表題につづいて。
四十何年間、大社の警備をされている方が。
初めて見る光景で、お正月以上だ。
と言ったそうだ。
一の鳥居から本殿まで、5~600mくらい、あるのかな。
そこまで、5列でびっしりと。
都会の方々は、我慢強い、と言ったか。
えらい、と言ったか、なかば、あきれたような物言いで。
とても、フレンドリーな警備のおじさんが、教えてくださって。
毎日お詣りする地元の方は、隅っこの方で、パンパンとお詣りしているんだけけどね、と。
いずれにしても、そのくらいの人出だったそうで。
そんな話をうかがいながらこちとらも、その都会の方々の一員なのかも、だけどね。
というわけで、出雲から帰ってまいりまして。
こんな具合に、また、ルーティンワークに舞い戻ったのです。
今朝は、なんか、興奮したわけでもないんだろうけど、6時前から、これこのとおり。
ブログをアップしているのです。
旅は道連れ、とは言ったもので。
だんだん、お互いの肚があってくる、とでもいいましょうか。
帰り際、名残惜しくなり、といった風情でね。
いろいろ、エピソードはあったんだけど。
それ書いていると、一日が終えてしまいそうなので。
覚え書き風に、旅程だけ、書いておきましょうか。
一日目、というか、前日、夜の8時11分の静岡発の新幹線。
名古屋から、9時30分くらいの、深夜バスにて、出雲市駅まで。
21日の朝、7時22分だったか、10時間かけて、です。
その間、ワンマン運転手さんは、どこでだろう、2時間くらいかな、仮眠をとって。
レンタカー屋さんにて、10人乗りのワゴンをお借りし。
総勢9名の出雲の旅が始まったのでした。
もちろん、二三日前にアップしたように、出雲大社へ。
その後、日御碕の灯台にて、昼食。
そう、朝食は、大社前の、なんていうお店だったか、サバ寿司とのどぐろの寿司をいただき。
灯台では、みなさん、日本海どんぶり、くらいの名前のご飯とビールで。
そこでも、のどぐろが干してあったので、それをいただき。
日御碕神社へ。
ここは、スサノオさんをお祀りしていて。
西伊豆の妻良とか井田とか、あるいは東北の南三陸を狭くしたようなところに神社はあり。
出雲大社とさわがれる、ずっと以前は、ここから、わがご先祖さま方は、日本という国に。
やってこられたかな、と直感するようなところで。
それから、1時間ばかりかけて、須佐神社へ。
もちろん、スサノオさんがお祀りされているお宮さんで。
道をはさんで、須佐屋ってお店で、みたらしだんごをいただき。
それこそ、小さなご縁をつないだのでした。
この地は、どうやら、ひと頃流行った、江原さんが「パワースポット」認定されたらしく。
若い女性の人気の的のようで。
境内をお掃除されていたおじさん、ま、神様のお使いですね。
その方とも、しばし、数人でご縁を結んだのだけど。
曰く、何年か前から、急に人が増えて、とおっしゃっていた。
とても実直な方で、話していて、こちらの気持ちも清々しくなり。
まさに、スサノオさんが、ここは清々しいから、須賀となづけよう。
とおっしゃった、その気分になったのでした。
そこから、出雲市駅ちかくの、モーリスグリーンホテル、だったか、宿泊の地へ。
夕食は、「吾作」にて。
ここでもまた、のどぐろのさしみ、サバのさしみ。
日本酒は、出雲の地酒、純米吟醸「やまたのおろち」と「花かんざし」。
地元料理に舌鼓をうち、ホテルへ帰る前に、名物の「出雲そば」を。
ということで、駅前にて、名前、忘れましたが。
さて、翌朝、僕とあと二人で、5時に出雲大社へ出発。
早朝参詣を。
ここで、楽しいご縁があったのですが。
一言だけ、大社さんの警備の方も、とても、フレンドリーで、まったり感満載、とだけ。
感想を記しておきます。
もう1500字越えだけど、急ぎ足で。
22日は、「石見銀山生活文化研究所」へ。
これ、資本金4800万円の株式会社です。
ここで、店内を見学させていただき、社長の「登美」さんのお話をうかがう。
一時間、許可もいただき、ビデオ撮影をさせていただきました。
何回も、涙腺が刺激され、もうね、ここでも、清々しい気持ちにあふれたのだけど。
この「登美」という名前が、出雲の地に伝わる「富家」の伝承にもつながり。
彼女、三重のお生まれらしいけど、あまりにもあまりな、名前の女性で。
このあたりも詳しく書きたいけれど、残念ながら、石見銀山へ向かいます。
そこで、龍源寺間歩(りゅうげんじまぶ)まで、自転車にて上る。
この時、電動じゃないので、アクティブにして、カヌーの達人、プチ登山家の。
相方の女性についていくのがやっとの状態で。
ところで、間歩、というのは、銀山の坑道のことをいうのかな。
ま、とにかく、その後、玉造温泉の「白石屋」に、雨に降られながら向かう。
1300年前に、清少納言が、日本三大名湯とうたったひとつで。
あとのふたつが、有馬の湯、と榊原温泉の七栗の湯ですね。
翌日、23日は、足立美術館へ。
聞きしに勝る、館内の窓からながめる、さまざま角度をかえた景色は。
おのおのがおのおのの自由な角度から眺めることでできあがる、一幅の絵で。
これは、世界が注目するわけだ。
その後、米子駅へ。
で、伯備線にて、途中、ほうこく、という山田方谷(やまだほうこく)由来の駅をとおりすぎ。
岡山へ、で、静岡へ帰ってきました。
って、今日は、2000文字越えだ。
ついでに、本日は、Facebookにもリンク、しちゃいます。
取り急ぎ、出雲の旅でした。
四十何年間、大社の警備をされている方が。
初めて見る光景で、お正月以上だ。
と言ったそうだ。
一の鳥居から本殿まで、5~600mくらい、あるのかな。
そこまで、5列でびっしりと。
都会の方々は、我慢強い、と言ったか。
えらい、と言ったか、なかば、あきれたような物言いで。
とても、フレンドリーな警備のおじさんが、教えてくださって。
毎日お詣りする地元の方は、隅っこの方で、パンパンとお詣りしているんだけけどね、と。
いずれにしても、そのくらいの人出だったそうで。
そんな話をうかがいながらこちとらも、その都会の方々の一員なのかも、だけどね。
というわけで、出雲から帰ってまいりまして。
こんな具合に、また、ルーティンワークに舞い戻ったのです。
今朝は、なんか、興奮したわけでもないんだろうけど、6時前から、これこのとおり。
ブログをアップしているのです。
旅は道連れ、とは言ったもので。
だんだん、お互いの肚があってくる、とでもいいましょうか。
帰り際、名残惜しくなり、といった風情でね。
いろいろ、エピソードはあったんだけど。
それ書いていると、一日が終えてしまいそうなので。
覚え書き風に、旅程だけ、書いておきましょうか。
一日目、というか、前日、夜の8時11分の静岡発の新幹線。
名古屋から、9時30分くらいの、深夜バスにて、出雲市駅まで。
21日の朝、7時22分だったか、10時間かけて、です。
その間、ワンマン運転手さんは、どこでだろう、2時間くらいかな、仮眠をとって。
レンタカー屋さんにて、10人乗りのワゴンをお借りし。
総勢9名の出雲の旅が始まったのでした。
もちろん、二三日前にアップしたように、出雲大社へ。
その後、日御碕の灯台にて、昼食。
そう、朝食は、大社前の、なんていうお店だったか、サバ寿司とのどぐろの寿司をいただき。
灯台では、みなさん、日本海どんぶり、くらいの名前のご飯とビールで。
そこでも、のどぐろが干してあったので、それをいただき。
日御碕神社へ。
ここは、スサノオさんをお祀りしていて。
西伊豆の妻良とか井田とか、あるいは東北の南三陸を狭くしたようなところに神社はあり。
出雲大社とさわがれる、ずっと以前は、ここから、わがご先祖さま方は、日本という国に。
やってこられたかな、と直感するようなところで。
それから、1時間ばかりかけて、須佐神社へ。
もちろん、スサノオさんがお祀りされているお宮さんで。
道をはさんで、須佐屋ってお店で、みたらしだんごをいただき。
それこそ、小さなご縁をつないだのでした。
この地は、どうやら、ひと頃流行った、江原さんが「パワースポット」認定されたらしく。
若い女性の人気の的のようで。
境内をお掃除されていたおじさん、ま、神様のお使いですね。
その方とも、しばし、数人でご縁を結んだのだけど。
曰く、何年か前から、急に人が増えて、とおっしゃっていた。
とても実直な方で、話していて、こちらの気持ちも清々しくなり。
まさに、スサノオさんが、ここは清々しいから、須賀となづけよう。
とおっしゃった、その気分になったのでした。
そこから、出雲市駅ちかくの、モーリスグリーンホテル、だったか、宿泊の地へ。
夕食は、「吾作」にて。
ここでもまた、のどぐろのさしみ、サバのさしみ。
日本酒は、出雲の地酒、純米吟醸「やまたのおろち」と「花かんざし」。
地元料理に舌鼓をうち、ホテルへ帰る前に、名物の「出雲そば」を。
ということで、駅前にて、名前、忘れましたが。
さて、翌朝、僕とあと二人で、5時に出雲大社へ出発。
早朝参詣を。
ここで、楽しいご縁があったのですが。
一言だけ、大社さんの警備の方も、とても、フレンドリーで、まったり感満載、とだけ。
感想を記しておきます。
もう1500字越えだけど、急ぎ足で。
22日は、「石見銀山生活文化研究所」へ。
これ、資本金4800万円の株式会社です。
ここで、店内を見学させていただき、社長の「登美」さんのお話をうかがう。
一時間、許可もいただき、ビデオ撮影をさせていただきました。
何回も、涙腺が刺激され、もうね、ここでも、清々しい気持ちにあふれたのだけど。
この「登美」という名前が、出雲の地に伝わる「富家」の伝承にもつながり。
彼女、三重のお生まれらしいけど、あまりにもあまりな、名前の女性で。
このあたりも詳しく書きたいけれど、残念ながら、石見銀山へ向かいます。
そこで、龍源寺間歩(りゅうげんじまぶ)まで、自転車にて上る。
この時、電動じゃないので、アクティブにして、カヌーの達人、プチ登山家の。
相方の女性についていくのがやっとの状態で。
ところで、間歩、というのは、銀山の坑道のことをいうのかな。
ま、とにかく、その後、玉造温泉の「白石屋」に、雨に降られながら向かう。
1300年前に、清少納言が、日本三大名湯とうたったひとつで。
あとのふたつが、有馬の湯、と榊原温泉の七栗の湯ですね。
翌日、23日は、足立美術館へ。
聞きしに勝る、館内の窓からながめる、さまざま角度をかえた景色は。
おのおのがおのおのの自由な角度から眺めることでできあがる、一幅の絵で。
これは、世界が注目するわけだ。
その後、米子駅へ。
で、伯備線にて、途中、ほうこく、という山田方谷(やまだほうこく)由来の駅をとおりすぎ。
岡山へ、で、静岡へ帰ってきました。
って、今日は、2000文字越えだ。
ついでに、本日は、Facebookにもリンク、しちゃいます。
取り急ぎ、出雲の旅でした。