銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

東横線反町駅で感じた神の存在証明と、神戸家裁のデータ破棄と、見城徹氏の鎌倉エージェントへの共感ぶり

2022-10-29 22:07:21 | 政治

副題1、『全く前報と連続性が見えない文章を書き始めます。ただ、まあ、すごい体験だったなあとは、思うので書きたいのです』

 実は、以下の荷物が、電車とホームの間に引っかかって、私は、もし荷物にこだわると、自分が死ぬかもしれないと、言う状況に陥りました。

 

 この荷物をご覧になって、だめじゃあないの、しっかりと、結んでいないわと、おっしゃる方があったら、それは、違うのですよ。北久里浜の家(48年前に建てて、10年間1984年まで住んだ家)を出るときは、相当にしっかりした、荷造りをしていたものです。

 全部を白で、まとめてありました。それは、後で考えると、救われたポイントの一つだったと思います。この荷物の主たるものは、電動工具(丸のこ)と脚立(2段)などの、大工道具です。しかしありあわせでしたが、白いレースのお洋服とか、白い紙袋に包み、しかも、白い紙紐で、しっかりと結びつけていて、全体が、絶対に動かない様に仕上げてあったのです。ナイロンのレジ紐が手軽ですが、それを使うと、全体が安っぽく見えます。で、結びにくいが、真っ白で、細い紙ひもを使って、しっかりと組み立ててあったのです。

 東横線に乗るので、気を使って、きれいに見える様に仕上げていたのです。それは、幸いをしたかもしれません。これが、泥が付いた茶色っぽい電動工具だったら、だれも助けてくれなかったと思います。東横線の乗客って、おしゃれな人が多いからです。

 そんなにしっかりと、作り上げていたはずの荷物が、ここでは、グズグズに見えるのは、5人もの人たちが、電車とホームの間に落ち込んだ、この荷物を引っ張り上げようとして、あっちこっちをつかんで、引き揚げてくれたので、グズグズになったのでした。 

 私は、その五人の人の命を危うく奪いかねなかったのです。

 その恐ろしい二分間が過ぎた後で、私は4分ほど、ホームで、立ち止まりました。電車は、構内放送での説明もないまま、なかなか、出発をしなかったのです。やっと、出発した後で、私は、ゆっくりと地下五階から、地上へ出て、これまた、ゆっくりと坂を上って、自分のアパートへ向かいました。自分が、一人で、リフォーム(大工仕事)をしようと計画しているアパートです。

 本当は主人と一緒にやりたいです。しかし、泥棒が入るので、必ず、誰かが家にいてほしいと思っているし、それが、絶対に必要です。で、一人で大工仕事を、やるのですが、北久里浜の家にも、ちょっと、手入れをしたいところがあって、大工道具を鎌倉から、北久里浜へ持ち込んでいたのでした。それを今度は反町(東横線でいうと、北へ向かって横浜駅の次の駅)、へ運ぼうとしていたわけです。

 ともかく、ここまで、くれば安心だと、言う地点で、撮影をしました。

 この荷物ですが、反対の方角から撮影すれば、もっと、きれいに見えたでしょう。しかし、スマホが、「もう電源がないですよ」というので、仕方がなくて、一枚だけ撮りました。

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副題2、『東横線も京急も、すぐ、このブログの影響を受けるのだった。CIAちゃんたちの命令に従うのだった。それで、二週間前には、反町駅構内で、Wi-Fiが、使えたのに、二回目には、日本語で、「これは、外人専門で、あなたのパソコンでは、使えません」というのだった。

 

 上の写真が、東急、東横線、反町駅での、私のパソコン画面です。つい一回前にはできたことができないと、言っています。しかも日本語で、「これは、外人専用だから」だって。からかうのもいい加減にしなさいと、東急に言いたいが、なにしろ、本当にわたくしの生活とは、監視されている、それを実感します。24時間、全方向からです。どうしてと言えば、北久里浜の大・実質的・詐欺事件が、瀬島龍三(戦後最大の、CIAエージェント)が絡んでいる事件だからです。

 それで、今後、手助けをしないようにという車内放送が、発生するかもしれないし、・・・・・もっとも危惧することは、その時助けてくれた人たちが、誰だったかを、探索されることなのです。

 しかし、自宅で、夜、7時ごろこのエピソードを主人に話してしまいました。そうすると、盗聴によって、これが、敵さん達にわかってしまって、ブログを書くも書かないも同じになるので、書き始めたというわけです。 

 荷物の写真ですが、アパートについたら、すぐ解体するから、念のために、その入り口(階段下)で、撮ったのでした。だって、反町駅のホームで、危うく、5人の命を奪いかねなかった、大荷物ですから。

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副題3、『もしかすると、読者の皆様は、私の方が、うかつだったから起きたことで、いけないのは、私だと、お思いになるかもしれない。しかし、私は、この台車を、使って、二日間、ほぼ、20か所ぐらいの関門を無事に通り抜けてきたのだった。どうして、最後の最後の関門である、東横線反町駅のホームで引っかかってしまったかというと、(弁解めいて、聞こえるかもしれないが)、反町駅って、ホームがカーブしているので、ある場所では、隙間が、大きいのだった。台車の車輪は、直径6cmなので、7cm以上、隙間の幅があると、落っこちてしまうのだ』

 この台車の使い方として、段差があったり、隙間があったりする場合、台車を、手前に傾けます。すると、前輪が浮きますので、それで、段差を乗り越えたのちに、後輪を滑らせていきます。だから、私は失敗したわけではなくて、それ以前に、経験した20回程度のリスク越えと、全く同じ手法を取ったのですよ。それにもかかわらず、後輪が電車とホームの間に、落っこちてしまったのは、ひとえに、隙間の幅が6㎝を超えていたからでした。

 これが正しいのは、鎌倉駅への帰りには、同じ台車を使って帰ったのにも、かかわらず、反町駅でも、横浜駅(二か所)でも鎌倉駅でも、大丈夫だったからです。前輪を車内に乗せた後で、後輪を、浮かせ気味にして、車内に乗り込んだところ、無事でした。午後一時には、地獄を見て、午後二時には、無事だったので、私の言っていることを信じていただきたいです。

 ともかく、持ち手を手放さなかった私はとんでもない形で、ホームに、体全体が、投げ出されました。ただ、車輪が、引っかかったのは、瞬時にわかり、だからこそ、持ち手は手放してはだめだと思い、それをもったまま、一種、茫然として、荷物全体を眺めました。持ち手は、相変わらず、手に持ちながらです。

 でね、自慢げに聞こえるのをお許しいただければ、いつも冷静な私は、電車が動いたら、どうなるか?を想像しました。すると引っかかっている台車の後輪は、(生協の案内で、買ったきゃしゃなものだから)、電車との摩擦で壊れるでしょう。そのついでに、下の方においてあるアルミ製の二段の脚立も壊れるし、その中に挟んである電動工具類も壊れるでしょう。しかし、それらは、すべて、お金を出せば買い直せるものです。

 一番大切なもの、(実印と貸金庫カードとか、証券会社のカードとか、スマホとか、小型のパソコンとか)は、上の写真の中で、赤いファスナーが付いていることが目立つ小型のアテンダントバッグの中に入れてありました。普通だったら、それだけが取り出せるはずですが、全体を安定させるために紙のひもで、しっかりと結び付けられているので、簡単には、取り外せません。

 私は、覚悟を決めて、電車が走り出すのを待ちました。ガッシャーンと大きな音がするでしょう。でも、その途端に持ち手を手前に引けばいいのです。で、電車から、1メートルぐらい離れた場所で、黙って立ちすくしました。
 すると突然に車内から、五人の人が駆け寄ってきて、荷物を、隙間から、取り出そうと、手を出してくれました。荷物は、ホーム側にほとんどが乗っているので、二人は、電車を降りて、引っ張り上げようとしてくれました。
 この人たちは、私があきらめたのを見て、突然に、目覚めて、助けてあげようとしてくれたのだと思います。私は実際に白髪の80歳の女で、とても華奢です。最近では、155cmくらいに身長が縮んでしまって、体重が、44キロぐらいです。本当に無力に見えます。

 だから助けてあげようと考えたのでしょう。東横線午後一時、しかも、普通電車なんて、乗客は、ほとんどいないのです。だから、車両の中で、このドア近辺に座っていた人が、全部助けに来てくれたのだと、判りました。

 私は、この時、神様はいるのだと、本当に感じました。というのも東横線って、とてもおしゃれな人が多いのです。特に、若い人が多いのです。横須賀線とは、まるで違います。京急とも、東海道線とも違います。

 おしゃれな人って、やぼったいことは嫌いです。で、人助けとは、そういう人たちにとって、やぼったいことで、やりたくないことで、普通なら、手助けをしてくれなかったはずなのです。それなのに、手助けをしてくれた。そこに、神の、み技を感じました。

 実際に、その三分後に、それが、証明されます。どこかから駅員さんが飛んできて、救済をしてくれたのでした。駅員さんはベビーカーなどが挟まった過去があるのでしょう。見事に一回全体を、車内に戻す形で、簡単に外してくれたのです。引っ張ってはだめなのですね。押すという形で元に戻し、直立させた後で、例のごとくの前輪を浮かせ、後輪も、この場所では浮かせて、作業をすると、見事にも、しかも、瞬間的に、ホームに無事に、台車は、移動して、しかも、立ったのでした。

 私は駅員さんが去ってから、まだ、開いていて、発車していないドアに向かって、「ありがとうございましたー」と、大声で叫びました。是こそ、おしゃれではない作法です。しかし、私は、そう叫ばざるを得なかったのです。しかし、車内にいる人たちは誰も、私に対して、顔を向けたり、手を振ったりはしませんでした。したを向いてスマホでもいじっている模様でした。

 それが東横線の、atomosphereなのです。

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副題4、『20年近く前に、横須賀線、保土ヶ谷駅で、似た様なことがあった。それは、今回よりもっと危険なことで、死の直前みたいなやせたご老人(男性)が、電車とホームの間に片足を落っことして、身動き成らなくなったのだった。ご本人に体力が無くて、自分で、ホームに両手をついて、その反動で、体を持ち上げるなどという動きができない人だった。すると、気が付いた男性が二人、両側から引っ張り上げて、駅員さんも数人駆けつけて、「担架を準備しよう」とか、「救急車を呼ぼうよ」とか、言いあっていた。それを見て、車内の人は、ほっとした笑顔をお互いに交わしたものだった。

 横須賀線が、貧乏人の乗る電車だと、言っているわけではない。また、田舎っぽい電車だと、言っているわけでもない。だけど、東横線が特別なのだ。プライドが高い人が多い。そして、やぼったいことが大嫌いなのだ。助け合いなどと言う事とか、近所付き合いなどと言う事は嫌いなのだ。

 それは、1952年から、2015年ごろまで、実家があって、住んでいたり、実家から、40m以内にある小田歯科医院に通って居たりして、日吉に関係がある私の観念とも近いのだった。それは、雪の下のこのご近所様での間でもそうで、ああ、この人って、田舎で育った人ですねと、すぐわかる仕組みにも通じている。

  ところで、ここで大切な事は、資本主義社会の最先端が東横線の乗客だと言うことです。冷たいとか温かいとか言う区別では論じられないのです。そんな東横線の自由が丘のホームで、私の小学校時代の同級生が、進学した美大がつまらないって、30分ぐらい語ったのです。それが東横線を利用する人としても、また小学校時代は、私より上だった人としても、非常に珍しい事だったのでメルマガ時代にエッセーとして書いたのです。そうしたら、佐野研二郎騒動が起きたのでした。競争は無論なくて、最初から彼に決まって居たのです。それは自由が丘で乗り換えて、行く美大を、CIA 連中が探し当てて、その美大出身の佐野けんじろうに任務を負わせたのです。それがあまりに、大きい負担だったので、盗作をしてしまいました。CIAと言うのは、そう言う組織なのです。

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副題5、『ところで、私は、この雪の下で、嫌な思いばかりしている。それは、1984年から、感じ取っている事で、1985年など、中谷共二氏にたぶん瀬島龍三からの、教唆ゆえだったと思うのだけれど、東北の山を無断で、崩壊をさせられて、その結果、藤本悌子夫人が勝手に入れた、間違った地境石を、承認せざるを得なくなった。それ以外にも、ひどいことが連続して起きているので、身を固くして、心を開かない様にしている。

 しかし、CIAちゃんが、関係が無いところでは私は自由だ。今週、湊かなえが、朝日新聞にこういうエッセイを寄せていた。それと同じことは、1999年からやっている。

 湊かなえのエッセイを省略すると、彼女が、・・・・・カナダ旅行をしていた時に、後ろから、呼び止められて、「あなたのパンツが!」と言われた。無論、英語ででしょうね。これは、私の注釈です。それで、何か、ごみでもついているのか、それを注意されるのかと思って、一瞬身構えたが、相手は、にっこり笑いながら、「それ、素敵ね」と言ってくれたのだった。中略。それ以来、私は相手をほめる言葉を積極的にかけようと思った‥・・・というものです。

 私は、同じことを、ずっと以前からやっています。1998年秋の出来事が契機となって、それをやり続けています。それは、文化庁の在外研修生で、パリへ行ったときに、地下鉄が、火災を起こした日があるのです。その時から始まっています。駅はバスティーユで、構内は広く、大勢の人=数百人が、たむろして、困っていました。私は、英語が判りそうな人に向かって、「なにが起きたの?」と、質問をしました。すると、パリの地下鉄はタイヤがゴムだそうで、それが、燃えたのだそうです。そういえば、ゴムが燃える時、特有のにおいが、構内に充満をしていました。

 私はそれを、聞いて、『あ、そう。では、歩いて帰ろう』と思いました。私が当時住んでいたサン・ポール駅はバスティーユから、東へ向かって、一番線の次の駅で、徒歩で、15分程度で到着します。ただ、バスティーユ駅の出口を探していました。サンタントワーヌ通り、に、出る出口を探していました。すると、遠くから、プリンセスラインのベージュのウールのコートを着た金髪の女性が近づいて来て、「今、何が起きているのですか?」と英語で質問をされました。で、先ほど、フランス人に教えてもらったことを彼女にも教えました。彼女は、それから、どうするつもりなのかは、私には、聞きませんし、言いませんでした。が、私は、その瞬間、ものすごく、大きな自信を得たのです。私の外見は、100%アジア人です。しかし、明らかにアメリカ人(しかもとても裕福だとわかる女性)が私を選んだのですよ。

 アメリカの女優でいえば、グレースケリーに似ていて、もっと愛らしい、かわいい顔の人でした。いや、又、自慢げで、嫌われるのを覚悟でいえば、他に白人が大勢いるのにもかかわらず、私を選んでくれたことが、どれほどに、私が、輝いていて、かつ安心できる、上品さを持って居たか!と、言う事の証明となるでしょう。私はパリで、アメリカ人に、唯一の人として選ばれたのでした。それは、1998年の秋でしたが、1999年の秋は、ニューヨークで三か月過ごし、2000年もニューヨークで三か月過ごし、一人暮らしで、版画工房では、おしゃべりはできない場所なので、駅などで、素敵な人を見かけると、積極的に声をかけました。

 ここで、私の電車の中で、という本に対して、見城徹氏が、積極的に作家に声をかけたであろう、有川浩原作の阪急電車に入りたいところです。それが、「あなたの盗作ですよ」とコメントを受けた話に入りたいところです。それからね、その映画化が、突然、最近夜NHKで、放映をされました。番宣が無かったので、終わりの28分だけ録画しました。豪華な俳優陣です。でね。プロデューサーに見城徹氏がいて、なるほどと思いました。

 私は長い時間をかけて、ブログ文として、または、メルマガ文として、一章ずつを書いたものを、2006年ごろに、電車の中という書物に直そうと、編集を始めます。そのタイトルを見ただけで、有川浩に、アイデアを提供して、(ただし、エピソードはすべて、違う内容ですよ。ただ、電車の中での、会話が重要だといい意味では、コンセプトが似ています)幻冬舎で、出版すれば、私の本が、日の目を見ないという形になります。もとより、一般書店では売らず、ほぼ、500部前後を贈呈するのが、常ですから、負けています。それは、承知です。しかし、そういう私いじめの、発展した形で、【絶歌】などに、かかわっては・・・・やはり、・・・・・いけないでしょう。見城さん?

 ここで、神戸家裁が、なぜ、文書を全部廃棄したかの謎の一つを解きましょう。酒鬼薔薇聖斗が描いたとされる、ごちごちの、文体ですが、あの文章は、実際には、別の人間、(特に、有名作家)が書いたとする私の説が正しいからでしょうね。筆跡が、どことなく似ています。彼が、左手を使って書いたとすると、ぴったりです。

 で、そういうものを廃棄するために、全部を廃棄したと言う事となります。でもね。当時の新聞記事がありますね。縮刷記事から事件の全貌を知ることが出来ます。

 ところで、酒鬼薔薇聖斗は、身代わり犯だと、見ていますが、後年では、少年Aを名乗り、絶歌という書物を出版しました。それについて、私は、何本も書いて居ますが、今、一つだけ、ここにコピペいたします。

 神の出現を書いたこの章には、ふさわしくないのですが、私の人生には、悪魔ちゃんも訪れると言う事です。絶歌は、まさしく、そういう人間がゴーストライターとして書いた書物でしょう。

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【絶歌】出版の裏には、CIAが居る筈。淳君の死体を水道山まで持ち上げたのも、聖斗ではない筈

2015-06-19 22:35:08 | 政治

 さて、グーブログの総タイトルは、50文字以内と決められています。で、短くしないといけないので、鎌倉エージェントと書くべきところが、CIAになっています。ニュアンスとしては、CIAと言うよりも瀬島機関とか警察の殺人別働隊とか、言うものが、ふさわしいところでしょう。

 つまり、私が、ここで言いたいことは、酒鬼薔薇聖斗は、実際には、あの奇怪な殺人は、犯しておらず、これも政治的(+経済的)な目的があって、CIAのアイデアに基づいて、いわゆるブルーカラーとしての大人が数人の集団で起こしたのであると、私は考えております。ただし、Victimとして、彼が選ばれたと、見ています。それは、彼には、猫を殺すなどの、過去があり、

 こういう奇怪な犯行を犯すにふさわしいと、認められていて、リクルートをされたからだとみています。酒鬼薔薇聖斗は、選ばれた演技者であり、幼いながらいろいろな納得をすることができる賢さはあったのだろうと、私は見ています。

 こういう系譜に連なる犯人は、今まで、私が知る限り、数人以上います。

 時系列は、順番としては正しいかどうかは、分かりませんが、

*1)、小泉毅、厚生事務次官、二組殺傷事件。

*2)、加藤智大、秋葉原無差別殺傷事件

*3)、保見容疑者、周南市、金峰で、近所の老人五人、放火殺人事件、

   この事件に対する私の論考があまりにも正しかったために、それを否定するために類似の事件が起こされた。洲本で、同じく近隣の老人(特に今度は親戚であると言われる)五人を殺した、平野達彦と言う容疑者が、逮捕された。が、私がブログで、『これは、平成の八墓村事件を、あいまいに、消していくための、フォローの事件だ』と書いたとたんに、続報が、とんとでなくなった事件。だから、これも、私の論考が正しくて、平野は、ただ、名前を貸しただけなのかもしれない。が、あまりにも報道が少ないので、何とも言えない。彼が、本当にやったのかもしれない。

*4)、阿部俊樹、マルハニチロの農薬混入事件

*5)、片山祐輔、江の島の猫の首輪に、マイクロカードを括りつけたとか河原にスマホを埋めたとされている。

*6)、スタップ細胞で、小保方さんをサポートして、結局は自殺を装って殺された笹井芳樹氏。

 そして、この酒鬼薔薇聖斗です。

 これらの人物に共通をするのは、みんな頭がいいということです。片山祐輔君の卒業大学を知りませんが、他の人たちは誰も東大を卒業したわけではありません。

 だけど、頭がいいです。そして、どこか、弱いところを持っています。

 その弱いところの一つとして、内心では、非常に正直でいい人物なのだけれど、脅迫に弱かったり、または、バーター取引で、餌を見せられて、つられると、乗りやすいというなどの特徴があるでしょう。

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副題2、『スタップ細胞事件について、よくよく観察し、研究をしたので笹井氏が他殺であるとは確信をしている』

 笹井芳樹氏は、ノーベル賞と言う餌で釣られた人であって、最初から、『スタップ細胞とは、嘘だ』と知っていたと、私は見ています。そして、お坊ちゃま育ちだから、途中で耐えられなくなって、真実を語りたくなったのでしょう。その様子をスパイからの耳打ちや、笹井さんの自宅での室内盗聴、携帯等の傍受などで、知った悪人たちは、笹井さんを消したのです。

 この事件は、科学の分野に限定をされていると、私は信じていて、殺人事件にまでは発展をしないと思っていたので、ずいぶん注目をして、追いかけていたので、確信をもって言えます。

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副題3、『酒鬼薔薇聖斗の事件に、関しては、あまりにも突飛だと思い、ずっと、無関心で来たのだが、2005年ごろから、もしかすると、これは、水道山がキーワードなのかもしれないと思い始め、そこから、だんだんと、嘘が内包されていると感じ始める。これも、また、一種の冤罪であると言うか、他の事件と同じく、酒鬼薔薇が、納得をして犯人を引き受けているのではないかと、私が、思い始める。今般、この【絶歌】が出版されたタイミングを見て、やはり、自分の勘は当たっていたと思い至る』

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副題4、『ルネ北久里浜と言う上等なマンションの建っている場所は、元横須賀市の水道山であり、石渡美容院(説明を後注1でする)の左側から、タンクにまで登れる道があるはずなのだが、1975年ごろから、立ち入り禁止になっていた』  『その場所は公共用地なのだが、横須賀市議会に諮って、明瞭に払い下げたという形では無くて、2.73平米しか所有していない大建産業(=小さな会社だが伊藤忠の前身と同じ名前を使っている)の幹部社員、益山重夫と、益山智恵子夫人が協同をして、開墾をして、自分の果樹園だと主張をして、

 2.73平米(一坪以下)が、正しくは、1200坪だったということにするのが、地籍変更届と言うものの、骨子である。突然に、所有地の坪数が、1200倍に、増えたこととなっている。それが、地籍変更届と言うもので、可能になるのだった。一坪がただで、1200坪(当時の評価で、4億円以上)になったのである。その前に彼は500平米の土地を買って、こちらに、転入をして来たことになっていて、その後、建売やら分譲を繰り返しているので、500平米以上は、消費しつくしてあり、したがって、地籍変更届を出す以前から、1000平米くらいは、水道山の地所を、自分のものとして、使っていた可能性が強い。現在は、クリアハウスと言う名前で、グーグルの地図に載っているが、それが、益山夫妻の義弟、仲野通巳吉の家である。

後注1、京急北久里浜駅の東側の丘の上にある京急池田分譲地内には、現在のところ、4軒のお店しかない。で、それが、グーグルの検索地図に載っている。石渡美容院は、そのうちの一つであって、30年前に私がそこに住んでいたころから営業をしていたのだけれど、現在も営業をし続けている。そして、グーグルの地図に載っている。

 ここで、念のために、2015年6月20日にグーグル地図検索をしてみた。すると、驚くべきことに、石渡美容室は消えていて、かつ、杉本副市長夫妻の家も、長方形の形さえ、消えている。だから、これを傍証として、私のこの一文は、すべてのところが正しかったのだと、私は、判断をしている。

@@@@@ここまでを、20日の夜に推敲をいたしました。これから先は、21日の夜に推敲をいたします。

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副題4、『1997年に、土師淳君は、殺され、その首は、校門の上に置かれた。見事に劇場型犯罪である。しかも、首から下の遺体は、水道山に、置かれていたと言われる』

 土師淳君も、リクルートをされて選ばれた子供であって、むろんのこと犠牲者ではあるが、酒鬼薔薇聖斗も同じく、選ばれた犠牲者であつと、私は考えている。

 土師淳君は、かわいい顔をしていて、かつ知的障害があったと言われている。こういう子どもは、天使のごとき、純真さがある。そういう子どもが犠牲になれば、同情が激しくなり、事件が拡大し、人々の記憶に残るだろう』と、みなされ、淳君がまず犠牲者として、選ばれた。

 酒鬼薔薇聖斗の、【絶歌】を、私は無論のこと買っていないし、読んでもいない。しかし、否定をする人が多い。どうしてかと言うと、本人が、淳君を殺していないのだから、感動を与えられない文章になっているのも、確実だろう。

 1997年当時、酒鬼薔薇聖斗に、あれ(当時彼が書いたとされる文章)が、書けるはずがないと言った人が居たそうだが、それも別人が書いたとすれば納得がいく。その別人が、実は、生きている井上ひさしだったりして。つまり、【絶歌】の原稿は、表向きには自分を死んだこととして、実際には、生きて地下潜行をしている井上ひさしが書いたと推察もされるのだ。

 井上ひさしとだけに、限定しなくてもいい。

 ここを推敲中に突然に、文章が全部消えたので、井上ひさしが代筆をしているという推理も、当たっているでしょう。連中の考えていることは手に取る様に判りますから。

鎌倉春秋社が、1000円で売り出した、『篆刻の本屋』は、覆面作家だということだが、私が、伊藤玄二郎と、井上ひさしの合作だろうと、ずいぶん前から書いている。すると、二、三年後、上智大学の卒業生の、二人組が、実際の作者だと名乗りを上げた。

  だが、これも上のアスタリスク印の後にナンバー付きで挙げた、六人と同じく納得をして引き受けていると、推察される。

::::::::::::**********これ以下は、実は、本日の、最初にいつもの調子でゆったりと書き始めた文章です。しかし、時間がないし、体力もないので、メモ形式で、かつ、非・会話対で、グングン書き進めています。だけど、ここに、ちょっと、挿入としてそれを挟んでおきましょう。念のために残しておきます。*****罫線の間が、いつもの調子の文章です。それが、終わると、非・会話対で、また書き始めます。

 さて、こうして、【絶歌】が今出版をされたかですが、これも、私が過去に書いていることを否定する目的で行われています。 過去に何を書いているかと言うと、もう、探すのが、面倒なので、概略として、ここで、書き直しますが、

 北久里浜の東側の丘の上に立っている大マンション、【ルネ北久里浜】(売り出しの際は、【そらヒルズ】と言う名前だったが)は、元横須賀市の水道山を、益山重夫と言う元海軍参謀が、地籍変更届と言う書類を持ちいた、一種の詐欺事件・・・・・いや、実質的に言えば、実際に詐欺事件と言えるだろう。・・・・・で、ただで手に入れた土地の上に建築されている。 私が書いていることが正しい事なので、それを打ち消す策が次から次へと出てきていますが、

酒鬼薔薇聖斗が、最近、本を出したというのも、なるほどねえと思います。 その結果、酒鬼薔薇聖斗は、土師淳君を殺していないのだろう、と、確信をしています。私はまだ、買って、それを読んではいませんが、************::::::::

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 副題5、『1997年から、北久里浜の水道山は、実質的な、土地造成が始まったのだと思う。1979年に、私物化した後で、8年間は、寝かしていたと思われる。だが、絶対に金もうけをしようとしてたくらんだことだから、実行をしないと目も当てられないではないか? で、土地造成を始めたのだが、私が入ってきたら、もちろんの事、おお困りだが、私は鎌倉に住んでいる。しかし、このころから尾行は始まっていたと、推察される。そして、北久里浜に来る可能性のある日には、工事は中断するとしていたのだろう。

 また、この事件の真相を知らない人が入ってきても困るので、心理的に人が『怖がって、近づかないシステムを構築する必要があった」と思われる。瀬島龍三は、元帝国陸軍参謀として海軍参謀の益山重夫氏とは、親友であり、CIA固有の手法を駆使したと推察される。』

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副題6、『これだけ、物議を醸しだす本が平台に、バーンと並べられており、さらに、5万部増刷をするそうだ。どうして、そういうことが許容されるかと言うと、現代最高の権力者である、鎌倉エージェントが、これに絡んでいるからだ。前田祝一・清子夫妻も、安野忠彦・智紗夫妻も、それから、本日また、その悪女振りが復活してきた、小野寺夫人も、伊藤玄二郎を通じて、動かされている、パペットである。鎌倉エージェントに保護され、また、彼らの悪を隠すことに役立つのなら、少々物議を醸しだそうが何をしようがかまうこっちゃあない。それが、例の連中のやることなのだ。常習的に、それをやり続けるのだった。今般は、昔の殺人事件である。現在、人が殺されているわけではない。だから、明るい顔をして、小野寺夫人と、前田氏は、勝利感に酔いながら、新たな攻撃策を私に示した。にゃるほど、にゃるほど。

 この【絶歌】が問題になり始めてから、彼らはまた夜の会合(新たな攻撃策を練る秘密裏の会合)を行っていて、かつ、それを行っていることを、誇示したので、私は、心の準備はしていたのだった。この神戸連続殺傷事件が起きた1997年は、瀬島龍三と益山智恵子さん、および、仲野通巳吉、および、杉本横須賀市副市長・正子夫人、北村充子さん等を助ける目的があったわけだが、それが、今、2015年では、鎌倉エージェントとして括られるすべての人物たちを救う手立てとなっている。古村浩三君もその一人ですね(苦笑)。今夜もパソコンが控えめに壊れかけているが(苦笑)』

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副題7、『なぜ、【絶歌】は、堂々と平台に並んでいて、かつ、太田出版社は、NHKカメラの前で、登場できるのか? そして、五万部を増刷すると、別の日に記者会見を行うことができるのか?』

 【絶歌】について、擁護をしている有名人が何人かいるらしい。出版の自由を守るべきだと言っているらしい。それは無論の事、賛成だけど、この絶歌の裏に、もっとも、言論の自由をはく奪している連中が居ることを知ったら、彼らはどういう風に言うことになるのだろう。

 たとえば、私のエッセイ集だけど、今まで、6冊出している。売らないし、流通経路にも乗せていない。だけど、ISBN番号もついている史、バーコードもついている。特に五冊目の『黄色いさくらんぼ』が好評で、売っていないのに、アマゾンとか、ブックオフで、時々中古の本が出回る。それは、このブログの前の段階のメルマガをまとめたもので、ニューヨークで、出会った二人のカラード(有色人種)の版画家の死を扱っている。二人は好対照を見せている。すべての人から善人だと思われ尊敬されなつかれているボブと、すべての人から嫌われていて孤独死をしたエドゥアルドだ。

 どこにも問題はない。すべての登場人物は実在する人間だが、すべて仮名で書いている。芸術家たちは、レジェンドがあった方がいいから、この本がもし英訳されれば、圧倒的に名著と言われることとなるだろう。だけど、私は戦後最大のエージェント、瀬島龍三の悪を知っているから、祝福されない。支援されないどころか、データ作りの段階からさんざんに妨害を受けている。錦糸町の自然食有機野菜主体のバイキングレストランに言っていて、インターネットに接続していなくても二時間の仕事がパーッと消えたこともある。これは、大泉洋のアフタースクールなどを見ると、・・・・・なぜ、そうなるかの理由がわかるが・・・・・

  だから、これほどの、支援を受けている絶歌は、鎌倉エージェントの発案であるのも確かなのだ。そして、鎌倉エージェントを助ける新策略であり・・・・・私がここで、こういう風に書いたことによって、さらに大宣伝をされるか? それとも急速にしぼんでいくか、ともかく、どうなるかは見守って行きたい。

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副題8、『土師淳君のパパと支援する弁護士が、酒鬼薔薇聖斗を相手に訴訟を起こしたらどうなるか❓』

 土師淳君のパパだけは、裏側を知らないでいると、信じたい。酒鬼薔薇聖斗がやったと思っているのだろう。だから、この出版を差し止めたいと、思っておられる。もし真実を知ったら戦う筈で、そうなると、医師と言う立場と職業は、日本社会では、中の上の階級だからつてを頼ってつてを頼って調査すれば、やがて、私が真実に到達した様に、ルネ北久里浜の真実に到達したり、杉本副市長夫妻の悪やら、前田祝一・清子夫妻の悪にも到達し、何故、淳君が選ばれなければなかったかの、真実にも到達し、伊藤玄二郎に文句を言うこともできるだろう。または、つてを頼って、伊藤玄二郎がその人の事は自分より上に、置いているであろう、養老孟氏を巻き込んでもいいではないか?

 だけど、鎌倉から遠く離れていることもあって、真実に達することはないと思われる。都留市在住の山本美香さんの両親でさえ、まだ、私のブログへは、到達していない模様だし。

 で、淳君のパパが訴訟を起こしたら、どういう風な展開になるかを、シュミレーションをしてみよう。まず、この出版がさらに炎上をして、鎌倉エージェントたちは大喜びをする。そして、酒鬼薔薇聖斗の、実名や実住所が公開をされる。となると、この事件を劇場型に炎上させればさせるほど、私が以前書いたことが否定をされる。それで、大喜びなのだけれど、

 もう一つ副産物も得られるのでさらに喜ぶはずだ。副産物とは、酒鬼薔薇聖斗の生活が成り立たなくなって、自殺に追い込まれかねない状況に陥ることだ。ここまで、緘黙に近い形で、嘘をつき続けてこられる人間だから、最後まで、しぶとく立ち回るとしても、どこかで、真実が漏れないとも限らない。だから、実際には酒鬼薔薇聖斗には、死んでもらいたい。

 で、そういう状況に追い込んだのちには笹井さんと同じ手法を取ればいい。それ以前に、顔が、公開をされている方がいい。青木が原で、自殺体で発見をされたとしても、顔が、広く知れ渡っていた方が、一般人が、発見をしやすいではないか?

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副題9、『本日、東京で異常なことがあったのだが、私は落ち着いていた。非常に落ち着いて対処した』

 私は、19日はまず、パレスホテルの株主総会に行きました。宴会場を点検したのちに、都営線に乗って高輪プリンスホテルに向かい、二つ目の株主総会に出ました。その時に、銀座で行われる嫌がらせと同じものを発見をしました。で、尾行を受けているなと、分かったのです。だが、だからと言って、あわてて、鎌倉に戻ることはせず、株主であることをとことんに、楽しもうと思いました。

 昨年は、次に横浜みなとみらいへ向かって、ロイヤルパークホテルの株主総会へ向かったのですが、遅刻も遅刻なので、宴会場は見られませんでした。で、本年も同じだと考えて、五島美術館に向かいました。美術館の入場券と、電車の切符がタダです。ただ、6月21日までの展示です。だから、19日に行かないと、行くチャンスがないです。

 去年までは、こんなに、ぴったりとは使わなかったです。忙しい身だから。だけど、今年は、ブログで、書ける内容の深さに、満足をしています。分野によっては、60%かけています。自分の被害については、まだまだ、15%ぐらいですが、あまりにおぞましいことをやられているので、文章に書いても皆さんが、のけぞってしまうだろうと思っていて、なかなか書きません。

 覆いまし戦って、あまりにも短いので、二子玉川にまで行ってしまい、反対方向から降りたので、歩く道も間違えて、ゆったりと、向かっているのですが、やはり、工事をやっていました。昨日、前報で、それが、彼らが尾行をしている事の証明だと書いているのに、やるのです。ただ、人員的な尾行ではなくて、携帯を保持しているから、そのGPS機能を利用しているのでしょう。

 書いても、書いても、恥知らずに、こういうことをやって来ているときは、彼らが何かのポイントで、勝っていると思っているとき何です。で、先週以来、株主総会に、出続けているし、園芸にも打ち込んでいるので、そろそろ、鬼の居ぬ間の洗濯としての、ニュースが起きるでしょうね。NHKニュースを点検しないととは思っていました。

 ただし、この絶歌が、それに当たるとは、気が付いていませんでした。

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副題10、『自宅そばに、夜の6時についたのだけれど。これも鬼の居ぬ間の洗濯が起きていて、また悪女小野寺夫人を使って、前田祝一氏が、2013年5月27日にやったのと、同じ、ことをやっていたのだった。懲りない面々である、ことよ』

 さて携帯を持っているので、どこに何時に私が現れるかは、すべて、の敵さん連中には伝わっているのでしょうね。それで、また、画策をして来たわけです。

 でね、二度目なので、私は喜んでしまったのです。一度目は激怒しています。だけど、同じことを同じ感情で、迎えたら、何も進歩がないではないですか? だから、冷静に、むしろ喜んで、その現象を受け止めました。

 どういう風に喜んだかと言うと、おー『、これこそ、神の啓示ですね。今日あれを書きましょう。よかった。チャンスを与えられて』と思って。それは、小野寺夫人、前田祝一氏、オヨビ、鶴岡八幡宮を含んだ、激烈な悪についてです。

 それは、4月29日にいったん書いて、数十時間曝したのちにひっこめてあります。怖がっていたり、連中の策略に負けてひっこめていて、曝さないわけではなくて、リンク先を見つけるのが面倒だからです。悪について書くときこそ、丁寧なリンク先の提示があり、文章も、誤変換がない様にしたいのです。慎重にやりたい。

つまり、相手は攻撃しているつもりでしょうが、常に物事には両面があり、プラスに、働くこともあれば、マイナスに働くこともあるのですよ。

 ところがね。やはり時間が足りないのでした。そこで、絶佳について書いたというわけです。ぶっ飛んだ文章とはなっているとは思いますが、神様が、「書いていいのだよ。相当に突っ込んで。あの連中が再び悪辣なことを仕掛けてきているからね」と後押しをしてくださったと感じているからです。

 こういう【絶歌】などの文章の方が、リンク先も、北久里浜のマンション関係なので、後で、見つけやすいし、書くのも楽なので、こちらを先にいたしました。どうして書くのが楽なのかと言うと、前提条件を、読者と共有しているからです。土師淳君と言えば、あの純真な顔を皆様は思い出すでしょうし、淳君のパパもテレビカメラの前に出てきていますね。

 だから、非常に楽なのです。一方、小野寺夫人と言ったり、前田祝一氏と言っても、皆様には、「その実像が、5%もわかりませんよ」と言われてしまうだろう人物ですよね。ただ小野寺夫人は【渡辺篤史】の建物探訪に出てきています。でも、「何年の何月何日篇ですよ」とここに書けば、テレビ朝日は当然の事、それをひっこめるでしょうから、

 私は、それをここに書かないのですけれど。その番組を見たら、小野寺夫人の実像は、皆様にも、相当にお分かりいただけると思います。・・・・・簡単に言うと、ご主人に対しては、雅子さまみたいなところのある人です。

 

 

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