夕べ、本屋さんで、パラパラと歳時記をめくり。
秋のもみじの当たりを眺めたらね。
表題のごとくで。
黄にいろづいた様も、もみじ、と詠んでいて。
一安心、といったところで。
それにしても、たくさんの句が詠まれていて、感心もし。
ところで、今朝、稲荷神社の、神様のお使いに。
そう、朝も早よからお掃除をしてくださっていてね。
明日の晩から、出雲へ行きます、なんて言ったら。
おたくは、えらいね、神社がお好きなようで。
共通の知人のだれそれさんも、いいことがきっとあるよ、と言ってましたよ。
というわけだ。
そりゃ、神様のお使いの方に、そうおっしゃられれば、悪い気もせず。
そうかもしれませんね、と素直にお聞きしたのです。
事務所までの道すがら、ご近所のお年寄りに、おはようございます、と声をかけたら。
早いね、と返ってきて。
その方も、お若い時には、朝早くから、一心不乱に仕事をしていたのかも、なんてことが浮かんできて。
早いと気持ちがいいですもんね、とこちらも返し。
さて、ベランダを見てみると、わがナスの鉢が倒れていて。
風が強かったんだっけ、夕べ。
なんて思いながら、ひもでゆいなおし。
明日の晩から旅立つ出雲は、5~6度くらい気温が低いようで。
寒いさむいが連発されるのかもしれないけれど、果たして、なんの薄着だっけ。
あんまり、寒暑の感想をのべないわたしめが、どのように変容するのでしょうか。
とこれもまた、楽しみのひとつなのです。
出雲から帰ってきた翌週の月曜日、鶴瓶の「家族に乾杯」は奥出雲らしく。
ナイスタイミングというのか、どうなのか。
旅程からいうと、どうも、奥出雲のたたら跡まではたどり着けそうもないけれど。
何日か前に書いた、木次線沿線の旅、ですね、きっと、わが鶴瓶師匠は。
それはそうと、夕べ、妻が帰るなり、今日の月はすごいよ、パワフルで。
と言っていて、ああ、そうですか、と僕は、布団の中にいたのだけど。
今朝、西の空を眺めたら、たしかに。
あれを古代の人々が眺めたら、なにごとかのおわしますかはしらねども、というような。
拝跪、というのか、畏怖、というのか、そんな気分で。
もし、なにか日常生活で、不足感を持っている人だったら、なにか、スーパーパワーをわたしめに。
授けてくれるんじゃないか、と思っても不思議じゃないな、とね。
そうそう、この間、接祖峡のおばちゃんのところで、蜂蜜、買ってきてね。
この右の方です。
日本ミツバチの純粋の地元産だよ、と。
ドローッとしていて、スプーン一杯、茶碗にいれてお湯をさし。
で、この二日間、いただいているんだけど、いいです。
最初、蜂蜜の濃厚な香りもしないので、これ、水飴入ってるのかな、なんて不遜にも。
感想が湧いたんだけど。
ごく自然に体に浸透するような、そんな感じでね。
ところで、予告篇ですが、近いうちに、この写真、「考えない人」について、ご紹介したいな、と思ってます。
まさに、to be continuedですが。
ロダンの「考える人」をパロっている写真だけど、そうか、どこかには、同じこと、それこそ、考えている方がいるんだ、と思いつつ。
ネットで拾ってきたものですが。
ロダンは、すばらしい芸術家だったのでしょうが、あの像に、どのくらいの方々が洗脳されたのか、と思うとね。
ま、そういうわけで、本日もお寺の鐘が鳴り、風鈴も音をたてているのです。
秋のもみじの当たりを眺めたらね。
表題のごとくで。
黄にいろづいた様も、もみじ、と詠んでいて。
一安心、といったところで。
それにしても、たくさんの句が詠まれていて、感心もし。
ところで、今朝、稲荷神社の、神様のお使いに。
そう、朝も早よからお掃除をしてくださっていてね。
明日の晩から、出雲へ行きます、なんて言ったら。
おたくは、えらいね、神社がお好きなようで。
共通の知人のだれそれさんも、いいことがきっとあるよ、と言ってましたよ。
というわけだ。
そりゃ、神様のお使いの方に、そうおっしゃられれば、悪い気もせず。
そうかもしれませんね、と素直にお聞きしたのです。
事務所までの道すがら、ご近所のお年寄りに、おはようございます、と声をかけたら。
早いね、と返ってきて。
その方も、お若い時には、朝早くから、一心不乱に仕事をしていたのかも、なんてことが浮かんできて。
早いと気持ちがいいですもんね、とこちらも返し。
さて、ベランダを見てみると、わがナスの鉢が倒れていて。
風が強かったんだっけ、夕べ。
なんて思いながら、ひもでゆいなおし。
明日の晩から旅立つ出雲は、5~6度くらい気温が低いようで。
寒いさむいが連発されるのかもしれないけれど、果たして、なんの薄着だっけ。
あんまり、寒暑の感想をのべないわたしめが、どのように変容するのでしょうか。
とこれもまた、楽しみのひとつなのです。
出雲から帰ってきた翌週の月曜日、鶴瓶の「家族に乾杯」は奥出雲らしく。
ナイスタイミングというのか、どうなのか。
旅程からいうと、どうも、奥出雲のたたら跡まではたどり着けそうもないけれど。
何日か前に書いた、木次線沿線の旅、ですね、きっと、わが鶴瓶師匠は。
それはそうと、夕べ、妻が帰るなり、今日の月はすごいよ、パワフルで。
と言っていて、ああ、そうですか、と僕は、布団の中にいたのだけど。
今朝、西の空を眺めたら、たしかに。
あれを古代の人々が眺めたら、なにごとかのおわしますかはしらねども、というような。
拝跪、というのか、畏怖、というのか、そんな気分で。
もし、なにか日常生活で、不足感を持っている人だったら、なにか、スーパーパワーをわたしめに。
授けてくれるんじゃないか、と思っても不思議じゃないな、とね。
そうそう、この間、接祖峡のおばちゃんのところで、蜂蜜、買ってきてね。
この右の方です。
日本ミツバチの純粋の地元産だよ、と。
ドローッとしていて、スプーン一杯、茶碗にいれてお湯をさし。
で、この二日間、いただいているんだけど、いいです。
最初、蜂蜜の濃厚な香りもしないので、これ、水飴入ってるのかな、なんて不遜にも。
感想が湧いたんだけど。
ごく自然に体に浸透するような、そんな感じでね。
ところで、予告篇ですが、近いうちに、この写真、「考えない人」について、ご紹介したいな、と思ってます。
まさに、to be continuedですが。
ロダンの「考える人」をパロっている写真だけど、そうか、どこかには、同じこと、それこそ、考えている方がいるんだ、と思いつつ。
ネットで拾ってきたものですが。
ロダンは、すばらしい芸術家だったのでしょうが、あの像に、どのくらいの方々が洗脳されたのか、と思うとね。
ま、そういうわけで、本日もお寺の鐘が鳴り、風鈴も音をたてているのです。