早起きは三文の得、って言うけれど。
そのころの貨幣価値は、今で行ったらいくらくらいなのか。
早朝のニュースで、タイとカンボジアの国境紛争地域に。
世界遺産の表題の寺院がある、という映像が流れていて。
仏教のお寺さんだそうだけど。
ちょうど、瞑想を終わった時間帯だったせいもあり。
釈迦の、つまり、ゴータマシッダールタの境地にたどり着きたいと言う焦り、ってのが。
浮かんできたんわけだ。
その「焦り」が、あんなにも壮大な寺院と姿かたちをかえ。
なんてことを思いつつ。
そうだ、昨日、昔のビデオが修復なってきてね。
ほとんど、iPadAirくらいのお値段がしたんだけど。
思い出には替えられません、ということで。
それはともかく、ちょっと、出がけに、妻の実家のお正月、という映像を見てきたわけだ。
今は亡き、義父・義母やおじたちが映っていて。
もちろん、彼らからみたら、孫たち、もしっかり、動き回っていた。
そんな孫たちも、今では、三十路前後の年代になり。
かくいうわたしめも、孫たち、ま、僕から見たら子どもたちですが。
彼らと同じ年代のまま、映り込んでいて。
髭をはやして、チャラ男感が満載の男でね。
さぞかし、妻の父母、おじおばさん方は、心配していたことだろう。
と思えるような風情で。
当時の倍の歳になり、さすがに、瞑想なんぞもしたり、落ち着いた、仙人風?な味わいのあるね。
そう、男になっている、というね、人生の摩訶不思議さを痛感し。
ところで、昨日は、おもしろい言葉に遭遇したんだね。
と言っても、今更ながら、というものだけど、汝の敵を愛せよ、ってやつ。
キリストが言った、と言われている言葉で。
そうすれば、その敵から自由になれるよ、ってわけだ。
たしかに。
どうも、この二百年、三百年ってのは、近代病とでもいうのか。
例の、ヨーロッパで言えば、ルネッサンスの名残でね。
ロダンの「考える人」に象徴されるような、知、というのか、考えることはいいことだ。
という時代風潮で。
まわりで起こっていることを、分析し尽くす、みたいなノリが全盛で。
心理の中に、「敵」をつくることが、インテリの役目、みたいな。
曰く、いまどきの若いもんのしつけはなっとらん。
曰く、昔の日本人はこんなじゃなかった。
曰く、政治家なんてのは、云々、大企業家なんてのは云々、官僚なんてのは、とね。
心の中の敵が、あとからあとから湧いてきて。
逆洗脳のパターンで。
分析し、批判すればするほど、絡み取られ。
自由からはほど遠いという。
ま、こんなことをブログに書いている時点で、被洗脳の亡者みたいなもんだけど。
というわけで、時代の病い、ってのは、その時代になじめばなじむほど。
気がつかなくなるわけで。
夕べ、ちょっと眺めた、上記したビデオに登場する、幼い子どもたちの姿にね。
オトナたちの立ち居振る舞いを、わけわからん、みたいなこと、感じながら。
はいはい、って具合に動かされている彼らってのも、ありだな、と。
前世では、子どもが親で、あんたが子どもで、かもしれないよ。
と、藤枝に住むおじいちゃまに、以前、言われたことを思い出しながら、ね。
そのころの貨幣価値は、今で行ったらいくらくらいなのか。
早朝のニュースで、タイとカンボジアの国境紛争地域に。
世界遺産の表題の寺院がある、という映像が流れていて。
仏教のお寺さんだそうだけど。
ちょうど、瞑想を終わった時間帯だったせいもあり。
釈迦の、つまり、ゴータマシッダールタの境地にたどり着きたいと言う焦り、ってのが。
浮かんできたんわけだ。
その「焦り」が、あんなにも壮大な寺院と姿かたちをかえ。
なんてことを思いつつ。
そうだ、昨日、昔のビデオが修復なってきてね。
ほとんど、iPadAirくらいのお値段がしたんだけど。
思い出には替えられません、ということで。
それはともかく、ちょっと、出がけに、妻の実家のお正月、という映像を見てきたわけだ。
今は亡き、義父・義母やおじたちが映っていて。
もちろん、彼らからみたら、孫たち、もしっかり、動き回っていた。
そんな孫たちも、今では、三十路前後の年代になり。
かくいうわたしめも、孫たち、ま、僕から見たら子どもたちですが。
彼らと同じ年代のまま、映り込んでいて。
髭をはやして、チャラ男感が満載の男でね。
さぞかし、妻の父母、おじおばさん方は、心配していたことだろう。
と思えるような風情で。
当時の倍の歳になり、さすがに、瞑想なんぞもしたり、落ち着いた、仙人風?な味わいのあるね。
そう、男になっている、というね、人生の摩訶不思議さを痛感し。
ところで、昨日は、おもしろい言葉に遭遇したんだね。
と言っても、今更ながら、というものだけど、汝の敵を愛せよ、ってやつ。
キリストが言った、と言われている言葉で。
そうすれば、その敵から自由になれるよ、ってわけだ。
たしかに。
どうも、この二百年、三百年ってのは、近代病とでもいうのか。
例の、ヨーロッパで言えば、ルネッサンスの名残でね。
ロダンの「考える人」に象徴されるような、知、というのか、考えることはいいことだ。
という時代風潮で。
まわりで起こっていることを、分析し尽くす、みたいなノリが全盛で。
心理の中に、「敵」をつくることが、インテリの役目、みたいな。
曰く、いまどきの若いもんのしつけはなっとらん。
曰く、昔の日本人はこんなじゃなかった。
曰く、政治家なんてのは、云々、大企業家なんてのは云々、官僚なんてのは、とね。
心の中の敵が、あとからあとから湧いてきて。
逆洗脳のパターンで。
分析し、批判すればするほど、絡み取られ。
自由からはほど遠いという。
ま、こんなことをブログに書いている時点で、被洗脳の亡者みたいなもんだけど。
というわけで、時代の病い、ってのは、その時代になじめばなじむほど。
気がつかなくなるわけで。
夕べ、ちょっと眺めた、上記したビデオに登場する、幼い子どもたちの姿にね。
オトナたちの立ち居振る舞いを、わけわからん、みたいなこと、感じながら。
はいはい、って具合に動かされている彼らってのも、ありだな、と。
前世では、子どもが親で、あんたが子どもで、かもしれないよ。
と、藤枝に住むおじいちゃまに、以前、言われたことを思い出しながら、ね。