まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

思いを馳せる。

2020年06月01日 | Weblog

なぜか、今朝は、こんな表題で。

ブルンジから届いた豆にしよう、と決めた瞬間に、かの地へ旅だった。

みたいな。

芭蕉の辞世の句、なんてのも、浮かんできて。

旅に病んで 

夢は枯野をかけめぐる

ってやつね。

というのも、先週の個人ミーティングでの相方から出かかった句だったんだ。

そこへ応じた当方は、芭蕉が陋屋の整理、ま、断捨離みたいなものだね、をして。

さて、東の奥へ出かけるぞ、という時の心情をしたためたもの。

片雲の風に誘われて、漂白の想いやまず、ってやつね。

【白河の関越えんと、

そぞろ神の物につきて心を狂はせ、

道祖神の招きにあひて取るもの手につかず】

なんて続くんだよね。

神がかりするくらい心狂おしい、ってわけだ。

いずれにしても、思いが馳せる、ってことで。

カラダは馬のようにかけていかない、って状態だな。

思いを膨らませていく能力を授かったのが、わがホモ・サピエンス、ともいえて。

同時に、思いだけが先行し、膨張し、カラダとの調和が不具合になる、なんてのも。

ありなわけだ。

土曜日の瞑想ワークショップで出会った御仁が、30年、鬱状態でした。

なんて方で。

その長さに驚き、そんなことを語れる、彼の今、ってのを、密かに寿ぎ。

ってことがあった。

現実と全身全霊でぶつかり、上流から流れてくる間に、角が取れて丸くなる、みたいなこと。

が、ま、ごく普通の人の成り立ちだけど、現実の捉え方が、あるいは、現実との出会い方が。

これまた、人それぞれなわけなんで、普通って何?というわけで。

まさに、十人十色、ってことだな。

しかも、現実、ってやつも、またまた、厄介な代物で。

当たり前だけど、それぞれにそれぞれの現実がある、って寸法だ。

なんてことが奇貨となって、多様性なんて言葉ではとても掴みきれないくらいの。

それぞれ、ってのが明らかになれば、今回の「パンデミック」だって。

そりゃ、神さまもしたり顔、ってことじゃないかな。

ところで、昨夜の笑点が、social distanceってことで、番組作りままならず、40周年の頃の映像。

それにコメントしつつ、って作り込みだったんだけど、その頃、たぶん、15年くらい前か。

先代の三遊亭圓楽さんが司会降板、そして鬼籍に入る、ということなんだけど。

それに比べて大酒飲みの、わが川柳師匠、いまだ健在、ってことだから、驚きだ。

ほぼほぼ、年齢的には同じくらいなわけで、円楽さんが少々兄弟子か。

立川談志も、なんて見てみると、大酒飲みが功を奏していたのかどうなのか。

なんてね。

さて、今日は個人ミーティングの続きだ。

one pieceとしての宝物、ってわけだ。

コメント
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