まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

もみじは黄葉とも書くようで安心した

2013年11月19日 | Weblog
夕べ、本屋さんで、パラパラと歳時記をめくり。

秋のもみじの当たりを眺めたらね。

表題のごとくで。

黄にいろづいた様も、もみじ、と詠んでいて。

一安心、といったところで。

それにしても、たくさんの句が詠まれていて、感心もし。

ところで、今朝、稲荷神社の、神様のお使いに。

そう、朝も早よからお掃除をしてくださっていてね。

明日の晩から、出雲へ行きます、なんて言ったら。

おたくは、えらいね、神社がお好きなようで。

共通の知人のだれそれさんも、いいことがきっとあるよ、と言ってましたよ。

というわけだ。

そりゃ、神様のお使いの方に、そうおっしゃられれば、悪い気もせず。

そうかもしれませんね、と素直にお聞きしたのです。

事務所までの道すがら、ご近所のお年寄りに、おはようございます、と声をかけたら。

早いね、と返ってきて。

その方も、お若い時には、朝早くから、一心不乱に仕事をしていたのかも、なんてことが浮かんできて。

早いと気持ちがいいですもんね、とこちらも返し。

さて、ベランダを見てみると、わがナスの鉢が倒れていて。

風が強かったんだっけ、夕べ。

なんて思いながら、ひもでゆいなおし。

明日の晩から旅立つ出雲は、5~6度くらい気温が低いようで。

寒いさむいが連発されるのかもしれないけれど、果たして、なんの薄着だっけ。

あんまり、寒暑の感想をのべないわたしめが、どのように変容するのでしょうか。

とこれもまた、楽しみのひとつなのです。

出雲から帰ってきた翌週の月曜日、鶴瓶の「家族に乾杯」は奥出雲らしく。

ナイスタイミングというのか、どうなのか。

旅程からいうと、どうも、奥出雲のたたら跡まではたどり着けそうもないけれど。

何日か前に書いた、木次線沿線の旅、ですね、きっと、わが鶴瓶師匠は。

それはそうと、夕べ、妻が帰るなり、今日の月はすごいよ、パワフルで。

と言っていて、ああ、そうですか、と僕は、布団の中にいたのだけど。

今朝、西の空を眺めたら、たしかに。

あれを古代の人々が眺めたら、なにごとかのおわしますかはしらねども、というような。

拝跪、というのか、畏怖、というのか、そんな気分で。

もし、なにか日常生活で、不足感を持っている人だったら、なにか、スーパーパワーをわたしめに。

授けてくれるんじゃないか、と思っても不思議じゃないな、とね。

そうそう、この間、接祖峡のおばちゃんのところで、蜂蜜、買ってきてね。

この右の方です。



日本ミツバチの純粋の地元産だよ、と。

ドローッとしていて、スプーン一杯、茶碗にいれてお湯をさし。

で、この二日間、いただいているんだけど、いいです。

最初、蜂蜜の濃厚な香りもしないので、これ、水飴入ってるのかな、なんて不遜にも。

感想が湧いたんだけど。

ごく自然に体に浸透するような、そんな感じでね。

ところで、予告篇ですが、近いうちに、この写真、「考えない人」について、ご紹介したいな、と思ってます。



まさに、to be continuedですが。

ロダンの「考える人」をパロっている写真だけど、そうか、どこかには、同じこと、それこそ、考えている方がいるんだ、と思いつつ。

ネットで拾ってきたものですが。

ロダンは、すばらしい芸術家だったのでしょうが、あの像に、どのくらいの方々が洗脳されたのか、と思うとね。

ま、そういうわけで、本日もお寺の鐘が鳴り、風鈴も音をたてているのです。



コメント
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