それは、昨日の朝。
隣の部屋で、藤枝から通いの女史が、大きな声でなにか叫んでいて。
そのうちに、出て行きました。
ってわけだ。
なにせ、わが巴川側の窓は、あけ放たれ、気持ちのいい朝を満喫する季節だから。
たぶん、そこからなんだろうな、と思いつつ。
たまに、ベランダの手すりにコゲラか、名前わかりませんが、小鳥がこちらの草花を。
睥睨している様を見かけるけれど。
緑なすベランダ、と相成り、彼らも何らかの関心を寄せつつある、なんて思うと。
僕ではないけど、わが社員さん、いい仕事、してるな、なんてね。
人間にしても何にしても、寄ってくる、蝟集するってのは、落語の寄席に限らず、いいものだ。
そう、昨日は、わが社労士さんのお二人に、榊、そうレジェンド榊、とでも呼べるか。
1年半に垂んとする緑なす、わが榊、足掛けでは三年になるか。
それを御披露申し上げ、少々の驚きを共有した次第。
ついでに、助成金だけじゃなく、補助金についてもコミットしたらいかが、なんて提案し。
前者は厚生労働省、後者は経済産業省、お役所の縦割りに拘泥すること、ないでしょ。
ってなもんだ。
ところで、夕べのテレビ番組で。
なにかと話題のトムハンクスが、コロナと名付けられ、いじめられていた少年を。
コロナ印のタイプライターで慰撫し、一件落着していたので、この先。
COVID-19という呼称にこだわらずに、コロナ、という文言を使えるな、と禁忌を破った次第。
そのアフターコロナ、とか、ポストコロナ、とかの時代には。
というか、コロナINGではあるんだけど、上記の、お役所の縦割り、とか。
そこかしこに散見される、当たり前化された風潮、風景、情景、光景を。
「そもそも」エネルギーで、源に返し、という所作。
そこだな、テストに出るところ、って。
そうそう、この間の、web若手社員研修、ってので気づいたんだけど。
報連相がなぜ大事か、というテーマでの講師がおっしゃった、情報共有することで。
知恵やアイデアが増え、というフレーズ。
これね、そんな場作りが大事だ、とのたまっていた当方にとって、大きな気づきで。
つまり、空間としての場をつくる、と肩肘張ることも一つだけど、日常の。
細々した、報告や連絡や相談の、その瞬間瞬間に、気づきの共有がされることで。
時空に限定されない場が創造される、ってわけだ。
ここもテストに出るな。
何てことの連続が、人生の妙味、醍醐味でもあり、キャリー・マリス博士の。
文庫本の原題、dancing naked in tha mind field、ってやつだ。
心の原野を裸で踊る、ってね。
さて、それでは、dancing を始めるとしますか。
言い忘れた、彼の翻訳は、文学者のような生物学者、福岡伸一さんだ。