まわりで起こっていること

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奥大井の紅葉はすばらしかった

2013年11月18日 | Weblog
ここで、紅葉、と書くと。

もちろん、木の葉が色づき、みたいな連想となり。

なんだけど。

文字的には、紅というのが、気になるわけだ。

それほど、全山一色ではなく、紅はもちろん、黄色や緑がね。

去年も書いたけど、むしろ、黄色の基調で。

そらはともかく、紅葉狩りという言葉が、当てはまらないような紅葉で。

あの言葉は、京都五山文化、ってやつから発生したんだろうな。

なんて、ふと、今は、そんな感想だけど。

奥大井の色づきは、なんというのか、全体性、というような感じで。

山に包容されている、というのか、融合して混じり合っている、というのか。

すごいすごいの連発で、こんなときには、芭蕉さんにおこし願ってね。

一句詠んでいただくのが近道ではあるけれど。

ここ、首都圏に近ければ、渋滞予報でもでそうなところで。

第一の畑薙ダムの手前、赤石温泉まで行ってきたのだけど、残念ながら、お風呂は味わえなかった。

今度は、泊まりがけでゆっくり来ようか、と、たしか、去年と同じようなコメントを交わしながら、

下山したのでした。

写真の一枚でも、アップすれば、わかりやすいんだけど。

ま、それはそれとして、帰りがけ、富士見峠でね。

大日古道、って看板が出ていて。

思わず、evernoteに取り込んだんですが。

縄文人が、井川に住んでいて、ということのようで。

彼らの使っていた道、ってのが、富士見峠から二キロくらい東側にある、と。

その周辺には、神社やさまざまな例祭、お神楽などなどが、いまだに残っていて。

縄文につながる習俗が息づいている、というわけだ。

戦国時代の終息時期、ま、駿河が武田の支配下だったころかな、三河から徳川さんが。

ゲリラ攻撃を試みた、というのが、「駿河七騎」をお書きになった、だれだっけ、彼も。

その本の中で、書いているけど、そのゲリラ戦の最初は、井川城を襲うことから始まっていてね。

強く、印象に残っていたんだね。

なんで、あんな山奥の、とね。

もちろん、戦略的なものもあるんだろうけど、問わず語りにね。

井川には、古くからの民が息づいていて、なんていうことも。

その頃には、スマホもないし、新聞もないし、ヘリコプターもないしね。

縄文時代の云々、なんて発想ではなかったんだろうけど、なんかね、徳川の家康さんと。

井川ってのが、つながったような気にもなったのでした。

このあたりが、素人歴史家の、楽しみのひとつでもあり。

なんてことを考えながら、奥大井の、山笑う、という季語を、大きく超えた。

山、大笑い、とでもいいましょうか。

あるいは、山のいのちが、エネルギー全開、というような感懐とともに。

静岡市街へ入ってきたのでした。

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