フランスからスペインへ向かう巡礼路。
のことを言うのか、その巡礼の人々なのか、あるいは、終着地のことか。
いずれにしても、キリスト教の、と言うことは、長くても2000年くらい前から。
どれだけの人々が歩いたのか、途方もない思いになるけれど。
四国のお遍路さんみたいなものか。
道中、瀟洒な、あるいは、貧相な、教会が迎えてくれて、地元の方々は笑顔。
そこを歩くことで、自分が何者であるのかがわかるんだそうで。
苦渋に満ちた日常から脱出するヒントを得たかたであったり、ある方は。
30歳で歩き始め、妻とも別れ、50歳になった今、10回目を歩いてる、なんて。
歩けばわかるんだ、と。
そういえば、わが歴史の旅、そのメンバーの女史のお姉さまも歩いた。
と聞いたな。
九州は国東半島を訪ねる会の前には、その方に、いろいろとレクチャーをしていただいた。
なんてことも思い出した。
たまたまつけたBSの番組だった。
30分も見なかったけれど、見終わったあと、なんか、清々しい気持ちになっていた。
テレビとはいえ、向こう側から伝わってくるなにごとか、ってのを実感もし。
それにしても、この巡礼路、おそるべしキリスト教、と言おうか、神の誘い、と言おうか。
四国の空海さんもそうだけど。
旅行会社のキャッチに釣られ、ってことでもなく、なんらかのご縁で歩く、んだろうね。
もっとも、当方からすると、わが日常そのものが巡礼路とも言えて。
日に新らたに、日々に新らたに、また日に新らたなり、って感じだから、ね。
ルーティン化した部分とそうでない部分、または、ルーティンを破壊していく瞬間、とか。
かの地も、現在では、封鎖されているのだろうか、富士山の入山禁止みたいに。
なんてこと、気にもなるな。
もっとも、各地で起こっている、 デモやら暴動やらも、あんな感じなので、巡礼みたいなものでもあり。
と言うことでは、歩いている方もあるかも、だな。
ところで、徳島大学の大橋眞さんと言う教授が、PCR検査の曖昧さについてYouTubeで語っているんだけど。
そもそも、査読を終えた論文がない、そうで。
ま、当方、専門家ではないので、だけど、そろそろ、テレビとかのマスのメディアでも。
そういったことも含めた番組作りに変えていったらどうなんだろうか、とね。
それでなくても、スポンサーさん方の経営変動で内部的にはどうなんだろう、なんて時期だし。
なんてことを思いつつ、夜会合なしの日常で、夕餉時にテレビを見ることが多いので、ね。
小さな親切大きなお世話、みたいなものだけど、心配もしながら、ってわけだ。
今日は、かなりの雨量だ、と言う情報だけど、朝の空は白い雲の中の青。
気持ちのいい風が吹き込んでくる。
こりゃ、この一日は素敵なものになるだろう、と言う予感だ。
というわけで、次なる巡礼地へ向かうとします。