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銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

萩尾望都の【一度きりの大泉の話】173pまで読んで。映像化を望むが、竹本恵子役を誰が引き受けますか?

2021-06-08 14:55:35 | 政治

   この文章は、渡辺幸子さんに関して詳述をし始めました。すると、大量の、情報を思い出して、それは、結局はイスラム国で、殺されたとされる、後藤健司さんは、実は、生きていますよというところまで、入って行ってしまうです。それで、昨日は、完成しえず、終わりました。本日(10日)は、そこを別章に回して、この章を完成と持っていきます。この文章は、初稿として、#######罫線以下を描き始めました。しかし、大変、面白いエピソードなので(いや、動きとしては派手ではないのですよ。主役の萩尾望都はひたすら耐える側ですからね。)映像化を、したら、面白いだろうなあと、思いいたり、それを、副題1として、書き始めています。

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副題1、「蛇足として、語りたい。この書物を映像化するとしたら、竹本恵子役としては、だれが、適切なのだろうか?』

むしろトップに置きたい蛇足・・・・・この書物を、テレビドラマ化したら、だれが、演じたらいいのだろうか?・・・・・・8日の夜はひどい睡魔に襲われ、竹宮恵子が、誤変換されているのも直せないほどの体たらくで睡魔に、陥りました。今は、9日の夕方4時ですが、喫茶店内で、推敲加筆をし始めるところです。

 この書物は、血を吐く思いで、萩尾望都が、表したものです。出版社が、ヒットを見込んで注文を出したわけでもない、書物です。金銭的な、謝礼を目的としたものでは無論ない。しかし、まだ、4分の1を読んだだけですが、極上のミステリーになっています。竹宮恵子が、それを承諾するかどうかは、大問題で、萩尾望都陣営も、映像化など、全く、考えていないと思います。が、もし映像化したら、女性版【麒麟が来る】に等しい、緊迫した、上質な心理ドラマができると思います。

 勝手な希望・配役ですが、主役は萩尾望都という設定で菅野美穂に演じてもらいたい所です。演技上、一番難しい役は増山さんと言うおとりまき(または、竹宮恵子の、熱烈なファン)ですが、黒木華か、彼女以上の実力派に依頼したい物です。

  問題は竹宮惠子役です。この一遍では悪役ですから、余程腹を据えた人でないと出来ないでしょう。朝ドラおちょやんで宮澤エマが初期には意地悪な継母、最後には、慈愛に満ちた、年上の、ファンと言う素晴らしい役を演じましたが、事務所が、この書物の映像化の竹宮惠子役を受け入れるわけもないので、結局の所映像化は、無理と言うことになるのでしょう。

  でもね、極端な話ですが、再起を目指す沢尻エリカが、竹宮惠子をえんじるとか?   演技派として自信があるはずの中谷美紀が久しぶりに、大役に撮り組むとか? ただ、中谷美紀は、イメージとして細すぎる。繊細に過ぎるのでだめでしょう。

 非常に美しくて、明るくて、自信たっぷりな女性・・・・・として、これも、久しぶりに、南野陽子に、主役級人物として、登場してもらうとか?  年齢的に、菅野美穂と相対する場合に釣り合うかどうかが、問題となるが、演技者としては、すでに腹が座っている、高橋惠子とか、原田美枝子とか?

 私は、その動く映像を一回も見たことのないが、ヒール役として、大人気だという、田中みなみアナに、演じてもらうとか? 忘れていました。尾野真千子がいましたね。?!?!? 吉田羊も、演じることはできそうですよ。 という前置きを、二日目に入れて、初稿に戻ります。

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*1)

 わたくしは、いろいろなテーマで、続きを書かないといけないと、言う義務感にも撃たれています。それを忘れたわけではありません。ただし、時間と体力がない状況です。それで、「生きていますよ」と、言うサイン代わりに、今、読んでいる本について、語りたいです。

 それは、萩尾望都の【一度きりの大泉の話】(河出書房新社刊)です。夜就寝する前だけの時間に、手に取っていて、今、137頁まで、読んだところです。

   :::::::::ここですが、全体で、352頁なので、4分の1だけ読んだところですね。それで、一種の書評(?)を書くのですから、相当大胆ですね(苦笑)。しかし、私の場合、深くえぐりすぎるところがあるので、この程度で、一文を書いてしまう方が、今、これを、買う意思を持っている人に対して、迷惑にはならないのです。::::::::あ、否定しているわけではないのですよ。久しぶりに、頁をめくるのが楽しみな本に出合ったと思って、わくわくしているところです。

*2)

 この本に興味がひかれたのは、朝日新聞の書評欄を読んだからです。たぶん、2021年の5月29日付けの書評欄で、取り上げてあったと、記憶しています。

 で、その書評欄の、紹介で、この本に、一気に惹かれたのです。どうも、長い間沈黙を守っていて我慢をしていた方が、とうとう、堰を切ったと、言う意味で、相当におもしろそうだと、感じたからでした。

 しかし、邪道な読者です。というのも、私は、萩尾望都の、作品を一頁も読んだことがないからです。また、竹宮惠子の作品も一頁も読んだことがありません。この本に登場する多数の他の、少女漫画家の作品も一頁も読んだことがないからです。わたくしがストーリーのある漫画を読んだのは、子供のころに手塚治虫の「リボンの騎士」を読んだのと、7歳下の妹が、専用の本箱に、全巻を揃えていた【ガラスの仮面】を、彼女宅に訪問している間に、一冊、読んだ、だけなのです。

 あとは、週刊文春の、タンマ君と、新聞の四コマ漫画を時々読んだ程度です。

*3)

 しかし、この【一度きりの大泉の話】の数多い登場人物の中で、萩尾望都と、武宮恵子と、山岸涼子だけは、その名前を知っていました。多分、新聞に、出てきた記事で、その存在を知ったのです。わたくしは、1996年までは、新聞を隅から隅まで読む人で、自分を雑学の大家だと、自認をしていました。(苦笑)

 しかし、1998年に国費で、パリへ行かれることとなり、かつ、父からの遺産で、まだ使っていない、2400万円があったので、それを使って、世界的アーチストになろうと、言う方向で、生き始めたので、ある一点にだけ集中をして、それ以外のことは捨てました。

 最近では、新聞の書評欄を読むのでさえ、不随意です。だから、この書物に出会ったのは、まことに誠にもって偶然でした。

 ここから先の推敲の仕事を、一時間分、見事に、システム異常を利用して消されてました。したがって、とても重要なことを描いたのだと、思いますので、一つ、一つ、思い出しながら、再度、入力していきましょう。

*4)

 竹宮惠子だけは、鶴岡八幡宮の、ぼんぼり祭りに、献灯をしていると、記憶しています。したがって、鎌倉市在住か、近辺の、湘南在住だと、考えています。だけど、献灯には、安野モヨコなど、ほかにも漫画家が、数多くいるので、`「自分は、竹宮惠子のファンです」というわけでもないです。

 ただ、二人を比較すると、・・・・・各種のメディアの情報だけで、判断をしたのですが・・・・・萩尾の方が、知的レベルについて、上ではないかと、ずっと、考えていました。これは、少女漫画のプロットの構成とかネーム(セリグ)の発想において萩尾の方が、頭がいいと、言っているのではなくて、人間を総合的に見たときに、萩尾の方が、知的な人なのではないかと、考えていたということです。作品を何も知らないのにです。

 朝日新聞の書評欄を読む限り、私の、そういう、うっすらとした、推察が当たっている様に見えて、この書物を読んでみたいと、思ったのでした。

  `そして、さらに、日曜日の6日にこの本を横浜で買ってきて読み始めて、巻末にある、この書物を生み出そうと努力した、マネージャーの城章子さんの、言葉(343頁以降)を読むと、それが、正しかったと、証明されています。

*5)

 まあ、鎌倉に住んでいて、ぼんぼりが飾られる、鶴岡八幡宮の境内から、ゆっくり歩いて、たった二分の所にいる私が、竹宮惠子と萩尾望都を比較して、萩尾の方が、知的なレベルが上でしょうなどというと、「また、敵を作りましたね」ということになるのでしょうが、漫画界には、一切の、コネクションの無い人だから、こういう風に言わせていただくのをお許しください。

 人間が、組織を作り、システムを作り、その中で、階層を作ることが好きな生き物だと、言う側面から、考えると、私が、ここで言っていることは、通らない筈です。私が用いたい、宗教観に基づいた尺度とは、全く別の尺度が、世の中で、通用しているのでしょうから、何を言っても、通らないとは、思うものの、「これは、見逃せませんですね」というところは、取り上げて、噛みついておこうと思います。大筋とは、離れて、とても、小さいことだけれど、創作者を、先生と呼ぶか呼ばか、呼ばないかの違いについては、漫画の世界に、大金が動いているのを推察させます。

 というのも、萩尾望都は、数多い登場人物の中の数人を、先生と、言う敬称をつけて呼び、ほかの数人を、〇〇さんと、よびます。

 その差は、萩尾の中では、いわゆる、先輩と、後輩にあたるのだろうけれど、私は、そこから、漫画作家というものが、出版社と、分かちがたく結びついている、現代資本主義社会の中で、生きている、存在だと知らされるのだ。

 つまり、金銭の授受が明瞭に在る世界であること。だから、世間的なしきたりに、沿うのに、容易であると、言うこと。それなりの、遠慮や、気遣いは、あるのだけれど、私が知っている世界とは、明瞭に違いがあること。これが、現代アートの世界だと、先生と、呼ぶ方が、野暮で田舎っぽいとなるのだけれど、その種の気取り(?)の部分は、漫画作家の場合には、無いと、言うこと。つまり、萩尾望都は、漫画作家だけの世界では、割り切りの遅い方だけど、漫画作家の、世界を全体として見ると、そこは、現代アートの世界よりは、はるかに割り切りの早い世界であること。

 その点、私が、銀座の画廊で、その作品を見る作家たちは、知的レベルが高い人ほど、自分を先生と、呼ばれるのを嫌がります。私だって、昨日、日曜美術館に出てきた、上條陽子さんを、上條先生と、呼んでいた時期もあるが、2004年以降、女流展に出品しなくなり、かつ、上條さんが、秋山祐徳太子に取り込まれ始めた時期(2007年以降)からは、上條さんと、先生抜きで、呼ぶようになりましたし、それを上條さんが、怒っているとは、考えては、いません。

*6)

 萩尾望都は、自分そのもの、また、自分が描くものが、暗いと、感じていた模様です。ただ、それが、客観的に見てそうだったのかどうかは、私には、わからないです。ご本人を知らないし、この世界をも知らないので、何も言えないです。ただ、137頁まで、読んだだけでも、彼女が、自分をいわゆる陰の方で、竹宮惠子を、陽の方だと、見ていたことがわかります。

 朝日新聞の書評を読んだだけでも、何か、萩尾望都の方が、怒ってしまうことが竹宮惠子側に、あったと、推察できるのだけれど、それは、この137頁まででも、伏線として、10個ぐらいは、張ってあります。残像をどう使ったかも、伏線の一つだと、思います。で、慎重な書き方をしているがゆえに、結果として、大・大・ミステリーとなっているわけです。それが、一個人の、位置エピソードを書き表した書物なのに、壮大な物語となっているのです。

 わたくしは、書評を読んで、この本を買ったぐらいだから、

 萩尾望都の方が、そのトラブルから、逃げた(大泉から、埼玉県の田舎に引っ込んだ)方だと、言うことは、推察しています。

 それは、国画会、女流画家協会、国際キリスト教大学大学同窓会展などから、すべて、身を引いてしまった私には、非常に、よく理解できるところなのです。そして、これ以降に加筆した部分が大問題だったので、システム異常を利用して、言論弾圧を受けたわけです。だから、再現していきます。

 自分の精神を健やかに保つため、そして、創作活動をスムーズにしていくために、『これは、自分の精神を、むしばむ』と考えることからは、逃げる方が、正しいです。そして逃げた方が、意外にも強いのです。人間としては、追い出した方より、捨て去ることができる方が強いのです。

 まだ、四分の三残っているが、こういう書物が、出版されただけでも、萩尾望都おそるべしと、言わないといけないですし。ただ、武宮、萩尾の間には、政治は、挟まっていない。でも、増田さんという武宮恵子のファン(=お取り巻き)が挟まっていて、それが何らかの異様な状態を、引き出していくのだと、言うことは、残像という、エピソードを読んだだけでも、推察できるところだ。

 萩尾望都は、このエピソードを書くのが困難だと、考えていて、最初は、インタビューで、書物をまとめようと考えていた模様だ。しかし、インタビューを受ける前に、覚書を作っていくうちに、どんどん、どんどん、思い出が、よみがえり、結局は大部な本になった。

 私と、渡辺幸子さんとの葛藤は、渡辺幸子さんが、武宮恵子の立場であり、自分が萩尾の立場なのだけれど、随時、3000字から、30000字のブログで、委細を書いてきた。それで、心身の健康を維持できた。

 それは、銀座を中心とする美術界での話なのだけれど、居住地鎌倉の方では、安野智紗夫人が武宮恵子の側にあたり、私が萩尾望都の立場にあたる。安野智紗夫人をサポートする女性たちは、この書物の中での、増田さんにあたると思う。

 萩尾望都は、一時期、大いに苦しんだらしいが、河出書房新社から、こういう書物を、公刊として出版することができて幸せだ。祝福をしておきます。

 しかも、編集者穴沢女史、インタビューワー、佐藤女史、そして、一番、力を尽くした、マネージャー城章子さんなどに囲まれて、この本ができたのです。よかったですね。

    2021-6-8 雨宮舜(本名 川崎 千恵子)

コメント
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