ここで、紅葉、と書くと。
もちろん、木の葉が色づき、みたいな連想となり。
なんだけど。
文字的には、紅というのが、気になるわけだ。
それほど、全山一色ではなく、紅はもちろん、黄色や緑がね。
去年も書いたけど、むしろ、黄色の基調で。
そらはともかく、紅葉狩りという言葉が、当てはまらないような紅葉で。
あの言葉は、京都五山文化、ってやつから発生したんだろうな。
なんて、ふと、今は、そんな感想だけど。
奥大井の色づきは、なんというのか、全体性、というような感じで。
山に包容されている、というのか、融合して混じり合っている、というのか。
すごいすごいの連発で、こんなときには、芭蕉さんにおこし願ってね。
一句詠んでいただくのが近道ではあるけれど。
ここ、首都圏に近ければ、渋滞予報でもでそうなところで。
第一の畑薙ダムの手前、赤石温泉まで行ってきたのだけど、残念ながら、お風呂は味わえなかった。
今度は、泊まりがけでゆっくり来ようか、と、たしか、去年と同じようなコメントを交わしながら、
下山したのでした。
写真の一枚でも、アップすれば、わかりやすいんだけど。
ま、それはそれとして、帰りがけ、富士見峠でね。
大日古道、って看板が出ていて。
思わず、evernoteに取り込んだんですが。
縄文人が、井川に住んでいて、ということのようで。
彼らの使っていた道、ってのが、富士見峠から二キロくらい東側にある、と。
その周辺には、神社やさまざまな例祭、お神楽などなどが、いまだに残っていて。
縄文につながる習俗が息づいている、というわけだ。
戦国時代の終息時期、ま、駿河が武田の支配下だったころかな、三河から徳川さんが。
ゲリラ攻撃を試みた、というのが、「駿河七騎」をお書きになった、だれだっけ、彼も。
その本の中で、書いているけど、そのゲリラ戦の最初は、井川城を襲うことから始まっていてね。
強く、印象に残っていたんだね。
なんで、あんな山奥の、とね。
もちろん、戦略的なものもあるんだろうけど、問わず語りにね。
井川には、古くからの民が息づいていて、なんていうことも。
その頃には、スマホもないし、新聞もないし、ヘリコプターもないしね。
縄文時代の云々、なんて発想ではなかったんだろうけど、なんかね、徳川の家康さんと。
井川ってのが、つながったような気にもなったのでした。
このあたりが、素人歴史家の、楽しみのひとつでもあり。
なんてことを考えながら、奥大井の、山笑う、という季語を、大きく超えた。
山、大笑い、とでもいいましょうか。
あるいは、山のいのちが、エネルギー全開、というような感懐とともに。
静岡市街へ入ってきたのでした。
もちろん、木の葉が色づき、みたいな連想となり。
なんだけど。
文字的には、紅というのが、気になるわけだ。
それほど、全山一色ではなく、紅はもちろん、黄色や緑がね。
去年も書いたけど、むしろ、黄色の基調で。
そらはともかく、紅葉狩りという言葉が、当てはまらないような紅葉で。
あの言葉は、京都五山文化、ってやつから発生したんだろうな。
なんて、ふと、今は、そんな感想だけど。
奥大井の色づきは、なんというのか、全体性、というような感じで。
山に包容されている、というのか、融合して混じり合っている、というのか。
すごいすごいの連発で、こんなときには、芭蕉さんにおこし願ってね。
一句詠んでいただくのが近道ではあるけれど。
ここ、首都圏に近ければ、渋滞予報でもでそうなところで。
第一の畑薙ダムの手前、赤石温泉まで行ってきたのだけど、残念ながら、お風呂は味わえなかった。
今度は、泊まりがけでゆっくり来ようか、と、たしか、去年と同じようなコメントを交わしながら、
下山したのでした。
写真の一枚でも、アップすれば、わかりやすいんだけど。
ま、それはそれとして、帰りがけ、富士見峠でね。
大日古道、って看板が出ていて。
思わず、evernoteに取り込んだんですが。
縄文人が、井川に住んでいて、ということのようで。
彼らの使っていた道、ってのが、富士見峠から二キロくらい東側にある、と。
その周辺には、神社やさまざまな例祭、お神楽などなどが、いまだに残っていて。
縄文につながる習俗が息づいている、というわけだ。
戦国時代の終息時期、ま、駿河が武田の支配下だったころかな、三河から徳川さんが。
ゲリラ攻撃を試みた、というのが、「駿河七騎」をお書きになった、だれだっけ、彼も。
その本の中で、書いているけど、そのゲリラ戦の最初は、井川城を襲うことから始まっていてね。
強く、印象に残っていたんだね。
なんで、あんな山奥の、とね。
もちろん、戦略的なものもあるんだろうけど、問わず語りにね。
井川には、古くからの民が息づいていて、なんていうことも。
その頃には、スマホもないし、新聞もないし、ヘリコプターもないしね。
縄文時代の云々、なんて発想ではなかったんだろうけど、なんかね、徳川の家康さんと。
井川ってのが、つながったような気にもなったのでした。
このあたりが、素人歴史家の、楽しみのひとつでもあり。
なんてことを考えながら、奥大井の、山笑う、という季語を、大きく超えた。
山、大笑い、とでもいいましょうか。
あるいは、山のいのちが、エネルギー全開、というような感懐とともに。
静岡市街へ入ってきたのでした。