これ、梵語だそうだ。
サンスクリット語ともいうのか。
悟りを開いていない坊さん、という意味らしい。
受け売りだけど。
何?なに?を慕う、そこに思いを募らせる、なんて、たしかに、ってなもんだな。
馬鹿、ではないんだね。
インドのあたり発祥のサンスクリット、って、完成された、洗練された言葉、って意味がある。
というんだけど、んなこと言ったって、いまだに残るカースト、っていったい?
なんてね。
誰だったか、そう、京大の学長、山極寿一さんね、ゴリラと暮らした、というフィールドワークの。
かの御仁が、人間は、600万年前に1500グラムの脳みそを手に入れた、だったかな。
いや、1500ccという容量を、だったか。
いまだにその容量だそうで。
その分量だと、ざっと、150人くらいがやっとらしいね、群れを形成するには。
だから、独裁者が14億人の民をまとめる、ってのは、土台無理な話で、って。
別に、現在の中国の習近平さんを揶揄したいわけじゃなくて、だけどね。
だから、民主主義、とかの聞こえのいいシステムを構築し、ってことか。
僕らは、戦後の民主主義教育を受けて、なんてストーリーの中にいるけれど、この。
民が主人の、民、っていう字ね、最近知ったんだけど、なかなか、えぐい語源、由来みたいで。
by 白川静さんだけど。
目を刺している、なんて絵柄みたいで、視力を失っている人を民と呼ぶ。
なんてね。
言葉とか文字とかってのは、あるいは、シンボルでもそうだけど、何気なく、なんの意図もなく。
日常的に使っちゃってるんだけど、その後ろ側から忍び込む霊気、エネルギー、なんてのが。
長い長い間には、ある悪さをするわけだ。
アルファロメオのエンブレムとかさ。
family、なんてのも、famulusというラテン語由来で、15世紀の頃にローマ人が使っていた、とかね。
これ、奴隷、なんて意味があったらしい。
ファミレス、なんての、今は苦戦中だけど、週末には家族づれで、なんて。
魚座の、信の時代から、水瓶座の、知の時代への転換、ってののなせる技なのかどうなのか。
知るってのは、ある意味、勇気のいることでもあるかもね。
勇気なしの知る、ってのは、単に、学校の先生から教わる知識、くらいの話かね。
本来の知る、ってのは、カラダそのもの、人生そのものを大回転させる力がある。
なんていうのが、論語、という文字の群に書き残されている、孔子さんの。
学ぶ、とかの話でもあるね。
なんて具合の、価値の大転換が、水瓶座の時代には起こりつつあるのかも、ってのが。
今朝の感想だな。