まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

一心

2006年02月07日 | Weblog
むかし、一心太助、という魚屋さんが出てくるテレビのドラマがあったっけ。

それはともかく、片岡鶴太郎の話。

日曜日の番組でやってたらしい。

妻によれば。

最初、お笑いで世に出て、それから、ボクシングをやりだす。

しかし、ある日、突然、すべてを投げ出したくなる。

死んでしまいたい、とも思ったらしい。

そんなとき、ツバキの花をみた。

猛烈に、それを描きたくなった。

描きたい一心。

つまり、描きたい、ということで、心がひとつになった、と。

先週の、夕暮れにかけての雲、湖にうつったような、神秘的な美しさをもった雲を、絵にしたくなった、と妻が言う。

そのあと、散歩しながら、木々を眺めていると、伊勢神宮の写真にうつっていた、キルリアンのような、丸い玉が、鮮明に見えた、とも。

それは、ピンクで、とてもきれいだった。

大気が、純粋に、純真になっていたのかもしれないね、と。



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豆まきⅡ

2006年02月07日 | Weblog
陰陽師の安倍晴明が言うには、鬼とは、心の中のマイナス観念のこと、らしい。

マイナスの観念、とは、ネガティブなエネルギー、ともいえる。

今年は、お豆を、南西の方角へ、つまり、裏鬼門にまいたんだけど。

鬼の裏門にまいた。

鬼に、裏の、出口から出て行っていただいた。

なぜ、こんな書き方をするかと言うと、そもそも、エネルギーには、ネガティブも、ポジティブもない。

あるのは、ただ、エネルギーだけ。

それを、ネガティブとするのも、われ、ポジティブとするのも、われ、というところかな。

いま、この、とき、ところでは、ネガティブでも、別の、とき、ところでは、ちがった働きをしてくれるのかもしれない。

そんな思いをこめて、出口から、いったんは、出て行っていただく。

あえて、ふくはうち、といわないのは、ふくがない自分、もっとふくを、という自分のなかに、鬼がひそむ、かもしれないから。








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