絶妙なタイミングなんだよね。

子ども達が、みんな独立していき、夫婦だけの暮らしになる、というこの時。

先のものは、後のものを思い、後のものは、先のものを思い、って、たしか、妻のおやじさんが、晩年、枕元へ書いておいてあったな。

親鸞聖人の言葉だったとおもう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

古稀

2008年07月14日 | Weblog
「ゴルゴ13」を描いている漫画家、さいとうたかお。

夜中のNHKで、自叙伝みたいな番組をやっていた。

トラウマから解放されたのは、古稀の少し手前だった、と語っていた。

あれだけ売れている漫画なんだけど、自分の作品を見るのが、嫌いだった、と。

なぜなんだろう、と長年、なぞだった。

どうやら、母親の言葉だったらしい。

絵なんか描くな、という。

父親は、小学校のころ、いなくなったしまっていた。

絵描きを目指していた父親だったのか。

あんたのおとうさんも、あんたみたいなこといって、どこかへ行っちゃたんだよ、と。

さいとうたかおが小学生のころ、絵で、金賞をもらう。

でも、母親は、ほめてくれず、その絵は、かまどにくべられてしまった。

戦争から復員したばかりの、紙芝居のおじさんに、懇願されて絵を描いてあげても、母親は、あんたは、中学を出たら、散髪屋になるんだから、絵なんか描いちゃ、だめだ、とにべもない。

後年、漫画が本になったとき、余命幾ばくもない母親の枕元に、その本を置いた。

たたみの目を数えておいて、母親が読んだかどうか、母親の死後、確認した。

手にも取ってなかったことがわかった、なんて言うこともいっていたな。

母親の言葉って、すごいもんだね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

暑いお葬式

2008年07月13日 | Weblog
昨日は、お葬式に妻と二人で。

延命寺。

涙声で伝えられた、ある女性のお父様のお葬式。

近くの交番で道を尋ねたら、ずいぶん、丁寧に教えてくださった。

暑い日だった。

油屋のお父様のお葬式も、こんな日だった、と妻に話す。

車中、あの詩、よかったね、と妻が言う。

僕の書いた詩じゃないんだけどね、タオです。

「HARA」というエントリー。

 「善い」とほめられたって

 「悪い」とけなされたって

 どれほどの違いがあるのかね。

このフレーズ。

こんな詩を、幼稚園のときに、知っていれば、いじめられなくても済んだのに、と。

そうは言っても、このフレーズが、それこそ、腹にしみるまでには、それなりの時間が必要だったんだろうからね。

知ってることと腹に落ちることとは、千里の道があるからさ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歴史好き居酒屋

2008年07月12日 | Weblog
わ香。

わか、とよむらしい。

静岡の駅南、入船横丁にある。

南朝方の重臣、名和長年の末裔だというおかみ。

ずいぶん前に、囲炉裏パーティーご主人につれてきていただいたとき、棚にかざってある名和大社のお札の由来をきいたんだった。

どうも、南朝、という言葉をきくと、耳、ピクピク状態になってしまうんで。

来たい来たい、と思っていて、念願かなって、二回目のご来店、と相成ったしだい。

足利尊氏に敗れた、後醍醐天皇以下、南朝方がおちのびて、生ききってきた姿に、歴史の哀切を感じるんだよね。

北朝方の追討は苛烈を極めたようで、人のすまないような山奥で、生計を立てることは、どれほどのものだったんだろう、と。

おかみさんも、歴史好きだと、自認するだけあって、そんな話になると、気持ちよく、手が止まる。

生ビールまだ?

そうそう、そうだったわ。

ネギ間、焼けた?

そうそう、火をつけてなかったわ、という具合。

夕べは、また、歴史好きのお客さんが集まったようで。

熱海の在住の方からは、梅園近くの澤田なんとか美術館の仏像コレクションをおしえていただき、浜松在住の、もと相撲の国体代表選手からは、徳川家康二人説をご披露いただき。

僕の隣には、わが社の、日本武尊ゆかりの建部大社の末裔?

そんなこんなで、夜は更けたのです。

帰りがけ、歴史はわからないけど話を聞くのは楽しい、とおっしゃってくださった常連のお嬢様?には、落語がヒットした。

2月の人生初の、浅草園芸ホールの話、川柳川柳のガーコンの笑いのオーバーフローなどなど、持ち出すと、彼女、春風亭昇太を、昇太くんとよぶくらいのファンだそうで。

次の約束があるんで、ごめん、中途半端で、また近いうちに来ます、と言い残して、わが身を引き剥がすように、日本武尊とふたりで、店を出た。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする